第2話「初めての朝と、灰狐商会」

朝。

炉の火はすでに赤く、工房は薄明かりに包まれていた。


寝起きの頭で火加減を整えていると、背後から小さな足音が聞こえた。

フェンが寝癖だらけの髪で、目をこすりながら立っていた。


「おはよう……」

「おう。早いな」

「火、見てたら起きちゃって」

フェンはそう言うと、炉を覗き込み、目を細めた。

「きれいだな……なんか、落ち着く」

「火は嘘つかないからな。見てると、余計なこと考えなくていい」


しばらくすると、ライラが大きな盾を抱えてやってきた。

どうやら工房の片隅から引っ張り出してきたらしい。

「これ、磨いていい?」

「好きにしろ。ただし、革を傷めるなよ」

「うん……」

ライラはにこりともせず、黙々と布を動かしはじめた。

こういう集中力は嫌いじゃない。


最後にグリトが現れた。

すでに工具箱を抱えていて、頬には黒い煤がついている。

「道具、ちょっと錆びてた。油さしておいた」

「おい……勝手に触るな」

「でも、もう直しちゃった」

「……まあ、助かる。次からは声かけろ」

「うん!」

グリトの笑顔は、炉の火よりやけに明るかった。


三人とも、勝手に動きすぎだ。

けど、不思議と腹は立たない。

この工房を自分の場所だと思ってくれている証拠だ。

……悪くない。


外から馬車の音が近づいてきた。

硬い蹄の響き。荷台に積まれた金属のきしむ音。

灰狐商会だ。


扉を開けると、黒外套の男が二人立っていた。

昨日の連中と同じ顔。相変わらず愛想の欠片もない。


「お早いですね」

俺がそう言うと、男は鼻で笑った。

「霊炭の件だ。あんたが勝手に買い付けた鉱脈、もう封鎖した」

「封鎖?」

「炉精がすねてるって噂の場所だ。あんたが行ったら、無駄足になる」

「無駄かどうかは、俺が決める」

「そうか。なら勝手にすればいい。ただし――」

男の目が、工房の奥の子どもたちに向く。

「孤児を使って商売してるとなれば、役所も動くかもしれないな」


フェンが小さく唇を噛んだのが見えた。

ライラは盾を強く抱きしめ、グリトは工具箱を持つ手をぎゅっと握った。


「脅しか?」

俺は炉に霊炭をくべた。

火の音が、静かに、でもはっきりと強くなる。

「ここでは、火の前で嘘はつかない。子どもも大人もだ」

黒外套は鼻を鳴らしただけで、馬車に戻っていく。

車輪の音が遠ざかり、静けさが戻った。


「……俺たち、出てったほうがいい?」

フェンがぽつりとつぶやいた。

「何でだ」

「だって、俺たちのせいで、あの人たちに目をつけられた」

「気にするな。狙われてるのは工房だ。お前らじゃない」

「でも……」ライラが不安げに見上げる。

「それでも一緒にいていいって、言ってくれるの?」

「昨日も言ったろ。火の前で嘘はつかない。俺はお前らを追い出さない」


その言葉に、グリトがぱっと顔を明るくした。

「じゃあ、俺、もっと道具直していい?」

「……好きにしろ」

「やった!」

フェンも笑って肩の力を抜き、ライラは抱えていた盾をそっと下ろした。


昼。

昨日の女冒険者が仲間を連れてきた。

大きな獣皮と、山ほどの肉を荷台から下ろす。

「群れを落とせたのはあんたのおかげだ。霊炭も、あたしたちが探すの手伝うよ」

「助かる」

「ただ、噂じゃ――」女は声をひそめた。

「封鎖されてる鉱脈に、“炉精”がまだいるらしい」

「炉精か……面倒な相手だな」

「面倒って言える時点で、あんたおかしいよ」

女は笑いながら、肉を一枚放ってよこした。


フェンたちが目を輝かせている。

焼くかどうか迷ったが、俺も少しだけ笑った。


霊炭は封鎖される。

炉精は不機嫌だ。

灰狐商会は邪魔をする。


それでも、炉の火は今日もきれいに燃えている。

俺は槌を肩に担ぎ、火を見た。


「行くぞ。俺たちの工房は、まだ始まったばかりだ」

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