第2話 遭遇

 三日後、対策班の事務室の電話が鳴った。竜太が受話器を取り上げた。

「はい、こちら牛乃背村役場未確認生物対策班です」

 竜太が言い終わる前に、言葉尻に被せるようにして受話器からだみ声が響いた。

「駐在の近藤やけんど・・・出た、出た、出たぜよ!」

「出た? 出るものはいろいろとありますけど、いったい何が・・・」

「寝ぼけちゃあせんかねえ、出たゆうたらあれ!」

「ヘ?」

「アホウ。ガスと違う、あれ!」

「幽霊?」

「ユーレーじゃのうてユーホー! おまんらぁはUFOを探しゆうがやないかえ」

「UFOが出た! 本当ですか」

 竜太の声に、竹中班長と慎吾がガバッと身体を起こした。竜太は電話機のスピーカーをオンにした。近藤巡査の声が室内に流れた。

「儂が嘘を吐いてどうすりゃあ。とにかく、儂は地域巡回で天河集落にきちゅうけんど、世話役の星尾さんによると、光の球が二晩続けて出たそうじゃぜ。何でも、黒神山の尾根近くを光の球がフラフラと飛びよったがやと。集落の人が何人も見ちゅうらしいぜ」

 竜太の顔が珍しく精悍に引き締まった。慎吾は相変わらず二日酔いのラクダ顔だ。

「分かりました。直ちにそちらに向かいます」

 受話器を置いた竜太の顔を見て、竹中班長が頷いた。

「とうとう動き出したかねえ。よし、今度こそ観光課の尻尾を捕まえちゃるきに。中岡と坂本は軽トラで天河集落へ向かってつかあさい、儂は観光課の畑中主任を張り込むき。ビデオカメラと無線機を忘れんようにな。何かあったら無線機で連絡じゃ、分かっちゅうねえ」

 竜太と慎吾はオウと声を上げて威勢よく対策室を飛び出した。


 天河集落は牛乃背村の中でも特に山深い黒神山山系の中心部に位置している。黒神山を正面に臨む小黒山の台形状の山頂に設けられた天空の集落である。その姿は南米ペルーの謎の空中都市マチュピチュに似ている。牛乃背村役場から高知と徳島の県境に向かう県道を、車で小一時間も走らなければたどり着けない、秘境中の秘境である。

 未舗装の細い砂利道を、竜太の運転する軽トラは天河集落に向かって駆け登る。車一台分の幅員しかない曲がりくねった山道の片側は垂直の山肌、反対側は切り立った断崖絶壁で、ハンドル操作を誤ると数百メートル下の谷底まで真っ逆さまである。

 既に時刻は午後八時を回った。山道に外灯などはなく、間もなく新月を迎えるため空に月の光のない夜の道は、軽トラのヘッドライトが照らす範囲だけが、この世界で目に見えるものの全てである。それ以外は全てが漆黒の闇だ。しかし、その闇は虚無の闇ではない。闇に潜む植物や動物や昆虫の吐き出す生命の息吹に満ちたネットリとした質感を持つ濃密な闇である。

 標高が上がり、山道の頭上をトンネルのように覆っていた木々の枝が手品のように消えると、夜空には満天の星と満開の桜のように白く煙る天の川が横たわっていた。その下に、黒神山の異様な山容が黒く浮かび上がっている。

「慎吾さん、もうすぐ天河集落だよ」

「マッタク、生きた心地がせなんだわい。ガードレールを突き破って崖から落ちたら一巻の終わりやさかいな。ホレッ見てみい、両手は汗でびっしょりや」

 慎吾がぐっしょりと濡れた両手を竜太に見せた。竜太は横目でチラリと見て、ことも無げに言った。

「嫌だな慎吾さん、運転は任せてよ。といっても、ペーパードライバ―だけどね」

 慎吾の顔が引きつった。

「何やと?」

「運転免許は取ったけど、東京にいたときには車を運転したことはなくて、牛乃背村にきて初めて車を運転したんだ。あ、でもその分慎重に運転しているから大丈夫。たまにアクセルとブレーキを踏み間違える程度だから」

