1-12:ラジオパーソナリティーの仕事

 空を見上げてみれば、王都ガリアは生憎の空模様のようで、雨雲が街中に影を落としていた。

 このままだと雨が降るだろうと、俺は抱えている紙袋をしっかりと持ち直し、駆け足気味に帰路を急いだ。


 魔導具店に戻り、扉を開けてみれば、ロロさんが先ほど出て行ったときと変わらないようにつまらなそうに丸まっている。


「ソウジ、戻ったね」


「はい、けど今からシオンを探しに行こうかなって」


「そうかい、それなら目的は達したね」


 ロロさんはあごで店の隅を差す。

 そこには大量の魔導具に埋もれるようにシオンが膝を抱えて座っていた。

 店を飛び出して、どこに行ったのか分からなかったがまさか店に来ているとは思っていなかった。


「店に来てからずっとあの調子さ。何があったか知らないが一人にもなりたくないらしい」


 シオンの様子は酷く落ち込んでいるように見える。

 では、何を落ち込むことがあるのか。


 シオンが怒っていたら俺にも意味が分かる。

 彼女の思っていることを無視して、勝手に浮かれて独り相撲をして、終いには彼女の環境を言い訳にもした。

 怒っても仕方のないことだ。


「シオン」


 分からないので、会話をすることにする。


 俺が声をかけるとシオンはゆっくりと俺を見て、そして恐る恐る、俺の頬を撫でた。

 シオンが叩いた頬だ。


 赤くもなっておらず、痛みもないのにシオンは泣きそうな瞳で俺を見ている。


 この子はよく俺の怪我を気にする。

 冒険者ギルドへ寄付したのも冒険者の人たちに危険がないようにって配慮した結果だ。


 シオンは人が傷付くことを恐れている。

 多分、周りの人間が傷付く様を昔これでもかというほど見たからだろう。


「大丈夫、痛くないよ」


『疑問、本当』


「あぁ、むしろあれのおかげで目が覚めた」


 俺は元いた世界での環境を悔いている。

 そして、廻ってきた第二のチャンス。

 加えて、俺がそのチャンスを求めるのにシオンという存在が大義名分となる。


 もちろん、シオンを想ってと言うのは事実ではある。

 ただ、それが100%ではない。


「シオン、話をしよう」


『お話』


 やっぱり、まだ俺はシオンの事を知らなければならないのだ。


「シオン、俺はシオンの境遇に納得は出来ない」


『魔人族』


「違う、シオンの境遇に納得が出来ないんだ」


 魔人族が過去に何をしたかは知らない。

 魔人族に人々がどんな目にあったかは知らない。


 ――でも、シオンが何も悪いことをしていないことは知っている。


「シオンの存在がバレて家族や村の人が大変な目に合ったのも聞いた。

 でも、それはやっぱりシオンを取り巻く環境の所為で、君は悪くない」


『……』


「そして、それを受け入れているシオンの事も納得できない。

 周りもシオンも結託してシオンを不幸にしようとしている、それが理解できない」


 ここまでは前にも似たようなことを言った。


「あと、俺はラジオが好きだったんだ」


『らじお』


「あぁ、ラジオ一つでパーソナリティがリスナーに声をかけてくれる。

 俺の声でみんなと話が出来る。顔も見えない人たちが俺の声を聴いて反応を示してくれる」


 だが、世の中そんなに甘くはない。


「楽しかったラジオにどんどんしがらみが産まれてきて、俺は自由に何もできなくなった。

 それが嫌で駄々をこね続けていたんだ」


『……』


「でも、ここにはそんなしがらみは存在しない。

 俺はあの時の楽しかったラジオを取り戻すことが出来るのかもしれない。それを期待した」


 シオンに俺の言いたいことが正しく伝わっているか分からない。

 でも、伝えていないことがないようにすべて話す。


「シオンの境遇を変えたい。ラジオをこの異世界で自由にしたい。どちらも俺のエゴだ。

 それをシオンのためとか息巻いて恩着せがましいことをした」


 深く、深く頭を下げる。


「だから、ごめん」


 顔を上げた後、シオンへと紙袋を手渡す。

 中に入っているのはミスタさんと協力して選んだシオンの服だ。

 ミスタさん曰く、女に謝る時にはとりあえずプレゼント。だそうだ。

 なんか極論な気もするが都合もいい。


「これから俺がやっていくことは俺のための行いだ。

 だから、俺にシオンを助けさせてほしい」


 勝手に助けなきゃとか、思っていることが間違っている。

 俺がしなきゃいけないことはシオンに助けさせてほしいとお願いすることだったんだ。


 シオンが渡された紙袋の中身を確認する。

 派手な色合いもなく、かつ屋外でも活動しやすいようなカジュアルな服。

 フードがないのは俺の決意の現れだ。


 シオンの目が瞬く。


『……』


