1-13:シオン

 雨が、降っている。


 4番街は正門が近いこともあり、他国からの貿易商も訪れており、賑わいを見せている。

 だが、少し正門から離れれば、大通りの喧噪は届かず、雨音のみが響いていた。


 シオンはロロの店を飛び出し、行先も分からず走りまわって、適当な路地裏の隅でようやく足を止める。

 行先も分からない?

 そんなことはない、家に帰ればいいのだ。

 4番街から離れた6番街、貧民街とも呼ばれる一角にシオンの住む小屋がある。

 そこに帰ればいいだけなのに、何故か路地裏で足を止めている。


 そもそも、先ほどまでロロの店に居たこと自体が彼女としてはおかしなことだ。

 自分がしたいことがよく分からない。


 雨がべちゃべちゃと前髪を濡らして顔に張り付くが不快感は今は感じない。


「……」


 自分の口元に手を当てる。


 喉元で炸裂したペンダントは痛みはあったが魔人族であるシオンを殺すほどではなかった。

 ただ、衝撃と痛みは自身の過ちを気付かせてくれるには十分だ。


 正直、ロロの術式が発動するまで何をしようとしたのか自覚がなかった。

 ロロに喋ることを禁止されてからそもそもそんな機会は来なかったし、心配もしてなかった。

 だから、シオンはすっかり油断をしていた。


 異世界から来たという人間、彼は驚いたことに魔人族が何なのかを理解していなかった。

 そして、何故か幸運にセリム動言語を理解し、シオンと正面から接してくれた。


 なんとも自分に都合がいいことだとシオンは思う。


 すべての人間はシオンと相対するとき、警戒を崩さない。

 能力を理解しており、大英雄の使い魔を自称するロロでさえ、シオンと話すときは常に口の動きに警戒しているのだ。


 それだけシオンの能力は恐ろしい存在だった。


 制御などシオンにはできない、喉元で自動的に発動する術式は彼女の意思とは関係なしに言葉で人を傷つける。

 実際、故郷でも同じことが起きたのだ。


「シオン、お母さんにご本読んでくれる?」


「うん!」


 あの時のシオンに魔人族としての自覚はなく、能力にも覚醒はしていなかった。

 村に住まうただの元気な少女。それが周りが受ける彼女の印象だ。


 シオンの母は魔人族の特徴を現したシオンにも愛を持って接してきた。

 シオンが好きなウォーゲルの冒険記を何度となく読み聞かせる。

 大好きな本を大好きな人に教えてあげる感覚がシオンは好きだった。


 大英雄、千手の武人ウォーゲル・エルクが魔王を討った後に綴った記録。

 彼はシオンや父からすれば魔人族の仇なのかもしれないが、正直産まれた時から魔人族と関わりのない暮らしをする彼女らには関係のない話で、純粋に冒険の記録を綴った、その本は夢中にしてくれた。