 そう言った途端、軽トラがガクンと揺れた。慎吾が悲鳴を上げる。

「それを早う言え! それやったらワイが運転するがな。こう見えてもワイは元暴走族やど。大阪ではブイブイ言わしとったんや」

「本当?」

「ほんまや。但し、三日でやめたけどな。典型的な三日坊主、ちゃうわ、三日暴走族やな。いやいや、明智光秀や、三日天下や」

「それって、自慢できるのかなあ・・・最後は殺されちゃったし」

 そのとき、竜太の運転する軽トラの周囲が昼間のように明るくなった。スポットライトを浴びているかのように、軽トラだけが光の輪の中に浮かび上がっている。

 突然軽トラのエンジンが止まった。竜太が慌ててブレーキを踏むと、つんのめるようにして軽トラは止まった。

「止まってしもうたやないけ。早速アクセルとブレーキを踏み間違えよったな」

「違う違う、いきなりエンジンが止まったんだ」

 竜太がイグニッションキーを回しても、スターターは何の反応もせずエンジンはうんともすんとも言わない。

「ダメだ、エンジンが掛らない。どうしたんだろう」

 慎吾が軽トラの周囲をキョロキョロと見回している。

「なあ、竜ちゃん。何でこんなに明るいんや」

「分からないけど・・・もうすぐ新月だから月の光ではないね。外灯かな?」

 そう言っている間にも、軽トラを照らす光は増々強くなっていく。ダッシュボードが焼けてチリチリと煙が上がる。

「外灯ちゅうても、そんなもんどこにも立っとらんで。それにこの軽トラの周りだけが明るいちゅうのも、おかしいやないけ。それに何や、ドンドン暑うなってきよったでぇ」

 慎吾の言うとおり、人工物が何もない山道の上に止まっている軽トラだけが、狙いすまされたようにずっと光の環の中にあるのだ。

 突然、軽トラのワイパーが動き出した。それと同時にクラクションが悲鳴のように鳴り出した。軽トラの車体がガタガタと左右に揺れる。

「竜ちゃん、いくらペーパードライバーやいうても、こんな無茶したらあかん」

「誤解だ。私は何もしてないって・・・ああ、慎吾さん、上・・・軽トラの上に何かがいる」

 ハンドルに掴まって左右に揺れる身体を支えながら竜太が言った。

 慎吾が軽トラの窓を開けて、車外に上半身を乗り出すようにして上を見た。さすがは元暴走族、箱乗りは得意なのだ。

「ウワッ眩しい・・・光の球や・・・これは、UFOや・・・UFOが軽トラのすぐ上に浮かんどるんや!」

 強烈な光に耐え切れず、慎吾は慌てて車内に戻った。慎吾の髪の毛から薄っすらと煙が上がっているが、動転している慎吾はそれに気づかない。

「慎吾さん、ビデオ! ビデオカメラを回して! それと、竹中班長に無線連絡を!」

「アホッ、ふたつもいっぺんにようせんわ。とにかく証拠や、ビデオカメラや」

 慎吾は足元に置いてあるバッグを開いてビデオカメラ取り出すと、電源スイッチを入れた。しかし、バッテリーが切れているのか、ビデオカメラは動かない。

「アカン、動かへん。どうなっとるんや」

 竜太と慎吾には永遠のように感じられたが、その状態が続いたのは、実際にはものの一分ほどだった。何の前触れもなく、軽トラを照らしていた光がスウッと消えた。ワイパーが止まり、クラクションが鳴り止むと、軽トラの振動がパタリと止んだ。

 途端にビデオカメラが動き出した。

 慎吾が軽トラの窓から再び車外に上半身を乗り出してビデオカメラを構えたが、軽トラの上空にあった光の球は消えていた。

「どこや! どこに行ったんや!」

 軽トラの上空を見回して慎吾が叫ぶ。竜太は軽トラの前方を指差した。

「慎吾さん、前! UFOは黒神山に向かって飛行している!」

 つい先ほどまで軽トラの上空にいたはずのUFOが一瞬のうちに移動し、数キロ先の上空を黒神山に向かって飛行していた。

「よっしゃ見えた! ビデオカメラにもちゃんと撮れとるでえ。竜ちゃん、追跡や」

「ラジャー」

 竜太がイグニッションキーを回すと、キュルキュルというスターターの音に続いて、軽トラのエンジンが息を吹き返した。砂利道の小石を蹴立てて軽トラは急発進すると、黒神山に向かって走り出した。

「竜ちゃん、分かっとるやろうけど、安全運転やで」

「任せてくださいよ。向こうが未確認飛行物体なら、こっちは無確認走行物体だ。ペーパードライバーの底力、怖いものなしパワーを舐めるなよ」

「こらあかんわ」

 怖いものなしの竜太の運転する軽トラは、怖いもの知らずの豪快なハンドリングで曲がりくねった山道のコーナーを攻めていく。砂利を蹴立てながらテールを振り、真横を向きかけた車体を、カウンターを当ててコーナーの出口に向けるとアクセルを踏む。軽トラは見事な四輪ドリフトで次々とコーナーを駆け抜けた。元暴走族の慎吾はカーブが近づくたびに「ああ」とか「ひゃあ」とか悲鳴を上げて、助手席で身体を強張らせている。

「竜ちゃん、スピード・・・スピードを・・・」

「何ですか慎吾さん・・・え? もっとスピードを上げろ? そんな無茶な・・・分かった。崖から落ちても知らないよ」

「ちゃうちゃう・・・落とせ・・・スピードを落とせちゅうとるんじゃ」

「え? 良く聞こえない・・・」

「ヒイイ・・」

 先程まで遥か前方に見えていたUFOとの距離が徐々に縮まり、軽トラとUFOとの距離は百メートルほどになっていた。UFOは何かを探しているのか、速度を落として山道に沿ってゆっくりと飛行している。山道は黒神山の七合目付近に差し掛かっていた。

 大きなカーブを四輪ドリフトで駆け抜けた軽トラの目の前にUFOが止まっていた。

「危ない!」と竜太。

「ブレーキや!」と慎吾。

 ふたりの口から咄嗟に出た叫び声が重なった。竜太が叩きつけるようにブレーキペダルを踏む。竜太のフルブレーキングで軽トラのタイヤはロックし、砂利道の上を軽トラはつんのめるようにザザザと滑った。車は急に止まれないのだ。目の前にUFOが迫る。

 ガシャン!

 軽トラは路上に停止していたUFOにおかまを・・・失礼、UFOに追突して止まった。軽トラのバンパーとフロント部分がへこみ、右のヘッドライトが割れた。

軽トラの運転席でハンドルを握ったまま竜太がかすれた声を出した。

「やっちゃった・・・」

 助手席で慎吾がフウと安堵の息を吐いた。

「ほれ見てみい、言わんこっちゃない」

「・・・それで、どうしよう」

「どうしようって言われてもなあ・・・相手はUFOとはいえ追突事故は追突事故やさかいなあ・・・衝撃的な第二種接近遭遇や。・・・いやいや、接近どころか接触や、追突遭遇やないけ」

 軽トラの前には前後の長さ六メートル、横幅が四メートルの楕円形をしたUFOが止まっていた。UFOの中央部分は半分に切った卵を伏せたように盛り上がっている。そこが操縦席なのだろう。その姿は巨大な麦わら帽子を連想させる。軽トラにぶつけられた部分が壊れたのか、後部の一部がへこんで、割れた破片のようなキラキラとしたものが地面の上に落ちている。

 UFOの側面に幅一メートルの切れ込みが入ったかと思うと、その部分がゆっくりと持ち上がった。出入口なのだろう。中から薄緑色の柔らかな光が外に漏れている。そして、そこから何かが降りてきた。

 身長は一メートル二十センチほど。二本の腕と二本の足があり、人間の姿に似ているが頭部が異常に大きい。全身が濃い緑色をしていて、頭部に付いている黒い眼らしきものは極端に大きく、目尻がつり上がっている。見た目は典型的な宇宙人である。

