1-10:はじまりのいち

■ ◆ ■ ◆ ■


『始まりまーす。本番5秒前、4、3、2、1、どうぞ』


 ヘッドホンから聞こえる音響さんの声で気合を入れる。

 手元にある台本は手汗で少し変な曲がり方をしている。

 頭の中にあった、話すことリストは時間が経つにつれ、消しゴムで消されていく。

 閉塞したブースの匂い。音の鳴らず安定した椅子の心地。すべての音を拾ってくるマイクの重圧。

 それらをすべて受け入れて、俺はカフボックスを上げた。


「越智 宗次の! オーりゅサンデー!!」


 ちょっと甘噛みした。

 こうして俺の初めてのラジオ放送は何を話しているのか分からないほどに緊張した状況で、何を話しているのか分からない状況で終わった。


『はい、終わりました。お疲れ様ですー』


 どっぷりと椅子にもたれかかる。


 そんな俺の頭を紙の束で優しく叩かれる。


「おつかれ」


「チーフ……」


 チーフディレクターだ。

 あごひげを蓄えたナイスミドルといったダンディな人だった。

 俺をこのラジオのメインパーソナリティーに推してくれたのはこの人だ。


「散々だったな。出鼻をくじかれるとはこのことだ」


「いや、未経験なんですよ。せめて生放送じゃなく収録形式にはできなかったんですか?」


「生放送だから映えると思ったんだよ。撤収撤収」


 チーフに急かされるままブースを後にする。


 今日は生憎の雨模様で休憩室ではいい感じに雨音が心地よく聞こえている。

 帰る時には気が滅入りそうだが。


 目の前にチーフがコーヒーを置いたので礼を言って、口を付けた。


「いやぁ、タレントとして地方のローカル番組には出たことあるんですけどね」


「おー、見てたよ。若手の中に混じってひな壇芸人って感じだったな」


「あの時も緊張してたんですけど、何というか上手くやれたなって実感は持てたんですけど、今回は全然うまく行かずに、取り戻そうと話せば話すほど空回りしてるみたいで……」


