第35話「工房に帰ろう」
王都での鍛冶競演祭を終え、オリンたちは久しぶりに自分たちの工房――辺境の《ハルド工房》へと戻ってきた。
一面に広がる見慣れた山と森、錆びついた看板、そして、黒ずんだ煙突。
何も変わっていないように見えるその景色に、弟子たちは思わず歓声を上げた。
「ただいま!」
真っ先に叫んだのはフェンだった。
彼の声が谷に響くと、まるで答えるかのように鳥が飛び立った。
「……やっと、戻ってこれたんだね」
ライラは深く息を吸い込んだ。
空気はひんやりと澄んでいて、鉄と煤のにおいがほのかに漂う。
それがたまらなく懐かしく、愛おしく感じた。
「やっぱり、ここが一番落ち着くね」
グリトが苦笑しながらリュックを肩から下ろした。
オリンは、少しだけ微笑んで門を開ける。
軋む音と共に、工房の空気が迎えてくれる。
「――帰るぞ。俺たちの、火のある場所へ」
◆
火床にはまだ灰が残っていた。
出発前にきちんと処理したはずなのに、どこか不思議な温もりがあった。
「火、残ってる……?」
ライラが首を傾げる。
オリンは火床を覗き込み、指先で灰をすくった。
「……誰かが、火を守っていたようだな」
「まさか、泥棒!?」
フェンが慌てて武器を取ろうとするが、オリンが手で制する。
「いや。炉の扱い方に迷いがない。素人じゃこうはならない。――知っている者の手だ」
弟子たちは顔を見合わせた。
(まさか、師匠の知り合いが……?)
すると、グリトがぽつりと言った。
「……もしかして、ユエさん?」
オリンの眉がわずかに動いた。
ユエ――
旅の途中、鍛冶競演祭の予選会場で出会った謎めいた女性。
正体は、王都の王宮工房に籍を置く伝説級の鍛冶師であり、今はその身を隠していた。
彼女は確かに、火を見る目を持っていた。
(あいつなら……やりかねん)
「ふむ。確証はないが、可能性はあるな」
オリンは軽くうなずいた。
「とにかく、片付けを済ませよう。祭の準備で持ち出した道具も戻さないといけない」
弟子たちは「はーい!」と声を揃え、いつもの日常へと戻っていく。
だが、その空気はもう以前とは違っていた。
鍛冶競演祭を経験した彼らは、ただの弟子ではない。
己の武器に名を刻み、師と共に戦った仲間であり、家族のような存在だった。
◆
夕暮れ時。
作業を終えた一同は、炉を囲んで一息ついていた。
温かいスープと焼きたてのパン、そして干し肉の香ばしさが漂う。
「やっぱ、外で食べるより、ここが一番うまい!」
フェンが口いっぱいにパンを詰め込みながら叫ぶ。
「王都の料理もよかったけど、こういうのが落ち着くよね」
ライラがほほ笑む。
「……次は、どんな武器を作るんですか、師匠?」
グリトが問いかけると、オリンは少し考えてから答えた。
「――刃ではない」
「えっ?」
「今度は、“器”だ。何かを受け止め、支えるものを鍛えたい。……この工房の未来を支える“器”をな」
弟子たちは、その言葉の意味をすぐには理解できなかった。
だが、オリンの目が真剣であることだけは分かった。
「……新しい弟子?」
「いや、もっと広く考えている。今の時代、鍛冶だけでは届かないものもある。村の復興、子どもたちの未来、そして――ギルドとしての形もな」
その言葉に、皆が黙り込んだ。
ギルド――
それは、ただの工房ではない。
鍛冶、戦闘、補助、運営……あらゆる職能を束ねた“最強の拠点”。
「俺たちにできるんでしょうか……」
不安そうに呟いたグリトに、オリンは静かに言った。
「火を見ろ。まだ、終わっちゃいない」
弟子たちの目が次第に輝きを帯びていく。
「やろう、師匠!」
「私、装備管理の設計図、もうちょっと改良してみる!」
「フェン特製“粉砕型片手剣”の試作も進めます!」
オリンは静かにうなずき、火床に薪をくべた。
火が、再びゆっくりと燃え上がる。
それはまるで、ここからまた新たな物語が始まることを告げるかのようだった。
◆
夜。
皆が寝静まった工房の片隅で、オリンは一人、手紙を広げていた。
――差出人は、ユエ。
《そちらの工房、いい火が燃えていたわ。少しだけ、借りました。
私も、そろそろ過去と向き合う時期かもしれない。
あなたの火に、少し背中を押された気がするわ。》
短い手紙の最後には、小さな炎の印が添えられていた。
オリンはふっと笑って、手紙を炎にくべた。
紙は音もなく燃え尽き、空へと舞い上がっていった。
「――火は、つながっている」
その言葉は、夜の闇の中に吸い込まれていった。
だがその響きは、確かに残っていた。
そして、次なる挑戦の“火種”として、炉の奥で赤く燻り続けていた。
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