「竜ちゃん・・・あれ・・・何か降りてきよったでえ」

「慎吾さん、宇宙人・・・宇宙人だ。第三種接近遭遇だ! 宇宙人は本当にいたんだ!」

 軽トラの運転席に座ったまま、竜太と慎吾は口をパクパクさせて宇宙人を見ていた。ふたりの反応は当然である、何せ人類最初の異星人との遭遇なのだから。

 宇宙人は何やら首の部分を擦るように手を当てながら、ゆっくりと軽トラに向かって歩いている。追突事故でむち打ち症になったのかも知れない。そして運転席の外に立つと、窓ガラスをコンコンと叩いた。思わず竜太が軽トラの窓ガラスを開けた。

『ドコニメヲツケテ ソウジュウシテイルンダ コノヘタクソ ボヤットシテナイデ オリテコイ』

 全宇宙言語自動翻訳機を経由した機械的な声が流れた。宇宙人の首に巻かれた翻訳機のスピーカーから流れてきたのだ。竜太と慎吾は顔を見合わせた。

「・・・今、降りてこいって言ったよね」

「そやな、竜ちゃん。追突事故やさかい、まずは謝らなあかんやろな」

「というか、地球語いや日本語を話せるんだ」

 宇宙人が苛立たし気に声を荒げた。

『ナニヲ ゴチャゴチャ イッテイルンダ』 

「ハイハイ、分かりました。只今降ります」

 竜太は運転席のドアを開けて軽トラの外に出た。軽トラの外では宇宙人が腕組みをして竜太を見上げている。竜太はゴホンとひとつ咳払いをしてから、取って付けたようなぎこちない笑みを浮かべた。地球人の代表として恥ずかしい姿は見せられないのだ。

「えーと・・・あのう・・・初めまして、私は地球人で名前は坂本竜太と申します。えーと・・・遠い星からはるばるお越しいただき、地球人を代表して感謝申し上げます。ユーアーウエルカム」

『アヤマレ』

「は?」

『マズアヤマレヨ オマエガ ツイトツシテキタンダカラナ』

「追突?・・・ああ、これ?・・・誠に申し訳ございませんでした。いやいや、こんな暗い夜にハザードランプも点けないで、しかもカーブのすぐ先で道いっぱいに停車していたら、ぶつかりもするよ。あなたにも過失はあるんじゃないの」

 謝ってばかりもいられないと竜太が食って掛かった。宇宙人がムッと顔を上げた。

『コッチハ トマッテイタンダ ゼンポウフチュウイノ オマエガワルイ スグトマレルソクドデ ソウジュウスベキダッタ』

「そりゃそうだけど・・・でも、私が百パーセント悪いなんておかしいでしょ。悪くても七三いや六四じゃないかな」

 竜太の抗弁を無視するように、追突されてへこんだUFOの破損部分を覗き込んで宇宙人が言った。

『コッチハ シンシャナンダゾ アーア ハンジュウリョク スイシンソウチガ コワレテイル コレジャ トベナイジャナイカ ン? ツウシンソウチモダメカ ソレニ クビガイタインダ ドウシテクレル』

 宇宙人はそう言うと、わざとらしく首に手をやって頭を左右に振っている。

「首が? むち打ち症かな・・・宇宙人にも首がある?・・・あのう、シートベルトはしていましたか?」

『シートベルトトハ ナンダ ソンナモノハ ツイテイナイ』

 宇宙の科学技術の粋を集めたUFOにシートベルトなど不要なのだ。

 しめたと思った竜太が嵩にかかる。

「シートベルトがない? 新車なのに? 違法改造車じゃないか」

『イヤイヤ ソモソモ トマッテイタンダカラ シートベルトハ カンケイナイダロウ』

「違法改造車を運転していたんでしょ、保険会社いや警察が何て言うか聞いてみようよ。そうだ、あなた免許証は? 日本の運転免許証は持っているんだろうね」

『ソレハ・・・ナイ』

 ガクリと項垂れた宇宙人の言葉が消え入るように小さくなった。竜太が鬼の首を取ったように声を張り上げた。

「持っていない? 無免許運転じゃないか!」

 軽トラの助手席から慎吾が降りてきて竜太の隣に立った。

「何や竜ちゃん、揉めとるのかいな。無線で駐在さんに一報しといたでえ。天河集落に地域巡回にきとるから、直ぐに現場検証のためにこっちにきてくれるそうや。それにな・・・」

 現場検証という言葉を聞いて、心なしか宇宙人の肩がビクンと動いたようだ。慎吾は意味ありげに竜太に目配せをすると、竜太を少し離れた場所に引っ張って行った。慎吾は宇宙人に聞こえないように声を潜めた。

「あいつ、ほんまに宇宙人か? あのUFOかて、ほんまもんかどうか分からんでえ」

 慎吾に合わせて竜太も声を潜める。

「慎吾さん、何を言っているんです?」

 打てども響かぬ竜太に慎吾がじれったそうに身を捩った。

「せやから、観光課や。竹中班長が言うとったやろ。ワイと竜ちゃんを目撃者に仕立てて信じ込ませる、それが観光課のやり方や。そもそも宇宙人が日本語を喋ること自体おかしいやないけ。しかも、UFOは追突されたせいで空を飛べんようになって、通信もでけんやて? 都合よすぎるやろ」

 そういうと、慎吾は背後の宇宙人にチラリと目をやった。宇宙人は首を抑えたまま、未練がましくUFOのへこんだ部分を擦っている。

「なるほど・・・目から鱗が飛び出した。慎吾さんの言うとおりだ」

「そやろ。駐在さんを呼んで現場検証する言うたら、あいつ驚きよった。そらそうや、駐在さんに現場検証されたら嘘やとバレるさかいな。今に見てみい、あいつどこかに姿を隠しよるで。そしたら残された飛べないUFOとやらが証拠や。これで観光課の捏造を暴いたるでえ」

