第29話

夕食の席で、遠野家の紹介の弁護士に離婚の事を依頼してきたと百合子が凛に説明した。

「これからは、彼から直接連絡が来ることは無いわ」

昨日まで一応夫婦としての形を保っていたのに、既に情の欠片すら見受けられない。

それほどまでに彼のやってきた事は、彼女の怒りのメーターを振り切り、憎悪の対象になってしまっていた。

依子たちからすれば、当然のことで命があるだけでも感謝して欲しいと思う。まぁ、それも風前の灯なのだが。


百合子には理央の寿命があと僅かだという事は話していない。

ただ彼女自身、取れるものは何でも取ってしまえとかなり息巻いているようだ。

離婚すれば息子を女手一つで育てていかなくてはならない。ましてや、専業主婦だった百合子。

独身時代は勤めていたが、結婚してからはパートに出ようとしたこともあったが、理央に反対され結局は専業主婦となってしまったのだ。

無職のブランクがかなり長く、求職活動にも不安がある。

だからこそ、取れるものは取って少しでも余裕が欲しい。

これから住むところだとか、色々やらなければならない事があるのだ。

いつまでも、この家の人達に甘えてもいられないのだから。


そんな百合子に吉祥が、一つ提案してきた。

「ねぇ、百合子さんは職種に関してはこだわりはない?」

「はい。無職の期間が長すぎて不安もありますが、私に出来ることであれば、なんでもやります!」


そんな百合子に吉祥は、安心させるように微笑んだ。

「うちの神社なんだけど、先日一人結婚して辞めた子がいるの。できれば今すぐ働いてくれる人を探しているんだけど、なかなかこの人っていう人がいなくて・・・百合子さんさえ良ければ、うちで働かない?」

「え?あの・・・私なんかでいいんですか?」

「こちらからお願いしたいくらいなのよ。ほら、うちってかなり特殊な家柄でしょ?私の実家も似たようなものなの。だから、それらを理解してくれる人をこちらとしては雇いたいの」

百合子にも吉祥からこの家の事は説明されていた。

凛とは長い付き合いになる。ならば親でもある百合子にもこの家の事を理解してもらわなくてはいけないから。

「それに、住むところも提供できるのよ」

「え?」

「この家と神社はお隣同士なのは知ってるわよね?うちの神社はやたらと敷地が広くて、この家との間に一軒家を建てたのよ。奏が中学校にあがるまではそこに住んでたの。今そこは空き家になっていて、そこに住んでもらえばいいと思うの」

「家は住まないとどんどん劣化していくからね」と神威も頷く。

「え・・・私はとても助かりますが、そこまでしていただいて、いいのですか?もしかして全然使い物にならないかもしれないのに・・・」

嬉しいけれどそこまで甘えていいのか、不安が先に出る。


長い間生きてきた依子は、変化していく時代の中で色んなことを経験してきた。だからこそ、百合子の気持ちも痛いほどわかる。

「いいんだよ。目の前にチャンスがぶら下がっているんだ。見極める事も大事だが、今ぶら下がっているものは何よりも信用できるもの。掴み取った方がいい」


依子の言葉に動かされる様に、百合子は心を決める。

コネだろうと何だろうと、とにかく今は有り難い。

「どうか、よろしくお願いします」

「こちらこそ、よろしく」


あっという間の展開の速さに、百合子は戸惑いながらもホッと胸を撫でおろした。

そして、大人たちの話を聞いていた凛も、奏と離れずに済んだ事に安堵した。




百合子達の話がうまく纏まったのを見計らい、凛は奏と付き合う事になった事を伝えた。


依子や神威達は予想していたのか生温かい眼差しで「よかったね」と言ってくれたが、百合子は目玉が落ちるのではと言う位目を見開き、口も大きく開いている。

「え?凛・・・どういうこと!?奏さんと付き合う?え?この間会ったばかりよね?」

まぁ、至極当然だなと百合子以外の人間は思う。


「母さんが驚くのも無理はないと思う。実際俺自身も女性を好きになるとは思わなかったよ。でも、俺を助けてくれたあの日、ずっと俺を励ましてくれた奏にはとても感謝したのと同時に、恋愛ではないけれど好意はもっていたんだ」


いつも女性問題に悩まされている姿しか見た事がなかった百合子は、穏やかに笑う息子に唖然とする。


「たった一日・・・いや、半日。しかも会ったばかりの初対面。でも、とても長い時間を一緒にいたような感覚だったんだ。その所為か、同じ屋根の下にいても離れている事が不自然でしか無くて、とても不思議だった。依子さんに魂の波長が完璧なほど良いと言われても、それだけじゃない気がしたんだ。奏がとても大切でただずっと一緒に居たいと、強く思ったんだ」


お互いに顔を見合わせ照れたように微笑み合う二人に、百合子は胸の中に何かがストンと落ち着いた気がした。

あぁ・・・凛の運命の人は彼女だったのか・・・と。


漠然とだが直感的に浮かんだ言葉に納得したのならば、反対する理由はない。

それに、この家の人達には信頼以上の気持ちを持っているのだから。


「奏さん、凛の事よろしくお願いしますね」

百合子の言葉に二人は嬉しそうに頷いた。


初々しい二人を見ていると自然と笑みが浮かび、昨日までの最悪だった出来事が、幸運へと動いている事を実感する。


なんとも出会いそのものが特殊過ぎた・・・と、百合子は思う。

悪魔だのなんだのと漫画か小説の世界だけだと思っていた。

正直な所、あまりにも馬鹿らしい出来事に信じきる事が出来ない気持ちがあった。だが、出産間近で娘が死んでしまった事には、夫でもある理央からのカミングアウトに何故か納得してしまったのだ。

己の欲望の為だけに、娘を殺すだけでは飽き足らず、凛にまで辛い思いをさせていたのだと思うと、理央に対しては殺しても殺したりないほど憎くてたまらない。

凛が女性と言うより、人間不信に陥っていくのを見ている事しかできずにいた。

だから家では穏やかに過ごせるように気を配っていたというのに。


娘が死んだのも、息子が対人関係に苦労しているのも、全ての原因は理央だったなんて。

単純に、理央達への疑惑に対しての苛立ちは積もりに積もっていた。だけれど、現実的にあり得ないと思っていた。

なのに理央の開き直ったかのような、暴露。

これまで確信が持てなかった事に対しての答えが出たのだ。誰が仕組んだのか。誰が悪なのか・・・


そこまで考え、今更ながらふっと気付く。


あぁ、そう言えばあの人は悪魔を信仰していたんだったわ。

「悪」と罵れば喜びそうね。


もうすでに情の欠片もなく、ただ他人事にしか感じない理央に対しては、憎しみ以外これと言って何の感情も浮かばなかった。

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