あー、あー、マイクチェック・ワンツー。こちらは異世界放送局です
獅子飼い
第1章
1-01:異世界転移はフリートークの前に
『……曲明けます』
気の抜けたスタッフの声がヘッドホンから聞こえる。
耳元で流れているアップテンポなJ-popは今流行りのニューシングルとのことだが、素直に耳を澄ませている余裕もない。
地方の放送局に過ぎないラジオブースは質素で窮屈とも言える閉塞感がある。
台本へと目を落とす。
何枚にも束ねられた台本は俺がこのラジオ放送で読み上げるべき内容と設定だ。
多くのト書きで補足事項が書き加えられた台本は前に担当していた番組から2倍もの文量となっている。
番組中、曲が流れている間にしっかりと読み込む時間はあったようにも思うが、集中力の問題か理解度は万全とは言えない。
いつもの事かと、脳内で自嘲してカフボックスを上げた。
「聞いていただいたのは“For thousand”のニューシングル“明日の夜空に”でした! 今期ドラマの主題歌で話題沸騰のフォーサン知ってますか? もしかしたら学生の子とかは知らないのかもなぁ」
淀みなく、機械的に明るい声音を出力して電波に乗せていく。
口調はそのままで台本の文字を追っていく。
今流れていた楽曲の説明に加えて、下線が引かれている。
そこには俺がこの歌手の事を学生時代からよく聞いていたと俺の情報が記載されている。
だが、残念ながら有名な歌手だと知っているだけで、学生時代に聞いた覚えなどなかった。
これは、目の前にいる放送作家が台本に書いた俺の設定だ。
どうにもスポンサーのレコード会社で販売しているシングルらしい。
だから、俺も昔からのファンということになった。
スポンサーによる過去改変能力というわけだ。すさまじい力だ。
そんな強力な改変に追いつくために台本には下線が引かれて、俺の字でデビュー曲やファンでの呼び名が加えられている。
「俺も学生時代にララ、ララバイはよく聞いてたなぁ。部活帰りに聞くとすっごい哀愁があってねぇ。今はチルいとか言うんだっけ? 曲名からだとちょっと想像できないかもだけど結構センチメンタルな気分になる曲なのよ」
えーと、あとは。
「今回のドラマの曲聞いていいなって人は是非ほかの曲も買ってみてよ。マジでおすすめだからさ!」
声のテンポなどは変えずにちらりと放送作家を見る。
つまらなそうにペンを持ち、何かを書いている。
ブース外のスタッフも無感情のまま機材と向き合っている。
そういう俺も明るいのは声を出す口元だけで、その眼は同じなのだろうと思う。
「じゃあ、ちょっと次のお便り読んでみましょうかね!」
20歳でタレントとしてデビュー。初仕事は主人公……の友達……の後ろに居るクラスメイトって役回りだった。
コツコツと仕事を取っていき、22歳で小さなラジオ番組のパーソナリティを獲得。それが、思いのほかの大ヒット。
だがしかし、有名になったのもつかの間。
数年もすると動画配信サイトの視聴者層が多くなっていってラジオを聞く人が減ってきてしまった。
とはいえ、ラジオ番組は行われている。
俺の大ヒットしたラジオ番組は打ち切られたが、こうして別のラジオ番組で活動を続けられているという話だ。
ラジオは好きだし。憧れの仕事でもあった。
最初はやりがいもあってお便りでのファンとの交流も嬉しかった。
「この前越智さんがおすすめしていたボディーオイル使ってみたんですけどすごくよかったです。他にも使っている美容品があれば教えてください」
俺は美容品使ってないんだけどな……
少し前の放送でスポンサーの美容品使ってるって話したから買ってくれたんだろう。申し訳ない。
確かあの時の放送で紹介したのは……
目の前で無言で座っていた放送作家から紙を渡された。
ちらりと目を通す。どうやらオススメする予定の商品に変更が入ったらしい。
「んー……あ、そうだ。同じメーカーさんの商品なんだけど」
また、直前でスポンサーの横やりが入ったのか?