 竜太の顔がパアッと晴れ渡った。

「慎吾さん、素晴らしい。それでミッションコンプリートだ」

「さあ、竜ちゃん。あいつが逃げられるように、知らん顔しとこ。みっちゃん道々コンクリートや」

 竜太と慎吾は顔を見合わせるとウヒヒと笑い、取ってつけたようにあさっての方を向いて口笛を吹いたり、夜空を見上げて「ああ、星がきれいだ」などと呟いている。

 ものの十分ほどで、赤い回転灯を付けたジープが天河集落方面から山道を登ってきた。近藤巡査の到着である。

 ジープは軽トラの五メートル後ろに止まった。近藤巡査はジープから降りると、竜太と慎吾に向かってゆっくりと歩いてきた。手には事故状況聞き取り用のメモを持っている。

「追突事故を起こしたがかねえ。運転は誰がしよったがかね」

 近藤巡査の質問に、慎吾はこいつだと言わんばかりに竜太を指差した。

「この坂本竜太です。ワイがスピードを落とせっちゅうても言うことを聞かんもんで、結局このざまですわ」

 竜太が口を尖らせる。

「慎吾さん、酷い。急がしたのは慎吾さんじゃないか・・・いや、あのう・・・UFO追跡という公務の要請を果たすための緊急措置だったとご理解ください」

「なんじゃそりゃ。とにかく、運転者は村役場の坂本君じゃね。追突した車は役場の軽トラと・・・。免許証と車検証を用意しちょって。それで、追突されたのは・・・これ? えらいでっかい車じゃねえ、外車かえ。フェラーリ? すごいねえ。こちらの運転手は?」

 竜太と慎吾はUFOを見た。宇宙人いや観光課の手先は姿をくらませているに違いない。ほくそ笑んでいた竜太と慎吾は、UFOの横にぼんやりと立っている宇宙人を見て唖然とした。逃げなかったのか。

 近藤巡査は驚いたような顔でUFOをキョロキョロと眺めてから、UFOの脇に立っている宇宙人に声を掛けた。

「おまんが追突された車の運転手さん? お名前は?・・・ヤムダン・デズ・タロナ? 外人さん? ヤムダタロナ・・・ああ、山田太郎さんね。すまんけんど、免許証と車検証を拝見します・・・え? 持ってない? 持ってないってどういうことじゃろ、無免許運転かえ。はあ? 車検証もないって・・・本当や、ナンバープレートが付いちゃあせんわ。たまるか、おまん何をしゆうぜ、こんな無茶なこと。住所は? アキオス星団群1149番恒星ウマンギル第七番惑星ヤナシス? 何を言いよるろ、さっぱり分からんぜよ・・・ん? アキ・・・ウマ・・・ああ、分かった、安芸郡馬路村魚梁瀬1149番地ね、隣村やないの。おや、首をどうしたが・・・首が痛い? むち打ち症じゃあないかね。救急車を・・・いらん? 我慢できる? ほんならえいか」

 近藤巡査は事故状況聞取りメモにペンを走らせながら、竜太に向かって言った。

「坂本君、免許証と車検証を持ってきてつかあさい。ちょうどえいわ、中岡君、カメラを持っちゅうろ。現場写真を撮影してくれんろか」

 近藤巡査による現場検証は十五分ほどで終わった。

「はい、それじゃあ今日のところは帰ってえいき。気を付けて帰ってつかあさい。山田さん、無免許運転の件は別途連絡するきね。それと山田さん、分かっちゅうと思うけんど免許証を持っちゃあせんし、車検証のないフェラーリには乗って帰ったらいかんぜ。ここに置いちょったら邪魔になるき、この先の空き地に入れちょって。明日レッカー車を手配してけん引してもろうて。え? そもそも車が動かん? フェラーリが・・・外車はこれやき困る。仕方ないき、みんなでこの先の空き地まで押しちゃって」

 竜太と慎吾と近藤巡査が後ろから押すと、宙に浮いているからだろう、UFOは滑るように動いた。

「竜ちゃん、やっぱりやな。この図体にしては軽すぎるわ」

「慎吾さん、これは観光課が造った張りぼての模型だ、間違いない」

 竜太と慎吾はUFOのあまりの軽さに顔を見合わせて頷いた。

 三十メートルほど先に山肌から流れ落ちる小さな滝があり、その周囲にちんまりと広がる空き地にUFOを突っ込むと、倒れた笹の枝を被せてUFOを隠した。

 近藤巡査は、竜太たちに向かって「それじゃあ」と言いながら敬礼をすると、ジープに乗って帰って行った。今晩は天河集落で泊りらしい。

 途方に暮れたように立ちすくむヤナシス星人ヤムダン、いや、魚梁瀬村在住山田太郎の背中に竜太が声を掛けた。

「山田さんでしたっけ、夜も遅いですから牛乃背村まで送りますよ。首が痛いなら診療所で診察して貰えばいい。それと道々いろいろとお話を伺いましょうか。え? 何の話だ?・・・しらばっくれて。あなたは観光課の手先なんでしょう。足がつかないように隣村の人を雇うなんて、観光課も手が込んでいる。とにかく、さあ、車に乗って」

 竜太と慎吾に両脇を掴まれて、引きずられるようにして軽トラに連れて行かれるヤムダンの姿は、古い雑誌に載っていた『捕えられた宇宙人』の写真そのものだった。


 竜太の運転に懲りたのだろう、帰りの軽トラは「是非に」と懇願した慎吾がハンドルを握っていた。既に時刻は午後十時を回っている。慎吾は元暴走族とは思えぬ安全運転でゆるゆると山道を下って行く。

 運転席の慎吾と助手席の竜太の間に挟まれて座っているヤムダンは、首を擦りながら無言で前を向いていた。身長が百二十センチしかないヤムダンの両足は床に届かず、ブラブラと揺れている。ヤムダンの頭部が異常に大きいのは、フルフェイスのヘルメットを被っているからだった。大きくつり上がった両目のように見えるのは、ヘルメットに装着されているシールド兼ゴーグルだ。濃い緑色の身体は上下一体のウエットスーツを着ているようだ。

 竜太はヤムダンの肩を指で突いた。

「さあ、山田さん、そろそろヘルメットを脱いで顔を見せなさいよ。そんな恰好じゃ話もできやしない。それに夜とはいえもう六月だよ、そんなウエットスーツを着たままじゃあ暑いでしょうに。いいんだよ、正体はバレているんだから。ここまできて観光課に義理立てすることもないだろう」