 チーフは俺の話をまじめに聞いていたが、がっはっはと笑い飛ばしてきた。


「テレビの方も見てたけど、あの時もお前は空回りしてたぞ」


「え!? そうでした!?」


 結構ウケてたというか、盛り上げに一役買ってた気がするが……


「うまく行ってたのは司会の芸人の取り回しがうまかったな。お前の会話をうまくおもしろい方向に誘導してた」


「まぁ……確かに……」


「今回は相手もいない一人のトークだったから、空回りしてたんだろ。独り言で盛り上がってるやつ、みたいな?」


「まぁ……確かに……」


 テレビ番組の時は個人的に結構うまく行った自覚があって、録画した内容を何度か見返していたのだが、確かに司会の芸人さんの尽力もあった気がする。

 俺がうまくやれてたというより、芸人さんとの会話がうまくかみ合った感じだ。


「一人で話してるお前は暴走気味で聞いててひやひやする感じだ」


「俺、ラジオパーソナリティーなんて向いてなくないですか……? なんで俺のところに話回ってきたんですか……?」


「俺が推したからだよ」


 チーフは渾身のキメ顔を放った。

 とんだ見込み違いだ。


「では、残念でしたね」


「一回失敗したくらいでめそめそして、これだから近頃の若者は……」


「めんどくさいおじいさんみたいですよ?」


 チーフは携帯を取り出して、何かを入力しだした。

 ここから見える画面はSNSの画面に見える。


「独り言してるからダメなんだよ。相手と会話するつもりでいろ」


「相手って……ソロラジオですよ?」


「いるだろうが」


 チーフが見せた携帯の画面にはSNSで検索した俺のラジオ放送の感想が書かれていた。

 批判7割、無関心2割……応援1割。


「こいつらが聞いてんだから、お前はこいつらと会話しろ」


「結構酷い言われようですね」


「心が折れるから検索は時々にしとけよ」


 チーフはコーヒーを飲み干すと席を立った。


「チーフ」


「なんだ?」


「なんで俺を推したんですか?」


「……勘が1割、予算関係が1割、政治的なキャストが1割」


 褒められたもんじゃねぇな。


「こいつ楽しそうに会話するな……ってのが10割だ!」


 楽しそうに会話する。

 俺はラジオ放送が好きだ。

 あの瞬間は俺だけがブースに区切られた空間を支配しているみたいで。

 そんな俺と会話をしている不特定多数を意識して……


 この後、俺のラジオ番組はどこかのタイミングで化けて、地方のラジオ放送ではそこそこ有名な部類に入る番組となった。


■ ◆ ■ ◆ ■


『ソウジ』


 ロロさんの魔導具店は俺がミスタさんの店でバイトした後に時間外労働で掃除をしたおかげで、廃墟からごみ屋敷程度に改善されていた。

 一部綺麗にした机の上に置いた紙を前に格闘しているとシオンが顔を覗かせてくる。


『疑問、行動』


「ラジオ放送の台本を考えているんだ」


 シオンはいまいち理解できていないのか、少し難しそうな顔で言葉を飲み込んでいる。

 そんなシオンと俺を少し離れた場所で身体を丸めたロロさんが片目を開けてみている。


「シオン」


『……』


「最近よくここに来るね」


 ロロさんがそういうが、シオンは首を傾げている。

 まぁ、そこまで高い頻度で来ているとは思わないが、こうしてこの店に顔を出し、俺の仕事を横から見ていることは多くなった気もする。


 ロロさんはそれ以上掘り下げるつもりは内容で、頭を下げて完全に丸まってしまった。


「それで、今度ラジオのテスト放送するから何をするか考えててな」


『疑問、内容』


「ラジオは色々やれることあるからな……選択肢は無数にあるが……」


 そういってちらりと顔を見れば、シオンの目がきらりと輝く。

 知らないことを聞くのが楽しいのか、それとも元々お話好きな性格なのかもしれない。


 なので、少しかみ砕いてみる。


「定番だと、歌を流すことかな?」


『詩』


 シオンが両手を握って喜ぶ。


 詩が好きなのだろう。

 こっちの世界で言えば……


「吟遊詩人って奴か?」


『大英雄、詩、好き』


 この世界では大英雄は詩になるのか。

 とはいえ、テスト放送でやるにしては……


「流石に俺は歌えないし無理だな」


『……』


 シオンが目に見えて落ち込む。

 いつか、ラジオが成功したら、有名な吟遊詩人を誘ってコラボするのもありかも知れない。


 ほかにも、お便り募集。ロケ物。企画系。ニュース放送。

 ダメだ、基本的に準備が必要でテストでやるには現実的ではない。


『ソウジ』


 シオンが俺の名前を呼んで、手を上げる。


「どうした?」


『提案、お話』


「話?」


『ソウジ、お話、楽しい、凄い、おすすめ、楽しい』


 シオンが一生懸命に言葉を連ねる。


 やはり、フリートークか……

 フリートークは基本パーソナリティが喋っているだけなので異世界においても真新しさはない。

 加えて、ギリオンが納得するトークが出来るかは怪しいだろう。


 だが、パーソナリティの力量が出るので、ギリオンに俺の実力を分からせるには向いてるか。


「やるならフリートークか……」


『希望、聞く』


「今回のテスト放送は試作機だけで相手はギリオンだから聞けないよ」


