1-02:ロロの魔導具店

『疑問、大丈夫』


 少女の動作は恐らく手話のようなもので、もちろん声は発せられていない。

 しかし、俺の脳内にはその動作の意味が叩き込まれるように浮かんでくる。


 自分の身に突如として起きた現象で呆気に取られるが、少女が残念そうに自身の手を抱く姿にようやく自分が先ほどの手話の意味が正しく理解出来た。


 単語のみだが、恐らく「大丈夫か?」と聞かれた。

 俺は慌てて表情を取り繕い、少女を心配させないようにするが異世界に来てから飲まず食わずで過ごしてきたため、体力が限界だ。


「悪い……大丈夫じゃないかも……」


 元気なく答えた俺の言葉に少女は一瞬呆気に取られて口を開けていたが、すぐに嬉しそうに顔を綻ばせた。

 何故俺が大丈夫じゃないことが嬉しいのか。


『名前、シオン、助ける』


 もう一度、少女が動作をするとその意味も理解できる。

 自己紹介で、シオンというのがこの少女の名前らしい。

 一見すると浮浪者のように汚れたシオンの方が助けが必要そうに見えるが、彼女は倒れる俺の腕に自分の身体をねじ込んで持ち上げる。

 肩を組むには若干不釣り合いな身長差だが、半ばシオンが俺を担ぐような形に見える。


 小さな身体でシオンは俺を持ち上げるとヨロヨロと歩き始める。

 出来れば自分で歩いて負担をかけたくなかったが水分を取れてなかったのが問題だったのか思うように力が入らない。

 せめて、負担を減らすためにじっとしているのが精いっぱいだった。


■ ◆ ■ ◆ ■


「ロロ……の魔導具店……?」


 シオンに連れられてきたのは路地裏の小さな店のようだった。

 店先にはロロの魔導具店と知らない言語で書かれているが、その意味が頭に叩き込まれる。

 そういえば、人々の発言は日本語だったが、街中で文字を見かける機会が多くなかったことに思い至る。

 識字率の低さか、店の看板なども絵で描かれているものが多かった。

 だから気付かなかったが、俺にはどうやらこの世界の言語を自動翻訳する能力が身についているらしい。

 周りの人間の話声が日本語に聞こえているのも、その力なのだろうか。


 異世界に連れ去られて何か秘めたる能力が授けられるか覚醒したかと思っていたが、現状はこの翻訳能力だけらしい。


 シオンは俺を抱えながら扉を開けて店の中へと入っていく。


 汚っ……


 店の中は店と呼んでいいのか分からないくらい物でごった返している。

 よく分からない物体や本が乱雑に机に置かれて、あふれたものは床へと並ぶ。

 足の踏み場もないとはこのことだ。


 シオンが適当な椅子を引っ張り出して、その上に乗ったものを床に落として俺を座らせる。

 心配そうに俺の顔を覗き込んできたので、軽く笑って返した。


「シオン?」


 すると、店内に女性の声が響く。


 シオンはきょろきょろとあたりを見渡すが声に返事をする気配がない。

 やはり手話を使っていたところを見るに言葉を話せないらしい。


 本の積み上がった机の上に黒い小さな影が現れる。

 それは本を踏み場にして座る一匹の黒猫だ。

 緑色の瞳がシオンと俺を値踏みするように見つめている。


「猫……?」


「ご挨拶だな。初めましての挨拶からではないのかな?」


「しゃべっ!?」


 猫が喋った!?

