番外編 泥酔翔吾

 翔吾を揶揄う会が開催された居酒屋で、圭介はテーブルに伏した肩をバンバン叩いていた。


「おい翔吾! しょーご!!」

「どうすんだよ、コイツ……。」

「夕月ちゃん呼ぶ?」

「呼んだってあの子が背負って帰れる訳じゃないだろ?」


 よっこいせ、とシンヤが翔吾を引き起こして肩を支える。


「重たいな、こいつ。圭介そっち行って。」

「はー、しょうがねーなー。うわまじで重。」

「誰だよこんなでかいやつ潰したの。」

「お前だろ。」

「お前もだろ。」

「ていうか勝手に飲んだんだろ。」


 高山が会計を済ませて、翔吾を引き摺って4人で店を出た。

 翔吾のマンションに向かいかけた3人に彼が指したのは知らない道だった。


「お前いつ引っ越した?」

「本当に道あってんだろーな!?」

「あ、でもあそこスーボル停まってるわ。」


 翔吾が足を止めたのは明かりの漏れる一つのドアの前。


「……おい、電気ついてるぞ。」

「また女か。」

「夕月ちゃんがいるのに?」


 全員分の荷物を持った高山がドアチャイムを押す。

 ドアの向こうから近づく軽い足音。


「もー、翔吾おそ……、あ、圭介くん!」

「……夕月ちゃんじゃん。」


 中から開いたドアの向こうに立っていたのは、圭介の「推し」だった。

 柔らかそうな素材の、多分部屋着を着て、目を丸くしている。


「翔吾の事、届けに……きたんだけど……。」

「ありがとう。ここ2階だから、階段大変だったでしょう?」

「ありがとうって……。置いてっていいの? ここ夕月ちゃんの部屋でしょ。迷惑だったら連れて帰るよ?」

「あっ、そっか……。」


 夕月は頬を染めて口篭った。


「……うん、いいの。」


 恥ずかしそうに目を伏せた夕月を見て、あまりの可憐さに圭介は言葉を失った。

 それは完全に恋する乙女の顔だった。尊さに眩暈がする。


「……夕月ちゃんちょっと下がって。……よっ、と!」


 シンヤが玄関に翔吾を乱暴に放り込む。

 ごつんと音がして、翔吾の呻き声が聞こえたが、良い気味だと思った。

 言葉を失っている圭介の代わりにシンヤと高山が爽やかに締めた。


「急に来てごめんね。でも夜中のピンポンは出ない方がいいよ。」

「そうそう、ドア閉めたらすぐ鍵かけな。チェーンもね。」


 バイバイと手を振って、また階段を降りて行く。

 高山とシンヤはどちらからともなく圭介の肩に手を置いた。


「部屋着の夕月ちゃん可愛かったなー?」

「翔吾の野郎やっぱり捨てて帰れば良かったか。」

「もう今日は何も言わないでくれ……。」


 次は圭介を励ます会をしよう、とどちらが言いだした。

 夕月も呼ぶか、何なら他の女子も呼んで貰おうかと3人の二次会は大層盛り上がった。




 「もー、翔吾起きて!ここじゃ風邪引くよ…!」


 夕月は玄関の上がり口に倒れた翔吾の上着を引っ張っていた。初めは腕を引いていたのだが、殆ど意識のない翔吾の腕は夕月には重すぎた。

 一度起こすのは諦めて、冷蔵庫から水を持ってくる。翔吾の頭を横向きにして、頬に冷えたペットボトルを押し当ててみる。

 つめて、と呟いて、翔吾が薄目を開けた。


「…あ、ゆき」

「あ、じゃないよ。ほら、お水飲んで。」


 翔吾は唸りながら肘をついて身体を起こし、膝をついた夕月の元まで這い寄ってくる。


「むり、ゆきのませて。」

「飲ませてって、もー」


 ぱきっとペットボトルを開け、翔吾の唇に押し当てると、一口飲み込んでしかめ面をした。


「口移しとか……」

「する訳ないでしょっ!」

「だってさぁ……かわいいから……膝ももちもちだし、かわいい。」


 夕月の太腿に顔を埋めて寝言の様に喋っている。

 相手が酔っ払いだとわかっていても、かわいいの連発は夕月に着実にダメージを与えてた。


「ほら、立って。ベッドかソファで寝よ。」


 段々怒った声が出せなくなってきて、子どもに語りかけるようなトーンになった。


「夕月、ほんとかわいい……いい匂いする〜……。」

「もぉー、本当しょうがないなぁ。」


 夕月が立ち上がると、つられたように翔吾ものっそり立ち上がり、引っ付いたままついてくる。

 ふらふらのくせに夕月が潰れるほどの体重をかけてこないのがこの人の良いところ、と思っていたら、ベッドまで進んだ時、急に翔吾が重くなった。


「きゃっ!」