 瞳の中に揺れ動いているのは期待と迷いだろうか。

 外で振り始めた雨音だけが響く静寂が店の中を包んでいる。


 シオンは胸元の青いネックレスを握る。

 そして俺を見た。


 失語症というのは、過度なストレスから発生するものと聞いたことがある。

 だから、ふとしたきっかけや、本人の気持ちで言葉を取り戻す機会は訪れるとも。

 シオンの唇が震えながら開かれていく。


 俺は押し黙り、シオンの口から紡がれようとしている言葉を待つ。

 それが仮に掠れて小さい言葉であろうと、聞き逃すことは許されない。


 ――だから。


「……シオン、それは契約違反だ」


 部屋に響く、感情のない無機質な声はロロさんのものだ。


 途端、シオンの胸元にあった青い宝石が大きく輝き――炸裂する。


 シオンは壁に叩きつけられ、俺も衝撃に後ろに倒れる。

 何が起きたのか全く理解できなかった。


 ちかちかと明滅する視界と思考を落ち着けながら、後ろを振り向く。

 そこには机の上でシオンを見やるロロさんがいた。


 ロロさんの目はただただ関心もないように倒れているシオンを見ている。


「……ぅ」


 シオンが呻き、その身体が少し身じろぐ。


 ロロさんはそんなシオンを見て心底呆れたようにため息をついた。


「術式の発動が甘かったか。シオンが抵抗したか、私が魔人族の耐久を見誤ったかだな」


 ロロさんが言っている言葉が翻訳されているのに理解が出来なかった。


「――殺し損ねた」


 その言葉だけ理解出来て、ロロさんがシオンを殺そうとしていた事実に身体を起こして二人の間で手を広げる。

 ロロさんの周りにはいつの間にかいくつもの魔法陣が展開されていた。


「ロロさん!? 何のつもりですか!?」


「どきなさい、ソウジ。君を殺すつもりはない」


「殺すつもりはないって……」


「彼女が付けていたネックレスは私が与えたもので、私と彼女の契約が反故にされると同時に術式が起動して炸裂するものだ。

 予定では、首の上を吹き飛ばす勢いだったのだが、幼くとも魔人族だね。人間と違い頑丈だ」


「契約……?」


 言葉の真意が掴みきれず困惑する。

 少なくとも、ここで身を挺してでも庇わなければロロさんはシオンを殺すつもりだと言うことは分かった。


 ちらりと後ろにいるシオンを見れば、シオンは目を見開いて、震える手で自分の喉元を押さえている。

 幸い出血などの怪我を負っていないように見えた。


「シオン」


 ロロさんが冷たく名を呼んだ。


「君は今、喋ろうとしたね」


 その事実を自覚していなかったようにシオンが定まらない瞳でロロさんを見つめる。


「言ったはずだ、君がこの国で喋るつもりなら、私は容赦なく君を殺すと――冗談とでも思ったか?」


「……ぁ」


 弁明のためか、一瞬シオンの喉から小さく息と共に声が漏れる。

 しかし、すぐに自分の喉を押さえて、地べたを這うように駆けだした。

 逃げるように店の出入り口へと向かう。


「この私から逃げ遂せるとでも?」


 ロロさんの魔法陣が角度を変え、シオンを追従するので俺は再びロロさんの前で手を広げる。

 一瞬シオンは俺を見て何かを言いかけたが、結局そのまま店を飛び出していった。


 ロロさんはそれを見送りながら、敵意を持った瞳で俺を見る。


「何のつもりだい? ソウジ」


「こっちのセリフです! シオンが何をしたって言うんですか!?」


「……」


「もしかして、シオンは失語症なんかじゃなく、話さないようにしているんですか?」


 シオンは出会った時から、セリム動言語で会話をしており、声を出す素振りもなかった。

 だから、俺はシオンが失語症なのだと勘違いしていた。

 しかし、先ほどまでのやり取りを見るに、シオンは問題なく声を出すことが出来る。

 敢えて、喋らないように口を閉ざしていただけだ。


「魔人族が人々から向けられている感情が何かわかるかい?」


 急に話が魔人族へと広がる。

 今まで、魔人族に感情をぶつけていた人々は嫌というほど見た。

 そんなもの、見ていればすぐに理解できる。


「憎しみ、嫌悪感です」


「違う」


「は?」


 露天商のクライヴもミスタさんも冒険者もセレーナさんもギリオンでさえ、シオンを見つめる目には一種の敵意、嫌悪感があったはずだ。

 何も間違っていない。


「正確にはそれが大部分ではない。だ。

 君が今日までに見た感情で表面に出ていたものは嫌悪感だろうけどね」


「じゃあ、なんですか?」


「街の人々も、ギリオンも、この私でさえ……君以外のすべての人類が抱く感情は同じものだ。――恐怖だよ」


「恐、怖……?」


 怖い?

 あのいつも人々に怯え、縮こまり、怖がるような小さな背中がみんな怖いのか?