 ロロさんが指摘するとシオンの眉がぺったりと落ちた。

 とはいえ、こうしてシオンから希望を出してきたのは良い傾向な気がする。


「放送側は術式を起動するロロさんとパーソナリティの俺に、見学者が居ても別にいいんじゃないですか?」


 かわいそうなので助け船を出す。

 ロロさんは少しだけ俺を値踏みするように目を細めてみると、嘆息する。


「ソウジがそれでいいならね」


 なんだ? 何か気にかかっているように見えるが真意は見えなかった。

 ともかく、ギリオンへのテスト放送の内容はフリートークへと決まった。


■ ◆ ■ ◆ ■


 夜の魔導具店。

 明かりを灯した魔導具のみで薄暗い店内に、大型な装置が置かれている。

 武骨でシンプルな機械の箱に見える。

 上部に何かの差込口はあるが、それを含めてぱっと見の感想は大きな木製のティッシュ箱だ。


 放送機器の横にロロさんが立ち、その前に俺が椅子に座る。

 後ろに座っているのは見学のシオンだ。


「試作機で、本来はもう少しアタッチメントを用意するんだが、今日は私がアタッチメントの代わりをする」


「はい」


「理論上、私が魔力を込めて術式を起動出来れば、受信機側へ音が届く。

 当然その受信機はギリオンが持っているよ」


「シオン、放送が始まったら音が入るから静かによろしくな」


 そういうと後ろで大人しく座ってたシオンが口を両手で押さえる。

 そこは心配していないから歩き回らないようにって意味だったのだが、まぁいいだろう。


 台本として用意した紙を机の上に置いた。

 手書きで書かれた台本は口上としての部分などを除けば話す内容の方向性だけ書いてある簡素なものだ。

 元の世界でやっていたラジオの文量に比べたら百分の一以下の量だ。

 だが、胸が高鳴る。発言内容が縛られず自由に話していいのだ。


 久しぶりの感覚に高揚したが、落ち着いて息を吐いて、いつも通り――


「今日気を付けるスポンサーってどこでしたっけ。……」


 台本を見ながら向かいに座る放送作家を確認しようとして絶句した。

 ロロさんは不思議そうな顔で俺を見ている。


「ソウジ?」


「あ、いえ……すみません……」


 油断した。

 ずっとラジオが始まる前に放送作家にスポンサーを確認し、不意に話すべき内容をすり合わせる作業をしていた。

 癖で、放送作家に話すべき内容を聞こうとしてしまっていた。


 今日はそんなこと気にしなくてもいいのに。


 それほどまでに俺には放送作家の縛られた台本が染みついているのだ。

 馬鹿馬鹿しすぎて思わず自嘲する。


 スポンサーも気にしなくていい。

 今日はあの日のチーフが見出して、シオンが褒めてくれた楽しい話をすればいいだけだ。


「大丈夫です。行けます」


「……分かった、行くよ」


 そういって、ロロさんは送信機に手を付けて、目を閉じると送信機は淡く緑色に光り始める。

 ロロさんがこくりと頷く。


 術式が起動して、ギリオンとの回線が繋がったのだろう。


 台本に目を通し、視界の端に居る音響スタッフを探し、タイトルコールを――


「――――ぁ……」


 あれ?


 どうした?


 タイトルコールをしてからまずは、軽快なトークをするだけだ。

 話す内容は異世界での生活についてだ。

 ミスタさんの服屋での出来事を、ミアへおすすめした商品を、シオンと食べたバーベリオン串の事を。

 方向性は決まっているし、自由に話していいんだ。


「……ぉ」


 声が出ない。


 なんだこれは。

 なんだこの感情は。


 怖い。

 不安だ。

 タイトルコール後に話す内容が台本で細かく指定されていない。

 おかしい、普通に会話でなら問題なかったのに。

 初めて放送したラジオの時以上の恐怖がのしかかる。


 何秒経った?

 この局は何秒で放送事故だっけ――違う、気にしなくていい。落ち着け。


 スタッフは?

 助けを求めて、放送作家と音響スタッフを探す――居ない、俺は一人で放送するんだ。落ち着け。


「……」


「……ここまでだね」


 ロロさんがため息をつく。


「ギリオン、聞こえているね。申し訳ないけどテスト放送は中止だ。今後については――まぁ、いっか」


 当然ギリオンからの返事はない。

 ロロさんは興味を無くしたように送信機から手を離して、送信機の輝きが消える。


「――はぁ……はぁ……」


 放送が終わったと認識した瞬間呼吸が出来る。

 胸を押さえて、動悸を抑える。額からは玉のような汗が流れ落ちる。


『  』


 シオンが駆け寄って肩を揺すっている。

 何かをセリム動言語で伝えているのだろうが、見てないので内容は分からない。


 考えてなかった。

 俺は自由にラジオをしたいと思っていたが、長らく経験してなかった所為で作家に話す内容を決めてもらえないとラジオ前で話せない身体になっていた。


 普通に人との会話に問題はないので考えたこともなかった。


 ――ラジオと日常会話が別次元のものだとよく理解していたはずなのに。


 こうして、ギリオンとの交渉もテスト放送もすべてが失敗に終わった。

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