 ヤムダンは首に巻かれた全宇宙言語自動翻訳機の調整つまみをカチカチと回した。機械的だった声が徐々にスムーズな日本語に変換された。素晴らしい学習能力だ。

『アナタガタは 何カカンチガイをしている 私ハ ヤナシス星人 ヤムダンだ』

「分かってますよ、馬路村魚梁瀬の山田さんでしょ。うちの村役場の観光課に雇われた。ネタは上がっているんだ、いい加減にそろそろ白状しなさいよ!」

 竜太がうんざりしたように声を荒げた。ヤムダンはヤレヤレと首を横に振った。

「違う、私はヤナシス星人・・・仕方がない、納得してもらうには顔を見せるしかないようだ。グフフ、驚くなよ」

 ヤムダンの素顔を見た地球人たちの、驚きおののく顔が目に浮かぶ。

 ヤムダンはヘルメットの首元の部分に指を当てると、小さなボタンを押した。プシュッという気体の漏れる音がして、ヘルメットとウエットスーツの結合部分が外れた。ヤムダンは両手をヘルメットに添えると、ゆっくりとヘルメットを脱いだ。

 頭部には毛髪は一本もなく、頭頂部にはサイのような大きな角が一本生えている。顔はのっぺりとしていて、大きく秀でた額に比して顎が細く逆三角形の形をしている。目は糸のように細く、鼻は顔の中心よりやや上に穴が三つ開いているだけで鼻梁はない。その下にくちばしのように厚ぼったい唇がおちょぼ口のように付いている。顔の横に付いている耳は耳たぶが異常に大きくて長い。そして顔全体に無数のしわが刻まれている。顔色は死人のように青白い。

 ヤムダンの顔を見た竜太が思わず声を上げた。

「あなたは確か吉木新喜劇にいた・・・ええっと・・・ああ、名前が出てこない・・・丁稚の役をやってたよね・・・そうだ、滑って転んで『痛った~』言うのが持ちネタの・・・最近姿を見ないなあと思ってたら、こんな山奥に引っ込んでいたんだ。ああ、頭の天辺に大きな瘤ができているじゃないの。さっきの追突事故でぶつけたんだな。こりゃ痛そうだ」 

 慎吾が不思議そうに竜太に尋ねた。

「何や竜ちゃん。この爺さんのことを知っとんのかいな」

「ええ、吉木新喜劇の芸人さんだよ、名前は忘れたけど。本名は山田だったんだ。なるほど、宇宙人に化けるのはお手のものということか。何せプロだから」

「ムウウ、観光課のやつらめ、手が込んどるやないけ」

 竜太と慎吾の反応を見て、ヤムダンは唖然としていた。この顔を見れば異星人だと誰でも気付くはずなのに、この地球人ふたり組はバカなのか? ヤムダンの脳裏に恒星間航行艦艦長兼司令官ゾアスの声が響いた。

《地球人との接触は極力避けること。ミッション遂行のためにやむなく接触する場合も、接触後は記憶消去装置により記憶を消去して、我々の痕跡を残さないこと。未開の地求人に我々の存在を知らしめることは時期尚早なのだ》

 このふたりの地球人が、自分を地球人だと勘違いしているのなら、それでいいのだ。このまま、地球人のふりをしてミッションを遂行し、恒星間航行艦からの救出を待てばよいのだ。

 ヤムダンは観念したように首をガクリと落した。

「ばれてしまっては仕方がない。あなた方の言うとおりです」

 竜太と慎吾は顔を見合わせた。とうとう観光課の捏造である証拠が取れた。偽物の宇宙人役を請け負った証人から自白が得られたのだ。

「山田さん、正直に答えて頂いて感謝します。それじゃあ明日の・・・あ、明日は土曜日か・・・それじゃあ月曜日に一緒に村役場に行って、関係者の前で証言してくれますね」

「分かりました」

 ヤムダンは頭の中で考えた。土曜日・・・月曜日・・・確か地球の暦だと間に日曜日が入るはずだ。そうするとミッションのタイムリミットまで地球時間で四十八時間以上の余裕があるはずだ。それならばミッションは達成できそうだ。

 ヤムダンの返事を聞いて、竜太はホッとした顔で言った。

「それじゃあ・・・うん、それまでは私の下宿で面倒を見るよ」

「そやな、逃げられたら厄介やさかいな。よっしゃ、ワイも竜ちゃんの下宿に泊り込むわ。それにしても山田はん、あんたけったいやな、首から声が聞こえるで」

「病気で声が出なくなったため、機械を使っているのです」

 ヤナシス星の科学の粋を結集した全宇宙言語自動翻訳機を使用していることを未開の地球人に教える訳にはいかない。

「ああさよか、人工声帯ちゅうことかいな」

 竜太がアアと顔を曇らせた。

「そうか、それで新喜劇の舞台からも身を引いたという訳か。そして、こんな山奥に隠棲して・・・これは失礼なこと聞いてしまった。申し訳ありません」

 竜太が素直に謝った。対策班のお気楽コンビは完全に誤解している。

 慎吾の運転する軽トラが、県道から竜太の下宿先のある楠ノ瀬集落に延びる細い山道に入った。竜太の下宿先はもうすぐである。


 楠ノ瀬集落は、牛乃背村の中心街とも言える村役場前の牛乃背集落から離れて、山に向かって急な傾斜の道を二十分ほど登ったところにあった。山の中腹に貼りつくような細い平地に、五軒の家が身を寄せ合うようにして建っていた。山間部に広大な面積を有する牛乃背村には、山の尾根や谷のあちこちに、このように複数の家が集まった集落が点在しているのである。

 急な上り坂を青息吐息で何とか登り切った軽トラが楠ノ瀬集落に入った。既に時刻は午後十一時を過ぎている。老人ばかりが暮らす楠ノ瀬集落にあっては草木も眠る深夜である。家々の灯りは消えているが、竜太の下宿先の楠ノ瀬寅子の家だけがポツンと門灯を点けていた。軽トラを玄関脇に止めると、三人は軽トラから降りた。

