第2話 開演(1)
「ゆ、夢サーカス?」
なにそれ、聞いたことないよ。
「ほら、仮面を付けて。行くよ」
少年の言われるがままに、わたしは仮面をつけた。
仮面は、わたしの顔に吸いつくように、ぴたっと収まる。
蝶をモチーフに、左側だけに真っ白な羽根が付いているデザイン。
それを見た少年は、ふっと微笑んだ。
「似合ってるよ」
「あ、ありがとうございます……」
鏡がないから、似合っているかはどうかは分からないけど。
にしても、仮面って変な感じ。
初めて付けたけど、世界の見え方が少し違うように感じる。
「ほら、こっち」
少年は、狼狽えるわたしの手を引っ張って、倉庫の中に入った。
やっぱり、この倉庫は埃だらけのオンボロ──。
「え!?」
わたしは、オンボロ倉庫の中に入ったはず。
それなのに!
「なに、ここ!?」
「サーカスだよ? 言ったじゃん、『夢サーカス』って」
そこは、キラキラと輝く大きな舞台だった。
色とりどりのスポットライト。カラフルなガーランドに、たくさんの椅子。
初めて見た、『サーカスの舞台』だった。
「ここは、『夢サーカス団』の舞台。自分の仮面を持っている人だけが、この舞台に入れるんだよ」
「じゃあ、わたしはお客さんとして……?」
「そんなわけないよ。アリスは、このサーカスの主役だよ」
主役!?
あぁ、一番聞きたくなかった言葉だ……。
主役なんていやだ。
目立ちたくないし、注目されるのがいやなんだもん。
「ほら、早く。開演十五分前だよ」
「い、いやだ! 主役なんてやりたくない!」
「そんなこと言ってたら、いつまで経っても変わらないよ?」
そうだとしても!
変わりたいけど、変われないんだから!
わたしは脇役でいい。
目立たずひっそりと、教室の隅で本を読んでいたいんだ。
「はいはい、あとで聞くから。こっち来て」
少年は、またわたしの手をぐいっと引っ張った。
ステージの後ろ、真っ赤なカーテンへ近づいていく。
なんとか逃げられないかと、少年の手を振り払おうとした。
けど、だめ。
優しく掴んでいるように見えて、ものすごい力。びくともしない。
「みんな!」
手は、ほどけなかった。
そんなわたしを見てくすっと笑った少年は、カーテンを開け放った。
そして、大きな声で言ったんだ。
「主役さん、新入りの主役さんだよ。よろしくね!」
うわぁ、そんな『主役』を強調しないで!
ぎゅっと目をつむって、少年の後ろに隠れる。
けど、それはムダだった。
少年は、わたしの手を引いて前へ押し出したんだ。
「ほら、ごあいさつ」
「うぅ……」
そう言われて、頭を下げた。
「よ、よろしくお願いします……」
「よろしく!」
「よろしくね!」
あいさつをすると、たくさんの声が返ってきた。
え? どれくらいの人がいるの?
おそるおそる、顔を上げてみた。
そこには。
「わっ」
キツネの仮面、ネコの仮面。クマの仮面にトラの仮面。
それも全部、違う色と飾り。
同じ仮面は一つもない。
そんな仮面をつけた人たちが、わたしに注目してたんだ。
「団長。この子の名前は?」
「アリス。仲良くしてあげて」
「だ、団長?」
キツネの仮面さんが、少年のことを『団長』と呼んだ。
え、団長?
わたしと同い年くらいの少年が?
「あぁ。言い忘れたね」
少年は、わたしを見てにっこりと笑った。
右手を後ろに、左手をお腹あたりに当てた。
そして、優雅に礼をする。
「僕の名前はラピス。このサーカスの団長を務めております」
以後、お見知りおきを。
本の世界でしか聞かないようなセリフを、少年──ラピスさんは言った。
しょ、少年って感じじゃない! お兄さんだ!
わたし、とんでもないところに来ちゃったみたいだ。
か、帰りたい……!
「帰っても、『主役』だよ?」
わたしの心を読んだのか、ラピスさんがずいっと顔をのぞき込んで来た。
仮面の向こうの目が、わたしをじっと見つめている。
まるで、ラピスラズリの宝石のような瞳で。
「向こうでは文化祭の『主役』。こっちでは夢サーカスの『主役』。アリスは、どっちの『主役』がいい?」
「どっちって言われても……。夢サーカスは、なにをするのか分からないよ」
両方とも『主役』なら、楽な方がいい。
緊張しなくて、簡単にできる方。
難しい主役なんてやりたくない。
「なら、見学しようか」
ラピスさんは、くるりと指を回した。
瞬間、その指から白い光が溢れた!
え、魔法!?
光が収まると、ラピスさんの手には杖があった。
上に深い青のサファイアみたいな宝石がついた、金色の杖。
お上品なおじさんが使っていそうな、腰の高さまである杖だ。
「団長から、みんなへ」
ラピスさんは杖を口元まで持ち上げると、その宝石に向かってしゃべり出した。
すると、それはマイクみたいに、サーカスのテント全体にラピスさんの声が響き渡ったんだ。
「今日も『主役』は不在だよ。他のみんなでがんばろう」
主役……。
そう言えば、わたしは劇の練習中に抜け出してきちゃったんだっけ。
迷惑をかけてたらどうしよう……!
「ほっときなよ」
アナウンスを終えたラピスさんが、わたしを見ながら言い放った。
杖をくるくると弄びながら、楽しそうに。
「勝手に決められたんでしょ? そんな人たちのところに戻らなくてもいいじゃん」
「でも……」
「じゃあ、なに? あっちに戻って、『主役』をやりたいの?」
「ち、違う」
違う。
主役は、やりたくない。
でも、みんなに迷惑はかけたくない。
迷惑をかけちゃったら、クラスの中でどう生活すればいいか分からないもん。
「はは。その人間らしい考え方、僕は好きだよ」
ラピスさんは、子どものように無邪気に笑った。
「アリス、矛盾してるね。まぁ、人間らしくていいんじゃない? とりあえず、僕たちのサーカスを見てから決めなよ」
そう言って、ラピスさんはわたしに手を伸ばしてきた。
真っ白い手袋をした、大きな手だった。
「ほら、こっち」
ラピスさんに引きずられるように、わたしはカーテンのもっと奥の方へ連れていかれた。
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