「魔人族が人類との戦争で最も脅威だったのは、生まれながらにして持つその特性だ。

 彼らは産まれた瞬間に身体に術式が刻まれる。そして、その術式においてのエキスパートとして生を受けるんだ。

 こと魔法戦に置いては魔人族の赤子と人間の歴戦の魔導士が同等の技量を持つことになる」


「シオンにも魔人族特有の術式があるってことですか?」


「最初は皆怖がっていたさ。だが、あの子はずっと怯えている。あんな子が怖いように見えるだろうか?


 いずれ、恐怖に耐えかねた誰かが彼女を罵倒するかもしれない。


 だが、あの子は怯えたままだ。故に人々はシオンを“攻撃して良いもの”だと考えた。――根源の恐怖を抱いたまま彼女への攻撃性へと変化した」


「ロロさんも……怖いんですか?」


「あの子の境遇を憐れんでこの魔人族に関しての迫害がまだマシなこの国へと連れてきた。

 だが、私が彼女を恐怖しているのは同じだ。並の魔人族であれば恐れることはないだろう。だが、彼女の術式は別格だ」


「それは何なんですか?」


「彼女の肉体に刻まれた術式は“言霊魔術げんれいまじゅつ”。彼女の言葉により人々を歪ませる恐ろしい魔術だ」


 ロロさんはぽつりと、そう告げた。


言霊魔術げんれいまじゅつは彼女の言葉を媒介にそれを聞いたものの魔力回路を汚染し、肉体を支配するものだ。

 彼女が発言した内容はそれを聞いた者の意思とは関係なしに実現される」


「つまり、シオンが命令を下せば、誰も逆らえないということですか?」


「そう、例外はない。

 彼女が死ねとでも口にすれば、私であろうと誰であろうと、――それこそ神でさえ、自死を選択するだろう」


「……」


 言葉が出なかった。

 シオンが言葉にした命令は神であろうと逆らうことが出来ない。


 驚いたのはそこではない。


 シオンの目には常に恐怖があった。

 俺は周りの人間の敵意を怖がっているのだと思った。

 当然だ、あんな全員から敵意を向けられて怖くないはずがない。


 でも、違った。

 シオンは自分が怖かったのだ。

 人々に接するときも。ロロさんと接するときも。

 あの子は自分が周りの人間を傷つけるのを怖がっていた。

 自分が傷つける可能性があるみんなを恐れていた。


「……シオンの術式は絶対なんですか?」


「そうだ。この世にマナがない存在などあり得ない。先ほど君に告げようとした言葉が攻撃的でなくとも、その油断はいずれ君を殺す」


 俺は踵を返して、店の外へと向かう。


 扉を開ければすでに雨が降っていた。

 シオンは身体を濡らしてしまっているだろう。


「ソウジ!」


 ロロさんの怒声が俺を止める。


「ロロさんは何故、この街にシオンを連れてきたんですか?」


「……」


 ロロさんは押し黙る。

 哀れんだと、そう言った。だが、シオンの言霊魔術は街中で暮らさず、孤独に街を離れて暮らすなら害が少ない。

 もしくは、嫌な想像だが、シオンの喉をつぶしてしまうのだって一つの手だ。


 ロロさんはそれをしなかった。

 シオンを孤独にもせず自分の目が届く範囲へ置き、ギリギリまで傷付けることもしなかった。


「ロロさんもシオンの事を想ってくれているんですよね」


言霊魔術げんれいまじゅつは私が知る中でも最も強力な術式とさえ呼べる。

 自分で操作もできず、言葉の一音一音を術式対象とする高度な処理を強制的に行う。

 私も研究をしたが、彼女の術式は操作も分解もできない。この――」


「――大英雄、ルージェリカ・オランダの使い魔である私が言うのだからその方法はないといっても過言ではない。とかって奴ですか?」


 随分大言壮語だ。

 だが、ロロさんにも知らないことはある。

 故にそれは過言なはずだ。


言霊魔術げんれいまじゅつは他者の魔力回路を汚染して、強制的に命令を実行させる術式……なんですよね」


「あぁ、そうだ」


 なら、問題ない。


「俺に魔力はありません。魔力回路もないはずです」


「…………は?」


 長い沈黙の後にロロさんが間の抜けた声をあげる。

 冒険者ギルドに最初に行ったとき、ギルドカードを作成できなかった。

 魔力測定器も不発。当然だ、俺の世界に魔力なんてないのだから。


「いや、そんなバカなことが……」


「俺だったらあの子と正面から堂々と話をしてあげれます」


「待て、ソウジ。君の中に魔力がないといったが、それは観測できないほどの微弱な魔力があるのかもしれない。

 今はあの子は放っておいて、距離を置くべきだ。


 声をかける程度のことに命を懸けるべきではない!」


 ロロさんは俺を気遣ってくれているのか、それともシオンがこれ以上傷付かないようにしているのか。

 それともその両方か。どちらにせよありがたい話だ。


 ただ、“声をかける程度”と云ったことは訂正しておきたい。

 だから俺はロロさんに振り向き、まっすぐに声をかけた。


「その声を届ける事が俺の仕事なんです。それが、ラジオパーソナリティです!」


 そういって俺はロロさんのもとから駆けだした。

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