 そのまま2人で倒れ込む。一瞬でくしゃくしゃになった掛け布団の上で、翔吾は満足そうに笑っていた。


「いっしょにねよ、おれ夕月大好き。」

「やだよ、お酒臭いって、ぐぇ、」


 ぎゅうう、と強い力で抱き込まれて息が詰まる。


「翔吾潰れるってば!」

「潰れっちまえ……」

「ばかー!」

「……夕月、あいしてる」


 夕月がもがいていると不意に腕の力が緩んだ。

 ぱっと見上げると、翔吾は夕月に腕を巻き付けたまま、小さないびきをかいている。


「もー、重たいなぁ、……こんなに酔わないと、言えないの?」




「やっべぇ……、吐く……。」


 数時間後、翔吾はゆらっと身を起こした。

 頭が締め上げられれるように痛み、視界が歪む。

 いつもなら数歩の洗面所までがひどく遠く感じた。

 便器に縋り付いていると、背中に手のひらが置かれ、蓋の開いたペットボトルが差し出された。


「救急車呼ぼうか?」

「馬鹿言うな……。」

「馬鹿は自分でしょ。」


 返す言葉もなかった。黙って口をゆすぎ、ペットボトルの水を飲む。

 500mlが空になる頃には、少しだけ視界がはっきりした。


「悪い……。」

「ごめんなさいでしょ。」

「ゴメンナサイ。」


 素直に復唱した。

 脳はまだアルコールに浸かっていた。明日からしばらく俺がトイレ掃除しよ、とか、腕を組むと胴が細いのが強調されるな、とかどうでもいい事が浮かんでは消えていく。


「明日ちゃんと圭介くん達に謝ってね。担いで送ってくれたんだよ。」

「え、アイツらここ来たの? 夕月何にもされなかった?」


 つい滑った口に、夕月が深いため息をついた。


「親切にしてくれた友だちにそういう事言うの良くないよ。誰が悪いの?」

「……俺。」


 昨夜は4人で呑んでいるうちにいつの間にか夕月の話になった。

 途中までは調子良く喋っていたが、あれこれ揶揄われている内に思いの外酒が進んでいた。


「……夕月、説教明日聞くから、もう寝かせて。」

 頭痛も眩暈も一向に治らない。トイレにいつまでも正座しているのは流石に辛かった。


「夕月大好きだから一緒に寝よー♡って言わないの?」


 返す言葉も無かった。記憶には残っていなかったが。

 



「翔吾メシ行こー。」

「圭介はへそ曲がってるけどほっといていいぞ。それより俺たちお前に聞きたいことあるんだよなー?」


 圭介は黙って2人の後ろをついてきた。


「……おう。昨日は悪かったな。」


 四限の後、いつもの面子が集まった。

 記憶には無いが送って貰ったらしいので、一応一言掛けておく。

 高山が声をひそめて顔を寄せてくる。


「おい! 翔吾」

「お前ちけーよ、気持ちわりーな」

「お前いつから夕月ちゃんと住んでるんだよ。」

「……別に住んでねーよ。」

「じゃあ昨日のアレは何なんだよ!?」

「あー………たまに? あそこで寝てる。」

「お前今日どっから来た?」


 シンヤが高山の後を引き取った。


「夕月の部屋。」

「昨日の服と違うよな、着替えはどうしたんだ。」

「……夕月が洗濯して、あった。」

「お前今日どこに帰るんだ。」

「……夕月の部屋。」

「やっぱり住んでるんじゃないか。親父さんになんて言ったんだよ。」

「うるせーな!? 俺のとこもそのままんなってるんだよ!」


 騒ぎながらいつもの学食で弁当を広げた瞬間、爆笑が巻き起こる。

 二日酔いの頭を大声が貫いて一瞬顔を顰めた。

 本来二段の弁当箱にはおかずと白飯が分かれて詰められている筈。今日はなぜか二段とも白い。

 そして上段の白飯の上には海苔で『反省』と刻まれていた。


 「夕月……。」


 翔吾は肩を落としたが、圭介も笑っているのを見て少し気が楽になった。

 反省弁当に箸を入れると、白飯の下にちゃんとおかずが敷かれていた。

 鶏肉のカレーソテー、卵焼き、ちくわと枝豆の炒め物、あさりのしぐれ煮(これだけ多分缶詰のやつ)


「すげー、翔吾めちゃめちゃ愛されてるな。」

「やっぱお前殺す。」

「圭介が翔吾に勝てる訳ねーだろ。」

「俺が死んだら夕月が悲しむ。」

「くそやっぱムカつく!」


 そこまで本気でもないくせに、嘯いた翔吾に圭介がしっかりノってくる。

 いつの間にか色んな事が公になってしまったが、反省弁当のお陰で、屈託なく飯を食えたことに内心手を合わせた。

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