俺は放送作家の殴り書きした資料に目を通しながら即興でストーリーを作る。
あんまりその手の商品の効き目が感じられなかったんだけどこの商品は思った以上に良かった。とかそんな感じの事だ。
――話し終わった今でもう忘れてしまった。
「では、引き続きチャンネル変えずにお楽しみください!」
一旦CMに入る。
『越智君、よかったよ。その調子でね』
チーフディレクターの声が聞こえる。
こんなのでいいらしい。こんなのがいいらしい。
最近はスポンサーの圧力に番組が逆らえないのか、この30分で俺が話す内容は全て予め決められている。
フリートークなどは名ばかりで、俺は放送作家が決めた内容をなるべく視聴者に露骨と思われないように宣伝を繰り返す。
事務所もイメージ戦略から俺の自由な発言を縛った。
別に危ない発言を危惧したものではない、政治的なキャスティングを得るための布石だ。
何も珍しい話でもない、どこの事務所でも大なり小なりやっていることだ。
だが、こうして思ってもないことを張り付けた笑顔で話す日々にふと思うことはある。
――これって俺がやる意味あるか?
『CM明けます』
さて、次は。
急いで水を飲んで。
俺は着色されまくった台本に目を通す。
カフボックスを上げた。
「……っぁ!!」
何が起きた!?
頭を誰かに殴られたような衝撃で視界が一瞬白黒する。
視界の端が暗くなり、目の前の色がぶれて行く。
酷い眩暈のような感覚だ。
平衡感覚を取り戻すことに必死になり、呼吸の仕方すら忘れる。
自分の外側だけを残して体内を一気にシェイクされるような嫌悪感。
耐えきれずに机に手をついた。
やばいやばいやばいやばい!
カフボックスを下げないと……っ! なんかヤバイ!
慌ててカフボックスを下げて音が入らないようにする。
嘔吐する音とかが入ったら笑いにもならない。
しかし、感覚は取り戻せない。
――この放送局では10秒間の無音があると放送事故となる。
今、何秒だ?
一瞬の出来事のように感じるが、長い時間眩暈に抗っているようにも感じる。
カフボックスを上げる。
意識は朦朧としていて死んでしまいそうな吐き気だ。
でも、プロだ。話さないと。話すために俺はここにいるのに。
こんな仕事だが、プロとしてのプライドはある。
「……ちょっと、フリー。トークを」
ダメだ。意識が消えそうだ。
放送作家や他スタッフがどんな反応をしているのか分からない。
恐らく慌てているのだろう。
口を回せ……っ!
淀みなくしゃべり続けろ!
ただ、抗いようのない変化に俺はついていけず、その場に倒れて意識を失った。
最後にカフボックスを下げて、せめて倒れるような音を聞かせなかっただけでも幸いだった。
■ ◆ ■ ◆ ■
意識だけが海の中に揺蕩うように浮かんでいる。
死後の世界というものなのか、想像したものと少し異なっていて肩透かしを食らいながらも日常の唐突な終わりに落胆をする。
そこそこ熱意をもってやってきてたラジオ番組も今じゃフリートークの内容すら決められてしまっているようなありさまで、正直楽しくやれていたかといえば嘘になる。
心残りは、それでも俺のラジオを聞いてくれたファンの人に唐突な放送事故的なお別れになってしまったことで、それだけは謝罪の一つでも伝えておきたい。
だが、光を求めて意識を浮上させていくと、そこが決して死後の世界ではないということを知った。
「……ぁ?」
瞬きをして、意識が覚醒する。
屋外の棲んだ空気。
行き交う人の喧噪。
目の前を馬車の車輪が横切る。
「あれ?」
一つずつ状況を把握するが、理解は及ばない。
目の前に広がるのは知らない街並みだった。
コンクリートジャングルで見ることもない背の低い家々。
革や麻で出来ているのであろう簡素な衣装の人々。
すぐさま立ち尽くしている自分の身体を確認すれば、ラジオ放送をしていた時のままだ。
ブースには物を持ち込まないので、スマホ一つ持っていない。
「どこだ、ここ」
