第35話「工房に帰ろう」

王都での鍛冶競演祭を終え、オリンたちは久しぶりに自分たちの工房――辺境の《ハルド工房》へと戻ってきた。


一面に広がる見慣れた山と森、錆びついた看板、そして、黒ずんだ煙突。


何も変わっていないように見えるその景色に、弟子たちは思わず歓声を上げた。


「ただいま!」


真っ先に叫んだのはフェンだった。

彼の声が谷に響くと、まるで答えるかのように鳥が飛び立った。


「……やっと、戻ってこれたんだね」


ライラは深く息を吸い込んだ。


空気はひんやりと澄んでいて、鉄と煤のにおいがほのかに漂う。

それがたまらなく懐かしく、愛おしく感じた。


「やっぱり、ここが一番落ち着くね」


グリトが苦笑しながらリュックを肩から下ろした。


オリンは、少しだけ微笑んで門を開ける。

軋む音と共に、工房の空気が迎えてくれる。


「――帰るぞ。俺たちの、火のある場所へ」



火床にはまだ灰が残っていた。


出発前にきちんと処理したはずなのに、どこか不思議な温もりがあった。


「火、残ってる……?」


ライラが首を傾げる。


オリンは火床を覗き込み、指先で灰をすくった。


「……誰かが、火を守っていたようだな」


「まさか、泥棒!?」


フェンが慌てて武器を取ろうとするが、オリンが手で制する。


「いや。炉の扱い方に迷いがない。素人じゃこうはならない。――知っている者の手だ」


弟子たちは顔を見合わせた。


(まさか、師匠の知り合いが……?)


すると、グリトがぽつりと言った。


「……もしかして、ユエさん?」


オリンの眉がわずかに動いた。


ユエ――

旅の途中、鍛冶競演祭の予選会場で出会った謎めいた女性。

正体は、王都の王宮工房に籍を置く伝説級の鍛冶師であり、今はその身を隠していた。


彼女は確かに、火を見る目を持っていた。


(あいつなら……やりかねん)


「ふむ。確証はないが、可能性はあるな」


オリンは軽くうなずいた。


「とにかく、片付けを済ませよう。祭の準備で持ち出した道具も戻さないといけない」


弟子たちは「はーい!」と声を揃え、いつもの日常へと戻っていく。


だが、その空気はもう以前とは違っていた。


鍛冶競演祭を経験した彼らは、ただの弟子ではない。


己の武器に名を刻み、師と共に戦った仲間であり、家族のような存在だった。



夕暮れ時。


作業を終えた一同は、炉を囲んで一息ついていた。


温かいスープと焼きたてのパン、そして干し肉の香ばしさが漂う。


「やっぱ、外で食べるより、ここが一番うまい!」


フェンが口いっぱいにパンを詰め込みながら叫ぶ。


「王都の料理もよかったけど、こういうのが落ち着くよね」


ライラがほほ笑む。


「……次は、どんな武器を作るんですか、師匠?」


グリトが問いかけると、オリンは少し考えてから答えた。


「――刃ではない」


「えっ?」


「今度は、“器”だ。何かを受け止め、支えるものを鍛えたい。……この工房の未来を支える“器”をな」


弟子たちは、その言葉の意味をすぐには理解できなかった。


だが、オリンの目が真剣であることだけは分かった。


「……新しい弟子?」


「いや、もっと広く考えている。今の時代、鍛冶だけでは届かないものもある。村の復興、子どもたちの未来、そして――ギルドとしての形もな」


その言葉に、皆が黙り込んだ。


ギルド――


それは、ただの工房ではない。

鍛冶、戦闘、補助、運営……あらゆる職能を束ねた“最強の拠点”。


「俺たちにできるんでしょうか……」


不安そうに呟いたグリトに、オリンは静かに言った。


「火を見ろ。まだ、終わっちゃいない」


弟子たちの目が次第に輝きを帯びていく。


「やろう、師匠!」


「私、装備管理の設計図、もうちょっと改良してみる!」


「フェン特製“粉砕型片手剣”の試作も進めます!」


オリンは静かにうなずき、火床に薪をくべた。


火が、再びゆっくりと燃え上がる。


それはまるで、ここからまた新たな物語が始まることを告げるかのようだった。



夜。


皆が寝静まった工房の片隅で、オリンは一人、手紙を広げていた。


――差出人は、ユエ。


《そちらの工房、いい火が燃えていたわ。少しだけ、借りました。

私も、そろそろ過去と向き合う時期かもしれない。

あなたの火に、少し背中を押された気がするわ。》


短い手紙の最後には、小さな炎の印が添えられていた。


オリンはふっと笑って、手紙を炎にくべた。


紙は音もなく燃え尽き、空へと舞い上がっていった。


「――火は、つながっている」


その言葉は、夜の闇の中に吸い込まれていった。


だがその響きは、確かに残っていた。


そして、次なる挑戦の“火種”として、炉の奥で赤く燻り続けていた。

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