 竜太が玄関の鍵を取り出そうとポケットに手を突っ込んだときに玄関に灯りがともり、中で人影が動いた。ガラガラと玄関のアルミサッシが開いて家主の楠ノ瀬寅子が顔を出した。わざわざ起きて竜太の帰りを待っていてくれたのだ。

 寅子はこの集落の最年長の九十七歳。ゴワゴワの長い白髪を首の後ろでまとめていて、手ぬぐいを姉さん被りにしている。萎びたキュウリのように細長い顔には、これでもかとばかりにしわが寄っている。ギョロリとした目は垂れ下がった瞼で半分塞がっていて、その下の鼻は指で摘まめないほど低い。鶴のように痩せていて身長は竜太の胸のあたり。最近では見かけない、典型的な田舎の老婆である。

 竜太が寅子に声を掛けた。

「申し訳ありません、遅くなりました。あのう・・・」

 竜太を見る寅子の皺だらけの顔に更にしわが寄った。たぶん笑みを浮かべているのだ。その証拠に声音が優しい。

「お帰り。おや、連れがおるがかねえ。どうぞ中へ入ってつかあさい。竜ちゃんご飯は? まだ? お連れさんも・・・。ほんなら何か腹に入れるもんをチャチャッと作るき、その間にお風呂でも入っちょって」

 寅子はそう言うと、竜太たちに背を向けて家の中に入った。顔はともかく気は優しくて面倒見は良いのだ。決して山姥の類ではない。夜中に包丁を研いだりもしない。

「それじゃあ慎吾さん、山田さん、どうぞ。・・・ん? 山田さん、どうしたの」

 ヤムダンが糸のように細い目をいっぱいに見開いて、口をポカンと開けている。

「いまの美しい方は、どなたです」

 ヤムダンの頬が心なしか薄紅色に染まっている。瞭太の背中にゾワリと悪寒が走った。

「美しい? 誰が? 寅子婆さんのこと?・・・山田さんまさか」

 慎吾が竜太の脇腹を小突いた。気が利かないやっちゃと言いたげな顔だ。

「竜ちゃん、蓼食う虫も好き好きやでぇ。恋や、老いらくの恋や。枯れ木に花が咲いたんや」

 慎吾の声はやけに嬉しそうだ。こういった話が大好きなのだろう。竜太は唇を尖らせた。

「マッタク、慎吾さんは無責任な。とにかく上がってよ」


 竜太の部屋ではヤムダンがテレビの前に座り、興味深げに画面を見つめていた。その横でジャージ姿の竜太は畳に寝そべって、ヤムダンの様子をボンヤリと見ている。

 カラリと襖が開いて慎吾が部屋に入ってきた。首からタオルをぶら下げて、借り物の浴衣を着ている。

「ああ、いい風呂やった。お先にすみませんやな。次は? 山田はんどうぞ。もうすぐ飯の支度がでけるそうやさかい、パパッと入っておいでえな」

 ヤムダンの視線がテレビ画面から慎吾に移った。

「風呂とはなんですか」

「何や、山田はんは・・・あ、なるほど。山田はんとこは湯ぶねやのうてシャワーでっか。芸人さんはハイカラやさかいな。竜ちゃん、連れて行ってあげなよ」

 竜太がよっこらしょと立ち上がった。入れ替わりに慎吾がテレビの前にごろりと横になる。

「はいはい、それじゃあ山田さん、行こうか。この家は五右衛門風呂だから入り方に注意してね」

 竜太が連れて行った先は、三十ワットの裸電球がひとつだけ灯った脱衣場で、その先の引き戸を開けると、畳二畳分ほどの広さの洗い場があり、その向こうに大きな風呂釜が鎮座していた。竜太は風呂釜に手を入れて、ジャブジャブとお湯をかき混ぜた。

「ああ、丁度いい具合だ。もし熱かったら水道の水でうめればいいよ。これは五右衛門風呂だから、風呂釜に入るときは中に浮いている底板の上に乗ってそのまま入るんだ、風呂釜の底が熱くなっているからね。着替えはこれ。いま着ているウエットスーツは洗濯籠に入れておけば、寅子婆さんが洗濯してくれるから。それじゃあごゆっくり」

 竜太が去った後に、ひとり残ったヤムダンは手首に巻いている物質探知機を風呂釜に向けた。周囲の容器の主成分は鉄。その容器の中に入っているのは大量の一酸化二水素だ。その他、微量のミネラルと有機物が検出されたが、ヤムダンの身体に害はなさそうだ。一酸化二水素の上に浮いている物体は、セルロース、ヘミセルロース、リグニンの集合体だ。地球上の植物の組成物のようだ。

 一酸化二水素の現在の温度は沸点マイナス五十九度、こんな高温には耐えられない。竜太の指差した水道装置を見たが、どこにも操作ボタンらしきものがない。物質探知機で構造を調べると、上部の回転部品を回すことで中の部品が上下して、圧力の掛けられた一酸化二水素が放出されるという極めて原始的な仕組みだ。この機器の中の一酸化二水素の温度は沸点マイナス八十八度。ヤムダンは蛇口ハンドルを回して風呂釜の中に低温の一酸化二水素を大量に投入した。

 脱衣所で地球上活動用に着用している耐熱・耐圧・耐衝撃スーツを脱ぎ、洗濯籠に放り込むと、ヤムダンはザブンと風呂釜に入った。

 途端に足元の底板がひっくり返り、ヤムダンは湯の中に頭から沈み込んだ。ゴボゴボゴボ・・・息ができない。ヤムダンは手足をバタつかせて必死に体勢を立て直すと、何とか水面から顔を出した。足の裏が風呂釜の底に当たる。熱い!・・・ヤムダンは風呂釜から飛び出した。

・・・まったく、死ぬかと思った。そうか、バランスを取って、この上に乗るのか・・・

 今度は底板の上に慎重に身体を預けて、ゆっくりと風呂釜の中に入った。

・・・! これは気持ちがいい、素晴らしいじゃないか・・・

 風呂が気に入ったヤムダンは、頭からザブザブとお湯をかけ、バシャバシャと顔を洗うと、ヤナシス星語で鼻歌を歌い始めた。ヤナシス星ではこれほど大量の一酸化二水素を惜しげもなく使うことなどあり得ないのだ。

