第5話

王都ウィンザーナは、遠くからでも分かる。このウィンザーナ王国の首都だ。

平原の境に白い城壁が立ち、尖塔が空を刺す。


壁には女神の紋と剣の紋章。魔物の出現が多い北の国は、城壁ひとつ見ても牙を持っている。


 門前には人族、魔族、獣族、時折エルフの旅人の姿も混じっている。交易の荷馬車、祈りに来た巡礼、海からの商人。


街で見たとまた違う景色に私は無意識に浮かれている。なんだか気分がいいのだ。


 ラグナが鼻を鳴らす。


 「肉の匂い、焼き菓子、油、汗。……賑やかだ」

 「門番の鎧は磨かれてる。規律は強い。怒らせないように」

 「隊長、俺が怒らせたことあったか?」

 「三回あった」


ラグナの軽口にも、軽く返せるようになるまぇには打ち解けた。


 列に並ぶ。順番を待つ間に、風が金属を叩く乾いた音を運んできた。規則正しい打音。鍛冶か、訓練か。


 やがて、私たちの番が来る。門番は二人、槍を立て、魔族の若者が補助に付いている。


 「目的は?」

 「仕事。傭兵ギルドの推薦状がある」


 私は木札を差し出す。門番はそれを見て、目を細めた。


 「黒猫……噂は聞く。狼の獣人も同行か。――歓迎する。王都では獣族への差別行為は取り締まりの対象だ。安心していい」


 ラグナが小さく目を瞬いた。私はほんの少しだけ、口角を上げた。


 城門をくぐった瞬間、世界の音が変わる。石畳の硬さ、商人の呼び声、遠くの鍛錬場のかけ声、鐘の音。


 私の胸に、説明できない痛みがかすかに走る。父と歩いた、遠い昔の竜の巣。世界で一番高い空気。今いる場所は全然違うのに、同じ匂いがした。――人が生きている匂い。


 「黒猫、まずは宿だな」

 「ううん。先にギルド。仕事を決める」


この長旅でお金があまりない。まずは仕事を決めてしまいたいところだ。


 王都ギルドは大きく、天井の梁には古い竜の骨を模した装飾が吊られていた。竜は物語の中。同時に、脅威の象徴。


 受付に向かう途中、褐色の肌の魔族の女性が私を横目で見て、興味深そうに笑う。


同業者か?最近人によく話しかけられる。


知らない人に知らいているのはなんともむず痒い…そして僅かな危機感を感じる。有名になるのはドラゴンという最大の秘密を抱える私にとって好ましくない。


 「あなたが黒猫? うちの部隊長が噂してたわ。……王都は違う。仕事は山ほどある。気をつけて。それと…あなたの顔結構綺麗で好きよ。また気が向いたら声をかけてちょうだい。」

 「忠告、感謝する」


最後の部分はあまりよく分からなかったので無視した。なにか機嫌が良さそうな魔族で失礼だけど、少し気味が悪いというか……。


 受付につくと、迎えてくれたのは老人だった。受付の老人は書類を捌きながら言った。


 「王都の依頼は等級で制限している。君は新規だが推薦状がある。護衛、探索、討伐、選べ。……それとな」

 「なに?」

 「騎士団から依頼が来ている。街区の魔物出没区域の合同掃討だ。副団長の指揮下に入る。腕試しにはちょうどいいだろう。」


 副団長。若き天才。女神の強い加護を受けた剣聖。

老人に副団長について聞くと、そのような言葉を並べられた。


 頭の奥で、絵本の頁が乾いた音でめくられる。金色の髪の騎士が、黒い竜の首に剣を入れる挿絵。


 「受ける」

 「おい、黒猫」


ラグナが肩を寄せ、私の耳に口を寄せる。


「やめてもいいぞ」


私を気遣ってのことだろうが、今の私にとっては重要な時だ。いつまでもヒソヒソと暮らしてられない。普通の生活を送りたい。


 「受ける。ここで逃げたら、一生、影にしかいられない」


「ユルド…わかった。隊長がそう言うなら俺も文句はねえ。」


 書類に印を押す。集合は城下の訓練場。夕刻。

 それまでの時間、私は街を歩いた。市場の野菜は甘い匂いがして、路地の猫は人を恐れない。


祈りの鐘が鳴る時刻、人々は手を組んで立ち止まる。女神フィフィーネの像は白く、顔は優しく、手には剣。


 「守るための刃」


 口の中で言って、舌の上に鉄の味がよみがえる。私の刃は、何を守るのか。誰を、どこまで。


 夕刻、訓練場。鎧甲冑の音が風に乗る。整然と並ぶ騎士たちの前に、金の髪がひときわ強い光を返していた。


 金髪の長い髪を高い位置で纏めて縛っている。凛とした顎。金の瞳。白い頬に薄い朱。


 「――副団長、フィーネ・カサンドラ。これより掃討作戦を開始する。外部協力者は規律に従って頂く」


 声は高く澄み、凛としていた。私は胸の内側がわずかに熱くなるのを抑えた。

 彼女の視線がこちらに流れ、わずかに止まった。


 「あなたが黒猫?」

 「ユルド。傭兵」

 「規律は守れる?」

 「役に立つ」

 「ふふ。口が減らないのね。……期待してる」


 その笑みは、冷たい鉄の上に落ちた陽光のようだった。私を試すような挑戦的な口調に少し嫌悪感を感じた。副団長フィーネへの第一印象は良くないものとなってしまった。


剣を抜く音が一斉に響き、訓練場に緊張が走る。


 黒猫と、金の女騎士。知らないうちに、私の足は、絵本の頁を越えていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る