12. Revenge Ogre
それは吐いた息が凍りつくほど、とても寒い日のことでした。黒森村に不穏な流言が聞こえてきました。遠く離れた村で一揆が起こったというのです。なんでも飢えに耐えきれなくなった民衆が裕福な庄屋や地主を襲い、次々にその蔵を打ち壊している。もしかするとその暴徒がここにも押し寄せてくるかもしれない。そういう噂に庄屋や地主は震え上がり、領主に擁護を乞うとともにこぞって門を固く閉ざしたようでした。
しかしながら孤立状態にあった朔兵衛一家の耳に噂が届くことはありませんでした。その時にはもうすでに膨れ上がったその暴徒の集団がまさに黒森村を襲おうとすぐ近くまで迫っていたのですが、そのことを朔兵衛が知るよしもありません。
いつものように早朝から雪山の奥深くまで分け入った朔兵衛は日暮れ前に家に戻りました。彼の表情はいつになくほころんでいました。その手には一羽の野兎がありました。兎の肉などいつぶりでしょうか。妻と二人の娘が大喜びする様子を目に浮かべながら引き戸を開けた朔兵衛の目に、けれどとんでもない光景が映ったのです。
土間に一糸も纏わない姿の雪が倒れていました。
朔兵衛は慌てて駆け寄り、彼女を抱き起こしました。
雪は放心状態で目蓋を虚に開き、うわごとのように楓と桜が連れて行かれたと呟きました。「どこに」「誰に」と繰り返す朔兵衛の問いに雪は喋る気力もないのか口を閉したままでした。しかしその体には明らかに陵辱された跡がありました。
朔兵衛はありったけの薄布団で雪を包み込んでから家を飛び出しました。
朔兵衛はひどく混乱していました。いったい何が起こったのか全く分かりませんでした。兎にも角にも全力で道を駆け抜けました。いつのまにか陽は沈み、夜になっていました。薄闇の向こう、村の中心部がぼんやりと赤く染まっているのを見て、朔兵衛はようやく只事ではないことが起こっていると悟りました。たどり着いてみると庄屋の屋敷が大きな炎に包まれて燃え上がっていて、その揺らめく火の明るみが付近に転がっているいくつもの村人の死体を照らしていました。鎌を握ったまま腹から内臓を出して死んでいる男がいました。何か硬いもので殴られたのか老婆が顔があり得ないほどひしゃげていました。若い娘が雪と同じように身包みを剥がされて溝の中で死んでいました。
宵闇が深まる中、朔兵衛は放心しながらも火のついた木切れを松明代わりにふらふらと歩き続けました。村中が死人だらけでした。時折、うつ伏せた子供の死体があり朔兵衛はいちいちその顔を確かめました。けれど、どれも男児で楓と桜ではありませんでした。そして、なぜか女児の死体はひとつとして見当たりませんでした。
途中、まだ息のある村人に遭遇しました。
話したことはありませんが見知った男でした。
体を起こしてやると男は苦しげに血を吐き出しながらも朔兵衛に伝えました。
一揆の暴徒がこの村を襲ったこと。
村の若者の中にその集団を手引きをした男がいること。
その者は以前から素行が悪く、村八分にされかけていたこと。
またその者は暴徒の掠奪に乗じて村の女児を手当たり次第に縛り上げて荷車に担ぎ入れ、村から東に続く街道へと去っていったこと。
男はそこで大きく喀血して事切れました。
その若者のことなら朔兵衛もいくらか噂を耳にしたことがありました。成人しても野良仕事のひとつとしてまともにしたことがなく、昼間から酒を呑み、博打を嗜み、しかも幼ない女子を好む物狂いでどうしようもない親不孝者だという話でした。
再び駆け出しながらそれが確か、柿蔵という名であったと思い起こしました。何度か目にしたことのあるにやけた顔が目に浮かび、朔兵衛の血相が鬼のように険しく変わりました。そして娘たちの無事を念仏のように唱えながら朔兵衛は東へと続く街道をひた走ったのです。
けれど東の空が白む頃、朔兵衛の必死の願いは儚くも打ち砕かれました。
村から五里、街道からも一里ほど逸れた高台にある古い見張り櫓の袂。そこに目を覆いたくなる惨状が広がっていました。
無造作に積み重ねられた何体もの幼女の遺体。それは遠目に白い土嚢で作った小山のようでした。彼女たちの腹はみな同様に刃物で引き裂かれ、内臓が抉り出されていました。そしてまたみな同様に首がありませんでした。
朔兵衛は吐きました。胃の中には何もなかったので胃液だけが泡となって唇からだらりと垂れ下がりました。それでも朔兵衛は楓と桜がその中にいないか確かめようと、冷たくなった女児の体をひとつひとつ抱き上げては死体の山から退かして調べました。楓には左胸に、桜には右の肘に大きめの黒子がありました。朔兵衛はそれを目印を二人を見つけようとしていました。そのときでした。突然、頭に硬くて重い何かがぶつかり、朔兵衛は気を失ってしまいました。
眼を覚ますと朔兵衛は櫓の梁柱に縛り付けられていました。
朝日が昇ったのでしょう。ここに着いた時よりもずいぶん明るくなっていました。頭の後ろの方にズキズキとした痛みがまだ残っていて、目も少し霞んでいるようでした。耳に誰かの声が入りました。顔を向けると少し離れたところに三人の男が立っていました。そのうちの一人は柿蔵でした。柿蔵は両手に何かをぶら下げていました。一見、それはカボチャのようでしたが、目を凝らすとなんと人間の首でした。朔兵衛は思わず小さな悲鳴を上げました。するとそれに気がついた柿蔵が振り向いて気味の悪い笑みを浮かべました。
「こいつらを探しにきたんだろ。ほらよ、返すぜ」
柿蔵はそう言い放つと両手のものを朔兵衛に向けて投げ転がしました。
それは楓と桜の首でした。
朔兵衛は目を剥いて絶叫しました。そして無茶苦茶に暴れました。柱の後ろに麻縄で縛られた腕を振り解こうとして肩が外れ、手首の骨が折れました。けれどその激痛も感じないほどに朔兵衛は錯乱していました。
それを尻目に柿蔵がヘラヘラと笑い、楓と桜が自分に切り刻まれ、犯されながら「おとう、おかあ、助けて」と泣き叫んでいたと面白そうに話しました。するとそばにいた二人の男も笑って、朔兵衛の家で自分たちが雪をどのように凌辱したかを自慢げに語りました。
最後に柿蔵は以前から朔兵衛のことが疎ましかったのだと言いました。咎人の身分で別嬪の嫁をもらって子宝にも恵まれて、いったい何様のつもりだと唾を吐きました。そのうえ、外れ者にされていることを逆恨みして赤痢を流行らせたのはお前だろうと無知にも程がある疑いを掛け、だから一揆の暴動に乗じてお前の家を襲ったのだと白状しました。
朔兵衛は怒りと憎しみと狂気を解き放つように泣き叫び、櫓ごと押し倒すつもりで暴れました。柿蔵たちはその朔兵衛をせせら笑いながら去っていきました。
三日後、朔兵衛は衰弱して虫の息になっていたところを一揆衆を追って巡回してきた足軽武士に助けられました。
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