『*%#@**~*&$#*・・・』

 風呂場からゴキゲンな歌声が響いている。竜太の部屋のテレビの前で、竜太と慎吾が顔を見合わせた。

「何だか不思議な歌だ。何を言っているのかさっぱり分からないや」

「人工声帯を外しとるんやろう。よう分からんけど、ゴキゲンさんやな。そうか、自白すると決めて、心の中のわだかまりが消えたんやな」

 二十分も風呂に入って、すっかり茹ったような顔をしたヤムダンが部屋に帰ってきた。頭にタオルを巻いて、寅子の孫が置いていったという子供用のパジャマを着ている。パジャマの胸に付いている絵は、カニタン星人と戦うワルトラマンである。

 入れ替わりに竜太が風呂場に向かった。裸になり、鼻歌交じりに風呂釜の中にザブンと飛び込んだ竜太の口から悲鳴があがった。

「ヒイイ、冷たい! 水じゃないかあ!・・・」

 ヤナシス星人の風呂の適温は、一酸化二水素の沸点マイナス八十度、すなわち摂氏二十度なのだ。


 翌朝はからりと晴れた晴天だった。六月初旬ともなれば、早朝とはいえ初夏の日差しは強く、降り注ぐ紫外線の量は夏場とそん色がない。

 寅子婆さんの家は瓦葺の平屋で、前庭に面して縁側が付いている。家の敷地は胸の高さほどの山茶花の生垣で囲まれていて、その中には小さな畑があって、キュウリやトマトやネギなどの野菜が植えられていた。それらの野菜の間を三羽の放し飼いの鶏がせわしなく歩いて、時折くちばしで地面を突いている。家の背後を小さな沢が流れているのだろう、サラサラという水の音が聞こえている。

 ヤムダンはパジャマ姿のまま縁側に立って、がく然として外の景色を見ていた。ヤムダンの手首に巻かれた物質探知機が、基準値をはるかに超える高エネルギー短波長電磁波(紫外線)を検知してピーピーと警報を発している。

 その強烈な紫外線をものともせずに、恐ろしい顔をした巨大な生物が三体、鋭利な牙状の突起で地面を突きながらコッコと鳴いている。あんな恐ろしい生物に襲われたらひとたまりもない。庭先の物干しざおの先には、地球上活動用の保護スーツがぶら下がっていた。寅子が洗濯してくれたのだ。

 この強烈な紫外線の中を保護スーツなしで活動することは、皮膚の弱いヤナシス星人にとって致命傷になりかねない。ましてや、あんな恐ろしい生物がそこらじゅうにウヨウヨいるのだ、命が幾つあっても足りない。竜太たちの目を盗んで秘かにミッションを遂行しようと考えていたヤムダンは途方に暮れた。寝ぼけ眼の慎吾が山田の背後に立った。慎吾の髪の毛は嵐の海のように逆巻いている。

「おはようさん。ああ、ええお天気や。ん? 山田はん、どないしたんやそないな顔をして。けったいな顔が更にけったいになっとるやないけ」

「慎吾さん、この強烈な高エネルギー短波長電磁波、いや『紫外線』はいつまで降り続くのですか」

「ああん? 紫外線? そらあんた、お天道様が空にある限り降り続くんや。空に太陽がある限りやな」

 ヤムダンは愕然とした。

「それでは、太陽が上空にある間は活動できないのですか」

「何を言うてはるんや、昼の間に動かんでいつ動くいうねん。ははーん、山田はんは夜型人間や言いたいんやな。なにせ天下の吉木新喜劇の芸人やしな。そんな不健康な生活しとったら早死にするでぇ。ほれ、外へ出て、ラジオ体操でもしよやないけ」

 縁側から前庭へ下りようと、慎吾がヤムダンの手を引いた。餌でもくれると思ったのか、三羽の鶏が縁側の近くに集まってきた。心なしか鶏はヤムダンを睨みつけているように見える。鶏にはヤムダンが異星人であることが分かるのだろう。竜太や慎吾よりよっぽど優秀だ。ヤムダンに向けられた鶏のくちばしが朝日を受けてギラリと光った。ヤムダンの顔が恐怖で引きつった。

「やめて、死ぬ、死んでしまう!」

 ヤムダンは慎吾の手を振り解くと、縁側に突っ伏した。慎吾は呆れた顔でヤムダンを見下ろしている。

「何や大げさな」

 声を聞きつけて竜太がヒョコリと縁側に顔を出した。

「どうしたの、慎吾さん」

「ああ、竜ちゃん。山田はんがええ年こいて、紫外線が嫌や言うてごねよるんや」

「紫外線が?」

 竜太はピンときた。山田は腐っても吉木新喜劇の芸人だ。肌の手入れには人一倍気を遣っているのだろう。さすがはプロだと、竜太は心の中で感心した。

「ああ、それじゃあ日焼け止めクリームを塗ればいいよ、強力なやつ。但し、成分が強すぎて肌がガッサガサに荒れるけどね。その上で麦わら帽子でも被れば十分でしょ。それと、山田さん、首は? まだ痛い?・・・それじゃあシップ薬も貼ろう、でっかいやつ。但し、よく効くんだけど死にたくなるぐらい臭いが酷くて・・・ハハハ、気にしない気にしない」

 寅子婆さんが、朝食ができたと呼びにきた。

 座卓の前に座るヤムダンの顔や手は日焼け止めクリームのせいで白粉を塗ったように真っ白になっていた。首の後ろには大きな白いシップ薬がこれ見よがしに貼り付けてある。禿げ頭にはタオルを巻いたままだ。

 寅子婆さんの正面に座るヤムダンは、寅子婆さんの顔を見てポッと頬を染めて俯いた。美的感覚が根本的に違うのだろう。

 朝食はご飯と豆腐の味噌汁、おかずは卵焼きと山菜の煮物。どんぶり鉢に茄子とキュウリの漬物が山のように盛られている。

 竜太と慎吾は「うまいうまい」と言いながら夢中で箸を動かしている。その横でヤムダンは手首の物質探知機をご飯やおかずにひとつひとつ近づけて、表示された数値を確認している。白い粒状の集合体は、炭水化物と糖質が主成分で少量のたんぱく質と脂質、微量のモリブデンと銅を含有。濁った液体状のものは、炭水化物とタンパク質と脂質、カリウムや塩化ナトリウムを含有。黄色い固形物は・・・これは、先程庭にいた生物の卵から抽出した内容物を加熱して・・・。