 異世界にも猫が居るんだなと驚いていた衝撃を軽く飛ばした衝撃が襲う。

 猫は不愛想に目を細めて、先ほど聞こえた女性の声をノドから発する。


『ロロ』


 シオンがロロと呼ばれた猫へと手話を行う。


「シオン、急に来たと思ったら彼は何者かな?」


『乞う、助ける』


「浮浪者にでも手を差し伸べたのか。ずいぶん余裕な判断だね。どうせ放っておいてもガリア大聖堂の奴らが死ぬ前に拾うだろう。元の場所に捨てておきなさい」


『……』


 シオンは何かを返答しようとするが、その手は中空で止まり、叱られた子供の用に俯く。

 まるで捨て犬を拾って叱られる子供のようだ。


 だが、俺は捨て犬とは違い、言葉を話せる。


「すいません、ロロさん……で良いですか?」


 大聖堂の奴らが何者か知らないが、少なくとも体力尽きて行き倒れる俺に手を差し伸べたのはシオンだけだ。

 このまま外に放りだされては堪らない。


 ロロさんの目が俺の方へと向く。


「俺は越智 宗次って名前です……本当に無礼を承知で言うんですけど、水だけでももらえたら……あと、その大聖堂ってところで助けてもらえるならその場所だけでも……」


「……オチ ソウジ。私の名前をどこで?」


 間の抜けたようなロロさんの問いに一瞬呆ける。


「シオンがそう呼んでいたので……」


 店先の看板はまさか店主の名でその店主が猫とは思っても見なかったが。

 ロロさんは俺の問いに満足したのか分からないが、積み上げられた本から飛び降り、床に着地する。

 必然と見下げるような鋭い瞳は俺の足元で見上げる形となる。


「セリム動言語を理解しているのかい?」


「セリム……?」


 シオンの手話の事だろうか。

 俺が答えに迷っていると、それを別の意味と理解したのかロロさんは片目を閉じ、シオンを見る。


「シオン、奥からパンと水を持ってきなさい」


 その言葉にシオンの顔が華やぐと慌てた様子で彼女は店の奥へと消えていく。

 そして慌てた様子でパンと木製のコップを持ってくると、パンを俺の口にねじ込んでくる。


「ぅぅ!!!」


 嬉しそうに爛爛とした瞳でシオンが俺を待っている。

 そんな期待されても、今の状態でこの硬いパンを飲み込むのは無理だ。

 水がなければ死んでしまう。


「シオン、水も飲ませないとノドに詰まらせるよ」


「うぅ!!」


 呆れたようにため息をつくロロさんに激しく同意する。

 それにショックを受けたようにシオンが口をあんぐりとすると、慌てて手に持ったコップに入った水を俺の口にねじ込む。

 物による窒息の次は水の溺死だ。


 とはいえ、ここで苦しそうに吐き出すとシオンが罪悪感を感じるか。


 俺は残った体力で水で喉を潤し、少し柔らかくなったパンを嚥下する。

 久しぶりに食道を通っていく感覚を味わいながらゆっくりと息をつく。

 そして、なおも心配そうに見てくるシオンに笑顔を返す。


「ありがとうシオン。だいぶ楽になった」


『良かった』


 シオンの動作から伝わる意味合いは簡素なものだが、その表情を見ればそれ以上の感情が含まれていることが理解できる。


「さて、ソウジ。いいかな?」


 一息ついた俺の膝にロロさんが登ってくる。


「ありがとうございます、ロロさん。救われました」


「感謝はシオンにしてくれれば十分だよ。それで、君はシオンのセリム動言語を知っているのかい?」


「セリム動言語ってのはよく分からないですが、シオンの動作の意味は理解できます」


 俺は自分の現状をロロさんに説明する。

 自分が別の世界から来た事、シオンのセリム動言語の意味合いが頭で理解が出来ること。


 もしかしたら、この世界では俺みたいな人間は珍しくないのかもしれない。

 しかし、ロロさんの反応は予想はしていたが、期待に沿うものではなかった。


「別の世界に言語を解する能力か、どうにも信じがたいね」


「元の世界に帰る方法か、それを知ってそうな人に心当たりとか……」


「残念だが、皆目見当もつかないね。

 そして、この私が分からないのであればソウジの云う“元の世界に帰る方法”なんてものは存在しないといっても過言ではない」


 過言であってほしい。

 自慢げに話すロロさんに肩を落とす。

 ロロさんがどんな猫なのか分からないが全知なんてことでもないのだろうから知らない方法があるはずだ。


「だが、あながち君の言っていることが嘘だと言い切れない要素がいくつかある」


「本当ですか?」


「一つは君の名前や服装を私が知らないこと。異国の人間かとも思ったが、ここまで精巧な服は見たことがない。

二つ目はセリム動言語を知っていること。まぁ、これは本来は君が別の世界から来たって意見を否定するわけだが……

そして、最後は」


 と言って、ロロさんはちらりとシオンを見る。

 シオンにはその目線の意味を理解できたのであろうか、少しバツの悪そうに項垂れた。


 シオンに関係ある要素? なんだ?


「まぁ、これは良いか」


 ロロさんは開いた口を閉じて嘆息した。


 そして、尻尾をくるりと回すとその先端が淡く光る。


「さて、では君の言う翻訳能力とやらを確認してみよう」


 そういって、ロロさんの尻尾が翻り、ステッキのように空中に光が放たれる。

 光は部屋の中を飛び回り、謎の記号が軌跡として浮かび上がる。


 シオンには意味のあるものに見えないのか不思議そうに首を傾げている。


 しかし、俺には――


“この文字は読めるかい?”


 文字の内容が理解できる。

 この店の看板とは別の言語のようだが、翻訳能力は問題なくそれを日本語へと変換している。


「……読めます」


 俺が恐る恐る答えてみると、ロロさんは驚いたように目を見開き、俺の肩へと飛び乗った。


「ソウジ、見事だ。君は私をもってしても知り得ない未知の力を持っている! 大変興味深い」


「じゃあ、信じてくれるんですか?」


「あぁ、今君が読んだ文字は私が今考えた言語だ」


「え!?」


 突然のカミングアウトに声をあげる。

 シオンが読めないはずだ。


「この言語は私しか読める人間はいないはずだ。だが、君はこれを読んで見せた。恐らく君は言語として最低限の形式さえ取っていればどんな文字も読めるというわけだ」


「それはすごいこと……なのですか?」


 そりゃ、通訳として願ってもない才能だ。

 だが、この世界で翻訳家などの職業があるかは分からない。

 何より、俺は言語を習得しているのではなく、理解できるだけだ、翻訳家としても少し微妙なレベルだろう。


「すごいとも、世界で唯一無二の才能だ。先ほど大聖堂の場所を聞いていたね」


「えぇ、そこでなら保護をしてくれるってことなら……」


「ロロの魔導具店へようこそ、ソウジ。君は私が雇おう。

 君のような面白く貴重な存在を大聖堂などに渡してたまるか」


「なんか、顔が怖いんですが……俺、このまま人体実験の材料にされたりしないですよね?」


『仕事、安心』


「……ありがとう」


 幸先不安な生活に働き口を見つけられて喜ばしいことではあったが、にんまりと笑うロロさんを見て、背筋にひんやりとした恐怖を感じたままでは素直に喜ぶことは難しかった。

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