生き残りドラゴンは正体をひた隠す〜黒猫傭兵と金の女騎士〜

逆さのヨー

第1章 剣と不屈と竜の影

第1話

夜は深い静けさを湛えていた。

 竜族の血を引く少女――ユルド・アルヴァーンは、燃え尽きた焚火の前で、ひとり膝を抱えていた。


 草原を渡る風が、黒髪を撫でる。風は少し湿っていて、遠くで雨を降らせているのだと分かる。


 ユルドの隣には、ひとつの粗末な墓が立っていた。小さな木の杭に、父の名前を刻んだだけのもの。

 《カルデア・アルヴァーン》。かつて竜族として誇り高く生き、そして娘を育て上げた唯一の存在。


 ——もう、いない。


 ユルドは小さく息を吐いた。胸に広がるのは、寂しさではない。ぽっかりと穴が空いたような、何もない虚無。


 「……父さん。私……一人で行ってくるよ。」


 声に出すと、夜の冷たさが胸に沁みた。

 父は竜族であることを誇りながらも、ユルドに人間として生きる道を示そうとした。人に紛れ、普通の娘として日々を過ごせば、迫害も避けられる。


 父は日々私に口酸っぱく言っていた。


『我らドラゴンにはこの世界は窮屈すぎる。ユルド、お前は人として自由に生きなさい。愛する人見つけるんだ。』


この言葉を何度言われたか分からない。ドラゴンである私が、他から迫害され続けた私がどう愛する人を探せというのか。父は最後まで厳しいことを言うんだ。


言われすぎて鬱陶しく感じていたこの言葉を言われることも無いと思うと、やたら目に染みて、私はゆっくりと目を閉じた。



これは、900年も前に遡る。


900年も前、幼い父と母、そして竜族であるドラゴンたちはその大きすぎる力を過信し、世界すらも征服できると世界征服を測った。


その思い違いがが竜族の最大の過ちだった。


世界最強と謳われた竜族も数の力には勝てなかったのだ。特に人族。彼らが女神フィフィーネから授かる神授は奇跡を起こした。


竜族は父と母を残し、全滅した。


必死に逃げ、逃げ続けて母は私を産み落とした。そのまま、死んでしまった。



 ユルドは瞼を持ち上げ、深青の瞳を覗かせた。そして、ゆっくりと立ち上がる。


 腰に下げたのは、以前父と山賊から奪った片刃の刀。そして全身を覆う黒い衣服。人目を避けるための装いでもあり、父から教わった「旅人の心得」に従った姿でもあった。


 草原の闇の中、ただひとり立つ少女の姿は、まるで宵闇を歩く黒猫のよう。

 それが後に彼女の二つ名となるなど、この時のユルドはまだ知らない。


◆◇◆


 父を埋葬したその日の夜、ユルドは小さな荷を背負って歩き出した。


 目指すのは南の街。そこには傭兵ギルドがあると父が言っていた。竜の力を隠しながら働くことは難しいかもしれない。だが、人の社会に紛れて生きていくには、今や孤独になり力しかない私には、それしか術はなかった。


 夜の道を歩くたびに、父の声が耳に蘇る。

 『ユルド……お前は強い。だが、その強さは刃ではなく、誰かを守るために使え』


 守る相手などいない。

 けれど、この言葉だけは、旅立つ勇気を与えてくれる。


 「父さん。私、ちゃんとできるかな……」


 弱音のように呟いた。

 答えは風の音だけが返す。


◆◇◆


 最初に訪れた村で、ユルドは人々の視線を受けた。

 黒装束の少女など怪しさ満点だ。村人は遠巻きにしながらも警戒し、誰も近寄ってこない。


 宿屋でさえも「満室だ」と言って追い払われた。

 仕方なく、村外れの納屋に身を潜め、一晩を明かす。


 人々の目。

 それは恐れと拒絶の混じった色をしていた。ユルドは何もしていない。ただ歩いただけ。それでも、異質な存在は容易に弾かれる。あるいは、小さな村という閉鎖的な場所だからなのか。ユルドが判断するには、常識知らずすぎた。


 ——やっぱり、父さんが言ってた通りだ。


 竜族の血を隠さなければ。

 それを悟るごとに、心の奥で冷たい決意が固まっていく。


次の日には、ここを出よう。


そう思いながら私は眠りに落ちた。


◇◆◇


数日後。

 旅路で遭遇したのは、飢えた狼の群れだった。


 鋭い牙を剥き出しにした十数匹が、少女ひとりを囲む。

 普通の人間なら、恐怖で膝を突くだろう。だがユルドは片刃の刀を抜き放ち、無言で構えた。


 「来るなら……来い…!」


 次の瞬間、刃が閃き、血飛沫が宙に舞う。

 竜の血に秘められた膂力は、普通の人間を遥かに超えていた。狼たちは次々と倒れ、残った数匹は恐れをなして森に逃げていく。


 残ったのは、血に濡れた刀と、自分の荒い息だけ。

 ユルドは刀を拭いながら、己の掌を見つめた。


 「これが……私の力」


 竜族の血。人より強すぎる力。


 この力がある限り、普通の少女としては生きられない。だが同時に、この力を使わずして生き残ることもできない。


 矛盾を抱えたまま、ユルドは前に進むしかなかった。


◆◇◆


 旅の途中、ふと見上げた夜空には満月が浮かんでいた。

 冷たい光に照らされると、黒装束の少女の姿はより一層影のように溶け込む。


 ユルドは月に向かって呟いた。


 「父さん……私、強くなるよ。

  誰にも負けない、立派な傭兵になる。

  それで……」


 そこで言葉を切る。

 「それで、どうする?」

立派な傭兵になっても、守るべきものも、愛する人ももう居ない。


「難しいなあ……」


それでも進むしかない。

父さん、私、知りたいんだ。愛する人がいるってどんな気持ちになるのか。


 この時の彼女の決意こそが、後に数多の人々を救い、そしてひとりの騎士と出会い、運命を変えていく第一歩だった。


◆◇◆


 黒猫の少女ユルド。

 その名が大陸に轟くまで、そう長い時間はかからなかった。

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