 故郷の村人たちもシオンたち魔人族に対しても分け隔てなく接してくれていた。


 今にして思えば、辺境の村で認識が薄かったのかもしれないし、実際思うところがあったのかもしれない。

 今となっては確認する術はシオンにはない。


 だが、そんな生活もシオンが能力に覚醒してから一転した。


 シオンの言霊魔術はシオンの言葉を媒介とし、他者の体内のマナを汚染するもの。

 体内を巡るマナは生物を構成する大きな要素で、それを汚染されれば人としての在り方を損なうに十分な力を持つ。

 結果、シオンの言葉が彼女の声を聴いたものの至上命題となり、歯向かうこともできなくなる。


 ふとした言葉で覚醒し、彼女の脅威は一瞬で知れ渡った。


「シオン、大丈夫。きっと、大丈夫だから」


 そういってシオンを逃がす両親の顔を今でも鮮明に思い返すことが出来る。


「……」


 そこまで思い出して、シオンは声をあげて泣きそうになる口をぎゅっと結んで堪える。

 声を出さずに泣くことが出来るのは彼女がこの街に来てから会得した得意技だ。


 それからの生活はシオンにとって地獄だった。

 自分の言葉でまた人を傷付けるのではないのか。

 しかし、幼いシオンには死ぬ勇気もなく、必死に誰も傷つかないように生きていくしかなかった。


 人から嫌われていると辛くて、泣きそうで、悲しいけど、現在の感情で塗りつぶされて昔のことを思い出さなくても良かった。

 生活が苦しければ今を生きるのに必死で、物思いにふける余裕もなかった。


 それでも、寂しくてどうしようもないからソウジに甘えてしまっていたのだ。

 ロロが止めてくれたことに心から感謝する。

 改めて認識した。自分は人と接してはダメな存在なのだ。


 それでも。


「……、……」


 口元だけ動かして、声が出ないよう注意しながらパパとママを呼んでみる。


「……」


 ――さみしいよ。


 自分は人と接してはダメな存在だ。

 自分はみんなを不幸にした罪人だ。

 自分は周りから嫌われる魔人族だ。


 でも寂しいのはどうしようもなかった。

 譲れない感情だった。


「シオン!!」


 雨を切り裂くようにシオンを呼ぶ声が聞こえる。

 雨と涙でぐちゃぐちゃな顔を上げると、息を切らしてこちらを見るソウジの姿があった。

 あれだけのことがあったのだ、ソウジがロロから自分の事を聞いてないはずがない。


 では、何をしに現れたのか分からない。

 一瞬口を開きそうになるが、慌てて止める。


『ソウジ』


 セリム動言語で名前を告げる。


「いやぁ、悪い……時間かかった。家には帰ってないとは思ってたんだが、この辺入り組んでて」


『疑問、何故』


「どっちだ? 家に帰ってないか分かった理由か? 探した理由か?」


 両方だった。


 今までの態度と微塵も変化がない。

 彼の事が理解できなかった。


「家に帰ってないと分かった理由は探してほしいと思ってるのかなって思ったのと。

 探した理由はロロさんに派手にやられたから怪我してないか心配で」


 そうか。と、シオンは納得する。

 ソウジはシオンの能力の事をロロに聞かなかったのだ。

 ならば、教えてあげないといけない。魔人族と接することがどれほど恐ろしいものか


『私、能力』


「聞いた。言葉にしたら相手は言葉に逆らえなくなるんだろ?」


『……』


 知っていた、彼はシオンの能力を理解している。

 理解したうえでこの場に現れたのだ。


「それと一緒にシオンが今までみんなを傷つけないように我慢して頑張ってたいい子だってことも知った」


『否定、私』


 少し、少しだけ綴るのに勇気が必要だった。


『死神』


 ロロ曰く、シオンが死ねと言葉にすれば神すらも抗えない。

 この世に存在する時点でマナを持ってないわけがないので、で、あるなら神が存在するとしても言霊魔術はその上を行く。


 当然死を望む言葉を口にするつもりはシオンにはさらさらないが、言葉のどこに命令となり得る単語が含まれているか分からない。

 それが死を与える言葉になるのかもしれない。

 神だろうと人だろうと平等に死をもたらす自分は死神同然だった。


 溢れてきた涙を袖で拭う。

 袖も雨でずぶ濡れなのであまり意味がなかった。


「そんな泣き虫な死神いるかよ」


『……』


「確かに能力は……恐ろしいものなのかもしれない。でも、それとシオンが優しい子だと言うのは関係がないことだろう?」


 そうして、ソウジは一歩シオンへと歩み寄る。


 びくりと身体が震える。

 過去、自分が無意識に傷つけた人たちが、村人や両親の顔が頭に浮かぶ。


「……ぁ」


 だから……


 彼を守らなければならない。

 優しい彼を死神から遠ざけないといけない。


 シオンはしっかりとソウジを見つめて、口を開く。


 久しく出せていなかった自分の声だ。

 今はネックレスもないので問題なく話すことが出来る。


「私に……近寄らないで」


 久しぶりにしてはしっかりと声が出て安心する。

 震えて、惨めな声色だったが喉元に宿る感覚が術式が発動する。


 これで彼は一生自分に近寄ることはできない。


「断る」


 そう思ったのにも関わらず、ソウジの足はさらに一歩踏み出した。


「本心でもないことを喋るのっていやだろ。俺も経験あるよ、内心こんなこと思ってないのにー。とか、あとで言い方間違えたなぁ。とか」


「な、なんで……?」


 おかしい、術式は勝手に発動している。

 実感はあるのに何故かが分からない。


「私は危ないから」


 気持ち悪い。


「私は死神だから」


 吐きそう。


「私は人殺しだから」


 こんなつらいことしか言えない喉など潰してしまいたい。


「だから……私から……私から離れて……!」


 最後は声にもならずに雨音に消えていった。

 しかし、顔を上げるとソウジが目の前へとやってきていた。

 歩みを止められない。


「シオン」


「あ……あ……」


「いいんだ、そんな悲しい言葉言わなくても」


「なん……で?」


「俺には魔力がないんだ。だからシオンの術式は効かない。

 仮にシオンが俺に死ねとか消えろと言われても俺はお断りだ――かなり傷付くからできればやめてほしいけど」


「魔力……が?」


 そんなことがあり得るのか?