「山田さん、食べゆうかねえ。田舎のもんやき、お口に合わんろうか」

 寅子婆さんが声を掛けた。竜太と慎吾が、こんなうまいものを前に何をしているとばかりにヤムダンを睨んでいる。

 未開の地の原住民との良好な関係を構築するためには、原住民の食事を口にせねばなるまい。提供された食事を断れば非礼に当たる。そう決心したヤムダンは茶碗を手に持ち、目を瞑るとご飯を口に入れ、卵焼きを頬張る。

・・・! 美味い、素晴らしい。旨味と辛みのバランスが抜群だ。アンドロメダ星雲コロニアス星系の惑星ジムリにある宇宙食堂キリアンの日替わり定食と比べても遜色がない・・・

 ヤムダンは続けて味噌汁を口に含んだ。途端にブフォッと吹き出した。

「ギャー! 熱い!」

 なにしろ、風呂の適温が摂氏二十度なのだ。ヤナシス星人にとって温かい味噌汁は灼熱の殺人兵器に等しい。ヤムダンの唇が火傷のために水膨れになっている。

「ウワワッ何すんねん・・・ヒイイ、まったく・・・山田はんは大げさやな」

 ヤムダンの噴き出した味噌汁を顔面に浴びて、慎吾が悲鳴を上げた。ヤムダンが火傷で水膨れになった唇を突き出した。

「見ろ、水膨れになったじゃないか!」

 その姿を見て、竜太がニヤニヤと笑っている。

「さすがは吉木新喜劇の芸人さんだなあ。熱々おでんじゃなくて、熱々味噌汁ときたか。なるほどねぇ、隙あらば笑いを取ると・・・歳はとっても笑いには貪欲だというところを若い者に見せようとするその心意気、感心したよ」

「おまんらぁはいったい何を言いゆうろう」

 寅子婆さんが呆れた顔で三人を見ていた。最近の若い者の考えていることは分からんと思っているのだろう。


 朝食を食べ終え、座卓を囲んでお茶を啜っていた竜太にヤムダンが声を掛けた。極度の猫舌のヤムダンの前には冷たい麦茶が置かれていて、唇には絆創膏が貼り付けてある。

「お願いがあります。昨日の衝突現場まで連れて行ってほしいのです」

 竜太はズルズルと音を立てて緑茶を啜ると、チラリと山田の顔を見た。まさか、逃げるつもりではあるまいか。昨夜は観念したものの、一晩寝たら考えが変わったということもあり得る。

「そりゃあ構わないけど、あそこに戻って何をするんです? まさか、逃げようなんてことを考えていないよね」

 逃げるという言葉を聞いて、慎吾がギロリとヤムダンを睨んだ。ヤムダンはトンデモナイと顔の前で手を振った。

「忘れ物を取りに行きたいのです」

「忘れ物? あの観光課の造った張りぼてUFOの中に?」

 竜太はまだ半信半疑だ。

「竜ちゃん、ええやないか。どうせ暇やし。それに、昨日の夜は暗うてよう分からんかったさかいに、もういっぺん張りぼてのUFOをきちんと拝ませてもらおうやないけ。白日の下で証拠写真を撮ったるんや」

 竜太がポンと手を打った。

「なるほど、さすが慎吾さん。そうだ、竹中班長はどうしよう。何なら同行して貰って、一緒に確認してもらおうよ」

 慎吾は横に首を振った。

「あかんあかん。竹中班長は高知市内の自宅に帰っとるんや。ここんところ忙しゅうて、土日に帰られへんかったやろう。こっちでまた不倫しているんちゃうかいうて、奥さんに疑われとるらしい。色男は辛いのお・・・まあ、前科持ちやから仕方あらへんな。しかも、前科五犯らしいでぇ。竹中班長は、そのうちの二件は貰い事故や言うとったけど、ほんまかいな」

「前科五犯・・・そりゃ凄い。奥さんが疑うはずだ」

「せやかて離婚はしとらん。夫婦ちゅうのは不思議なもんや」

 竜太と慎吾は顔を突き合わせてニヤリと笑った。

 不倫と聞いて寅子婆さんの目がらんらんと輝いている。ゴシップ話が三度の飯より好きなのだ。寅子婆さんが身を乗り出すようにして喋り出した。

「裏の家の権蔵のおじいが若い頃に浮気がバレてねえ。かみさんの米子が包丁を振り回して『殺しちゃる』言うて、そこら中を追いかけ回してえらい騒ぎじゃったけんど。そのくせ、あそこの家は子供が九人もおる。夫婦ちゅうのはそんなもんぜよ」

 竜太がホウと頷く。

「子供が九人も・・・なるほどねえ」

「『子はかすがい』とはよう言うたもんや。もっとも、九人もおったら、かすがいだらけやけどな。いっそのこと、野球チームでも作ったらええねん。そうや、ワイの先輩でオットセイ野郎というあだ名の人がおるんやけど、この人が精力絶倫で手当たり次第に女の子に手え出して・・・」

 地球人三人がウヒヒヒと笑いながらゴシップ話に花を咲かせているところに、ヤムダンが割って入った。このままだと日が暮れるまで話が続きそうだ。

「あのう、私のお願いの件はどうなりましたか」

「・・・それで、コンクリートの靴を履かせて大阪湾に沈めちゃる言うて・・・うん? 何や山田はん、これからが面白いところやのに」

 竜太と寅子婆さんの冷たい視線をまともに受けたヤムダンが恐縮して肩をすぼめながら言った。

「忘れ物が必要なのです、時間がありません」 

「分かった分かった。ほんなら続きは晩御飯のときにでもゆっくりと。それまでのお楽しみちゅうことで。よっしゃ、竜ちゃん、行こか」

 竜太と慎吾はやっと重い神輿を上げた。

(第二話おわり)

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