SDGs -サベージドッグ・ゴッズ-

伊藤汐

プロローグ

 赤茶けた大地の向こうに黒煙がもうもうと立ちのぼっているのが見える。

 熱帯特有のうだるような暑さのなか、ぼくはその風景をじっと見つめていた。

 鉄分を多く含んだ大地の赤に、熱帯雨林の濃い緑、そして一三〇ミリ砲で打ち抜かれ、炎上した車両の上げる煙の黒。それらの描く奇妙なコントラストを。


 これは戦火の風景だ。

 ぼくは兵士で、正義の名の下、西側諸国に使役される現代の傭兵プライベート・オペレーターだったから、こういう風景を幾度となく見てきた。

 その風景のなかで、こうして赤い血の滴る小銃を構えることに慣れていた。

 念のため、言っておく。

 これはぼくの血ではない。なぜなら、ぼくの血は赤くないからだ。

 ぼくの血は灰色、半分機械で半分肉の、偽物の血の灰色。

 だからこれは標的を守る警備部隊兵士の血で……。

 混ぜ物なしの肉の身体を駆使する、贅沢で高価な連中の生きたフレッシュ・ブラッドだ。


 ぼくは機械の身体をゆっくり動かすと、自己診断プログラムを起動する。

 ぼくの身体は機械だ。少しは肉の部分もあるけれど、おおむね機械でできた身の上だから、その身体を調べるのも同じ機械の論理で動く連中だ。

 連中はぼくの身体から、ぼくというものを閉め出す。

 脳や神経系のテストだとか言って、冷や汗を急にかかせたり、胸が詰まるような気分にさせてくると思えば……。肘や膝の関節部分に負荷を掛けて、あちらへぴくぴく、こちらへぴくぴくと、ぼくを糸釣り人形マリオネットのように操ってみせたりもする。


 じつに屈辱的だが、ぼくはそれを受け入れる。

 そうすることによって、ぼくはこの機械の身体が滑らかに動くこと。その滑らかさが敵を確実に殺す敏捷性を有しているかを確かめる。

 迅速さは何よりも優先される。

 これからぼくは単身、身一つで敵地へ潜入する。

 自分でも無謀な作戦だと思う。戦術的優位性を欠いた意味の無い行為だと思う。

 それでも、ぼくはやらなければならない。

 なぜなら、ぼくは生き残ったからだ。

 ぼくだけがあの爆撃のなかを生き延びたからだ。

 この機械の身体に、まだ敵を殺すだけの身体性パフォーマンスが残されている限り、ぼくはどんな無謀だろうと、ぼくの敵を殺し回らなきゃいけないからだ。


 けれど、恐れてはいない。

 むしろ、ぼくはかつてないほどの高揚している。この機械の身体に熱い血潮のたぎりを感じている。

 この戦争が終われば、ぼくの身体は帰ってくる。十年来の肌のぬくもり。どくどくと脈打つ血管の拍動。

 ぼくはポケットにしまっていた紙片を取り出した。肉の身体を取り戻したら必ずやることリスト。

 お腹を壊すまで白飯をいっぱい食べる。熱いシャワーを浴びる。海で泳いでみたい。目に海水が染みるという感覚。肌が日に焼けるとはどんな感じだろう。髭も伸ばしてみたい。排便が気持ち良かったのを憶えている。

 それに、マスターベーション。これは欠かせない。ホルモン剤の味気ない快感ではない本物の射精の感覚。もちろんセックスだってできることならしてみたい。

 何より自分の心臓の音を感じてみたい。自分の身体から聞こえる、その脈打つ音を聞いてみたい。

 きっと、心地良いはずだ。


 それもこれも、この作戦が終われば叶う。

 ぼくは深呼吸をすると、敵の血でしとどに濡れた小銃を構え直した。物陰から慎重に頭を出し、標的が潜伏していると思われるゲストハウスへとゆっくり近づく。

 この国の家屋の多くは旧仏領時代に建てられたヴィラという別荘形式の建物だ。

 建物自体の建築手法は、フランス影響下の植民地コロニアル様式という趣だったが、目に眩しい白塗りの壁が邸宅をいくつにも切り分け、それがこの国の突き抜けるような青い空と、強烈な日射しのコントラストのなかで活き活きとした印象に映えている。


 鉄分を多く含んだ赤茶けた大地。

 神性さえ感じさせるマングローブ林の静けさ。

 どこまでも続く蒼穹の青。

 本当に、本当にこの国の景色は美しい。

 その色彩に、ぼくは新たに自分の血の白を加えようと思う。

 機械の身体に流れる人工血液の白。この身体に流れる偽物の血の白を。


 これがぼくらの未来だ。

 かつてぼくらが思い描いていた希望に満ちあふれた未来予想図。

 そのどれとも違う戦争の未来だ。

 ぼくはそれでも構わない。

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