 魔力がないのにどうやって存在しているのか。

 一欠片も魔力を持っていないなど、そんなことがあるのか。

 想像も、考えたこともない思考がシオンを包んでいる。

 そして、ぐるぐる巡っていく考えは自分に問いかけてくる。


 ――そんな自分に都合のいいことがあるだろうか。


 彼はシオンが話しても大丈夫なのだろうか。


「だから、俺には本心で話してくれ。遠ざけるために自分を殺した言葉はいらない。俺はそういうの嫌いなんだ」


 そうして、ソウジの手のひらがシオンの頭を無遠慮に撫でた。


 その途端、あの日からなるべく人と距離を取ろうとしていたシオンの足はソウジの懐に飛び込むように歩みだし。

 彼の胸へと収まった。


 涙なのか雨なのか分からないぐちゃぐちゃな顔をソウジに押し付けて。

 なんでも本心を話してくれと言ってくれるソウジに向かって。


「ぁぁぁ!! うわぁぁぁ!!!」


 声は出るのに。

 ――何故か言葉は出てこなかった。


――――――

――――

――


「シオン、落ち着いたか?」


「……うん」


 色々と言いたいことはあったはずだが、泣くことしかできないシオンはソウジに静かに待ってくれていた

 シオンは彼の胸から顔を離して、小さく頷いた。


「ソウジ、ありがとう」


「あぁ」


「あの時、言おうと思っていたことがあるんだけど……」


 不意に口から出てきて、ソウジへ伝えようとした言葉。

 あの時はロロの術式で伝えることが出来なかったので、改めて口にしようとする。


 未だに恐る恐るといった様子だ。

 それもそのはず、シオンがこの言葉を口にすれば他者を歪めてしまう、そんな恐ろしい言葉なのだ。


「助けて……」


 ずっと思っていたが、能力ゆえに口に出せなかった言葉が口から零れる。

 シオンがその感慨に耽るより早く、ソウジからの返答が飛んできた。


「任せろ」


「魔人族だって、悪口言われるのも、酷い事されるのも、寂しい思いするのも……全部いや。全部嫌なの」


 自分でも理解していなかった自分の欲望を口にする。


「だから、私を助けて……」


「任せろ」


 もう一度、ソウジは力強く言った。


「それで、シオン」


 ソウジの両手がシオンの両肩に置かれる。

 突然のことに、シオンの心臓がドキリと跳ねる。


「……な、ななな何?」


「ラジオパーソナリティをやってみないか?」


「……え?」


 何を言っているのか分からない。

 ラジオパーソナリティ、確かソウジがやっていた仕事だとシオンは記憶している。

 昨日魔導具を前にお話ししようとしていたあれだ。

 確か、いろんな人に声を届ける仕事だ。


 それを、シオンにやらせようとしている。

 徐々に言った言葉の意味に思考が追いついていく。


「え、えぇぇ、え!?」


「シオンの言霊魔術って肉声を聞いたらってことなんじゃねぇかなって。ラジオを介せば影響が出ないじゃないかって」


「む、無理! 無理だよ!」


 顔を真っ赤にして力一杯に首を横に振る。


「いや、行ける!」


 なにその自信……


「シオンの声質はめちゃくちゃ綺麗だ」


 顔が雨の冷たさに負けじと熱くなっていく。

 雨粒が蒸発しているのではないかと思う。


「天性の物なんだろうな、透明感があるし、鈴が鳴るように心地よい音だ」


「心地……よい」


 ラジオパーソナリティの仕事をシオンは想像できない。

 一人で顔も見えないみんなに向けて声を届ける。


 ――やっほー! みんな聞いてるー!? 今日もよろしくねー!!


 想像の自分はきゃぴきゃぴとマイクの前で飛び跳ねている。

 想像だけで恥ずかしくて死にそうだ。


「私……できないよ……」


「シオンなら出来る!」


「……なんで?」


 強情なソウジに恐る恐る聞いてみる。

 そんなシオンににっこりと笑いかける。


「……直感が1割、俺が情けないのが1割、個人的な感情が1割」


 そのソウジの言葉は何かの焼きまわしのように見えて。

 そして、親指を立てる。


「楽しそうに会話できる子……てのが10割だ!」


 ソウジの言ってることは全部は分からなかった。


 雨が晴れ、虹が見えて綺麗だなとか思いながら、ゆっくりと頷く。


「……うん」


 取返しのつかないとんでもないことを承諾してしまったのではないかと、シオンは思った。

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