周りの街並みは当然見覚えなどなく、どこか異質な空気を感じる。
知らない場所に連れ去られたのか、しかし誰がどんな理由で売れないタレントを攫う必要がある。
ふと、脳裏に浮かんだ馬鹿げた単語を口にしてみる。
「異世界?」
突飛な発想は口にしてみると何故か口に馴染む。
誘拐や死後の世界より先にそれが来たのは現実逃避にも思える。
もちろん、異世界という発想がかなり現実からかけ離れているのだが……
つまり、ラジオ放送の途中で俺は異世界へと連れてこられたってことになる。
周りを歩く人たちは見慣れぬ服装の俺を奇異な目で見つめ、通り過ぎていく。
「……」
自分の手のひらを見つめて大きく息を吐く。
状況は理解に及ばず、不安もあるはずなのに、何故か俺の胸を抜けていく空気にはあの息苦しいブースで感じることのできなかった解放感が通り抜けていった。
ここが異世界なのであれば、まずは生活基盤を確立することが大事だ。
そのためにも定番で言えば冒険者ギルドへ登録するべきだろう。
お決まりのパターンならそこで俺の秘められた魔力やチート能力が披露され――
想像もできない世界の広がりに機械的に日常を過ごす自分が塗りつぶされる。
俺の自由な異世界生活がここから始まるのかもしれない!
逸る気持ちを抑えられないまま、俺は異世界の街並みに一歩踏み出した。
――――――
――――
――
―
「甘かった……」
地面の冷たい感触を感じながら零れるように悔恨が口から出ていく。
胸を通り抜ける解放感も空腹感に塗りつぶされた。
結論から言えば、この世界は異世界だった。
到底味わうことのない特別感は俺に万能感を与える。
だが、その万能感も誤った感覚だった。
何も難しい話ではない。
この世界にも文明があり、ルールがあるということだ。
俺にはこの世界での身分証明が出来ない。
聞くにギルドという施設で発行するのが最も簡単だという話だが、訪れた冒険者ギルドでは魔力によりカード発行がされるらしい。
誰しもが持つ魔力、それが俺らの世界で言う拇印となるようで、本人確認となる。
で、魔力って何? どうやって使うの?
俺の身体からは魔力がなく、カードの発行が出来ない。
ギルドの職員さんもいたく驚いていたし、かなり人目を引いて誰か呼ばれそうになったので逃げかえる様にその場を後にした。
当然、ギルド以外にも身分証明の発行は可能だが、どれも異世界へ来て、右も左も分からない俺には難度の高い問題だった。
こうして、生活基盤の積み上げに失敗した俺は一昼夜を過ごし、道の端で生き倒れている。
「異世界へ連れてくるなら何か便利な能力でも与えといてくれよ……」
誰がどんな目的で俺をこの世界に呼び込んだのかは不明だが、責任放棄も甚だしい。
ちらりと、周りを目にする。
日本の都会ほどではないが人も多く、活気に満ちている。
しかし、行き交う人は俺をちらりと見るが、顔を背ける。
何人かは俺に声をかけてこようとした心優しい人もいたが、すぐに手を引いて恥ずかしそうに去っていった
周りの誰も手を差し伸べてないのに自分だけ手を差し伸べることを遠慮している。
社会の空気に押し黙り、自分の考えを殺して去っていく。
ファンタジーのような世界観だがそこを行きかう人の感覚はなんだか馴染みがあった。
自分だったら声をかけただろうか。
益体もない考えが頭に浮かぶ。
きっと声をかけて手を差し伸べただろうとそう思う。
なんて、結局周りの声に意見せず、歯車のようにマイクの前で話してた俺にはきっと無理なんだろうと自省する。
「……」
ふと、誰かが近づいてくる。
横たわり視界の半分が地面となっている俺の目に細く白い足が映る。
「……」
顔を上げると、そこには少女がいた。
薄汚れたフードを目深に被り、そこから紫の長い髪から覗く金色の瞳が俺を覗き込んでいる。
歳は恐らく10代前半だ。
少女は恐る恐るといった様子で俺の前にしゃがみこむ。
彼女の胸元にある綺麗な青のネックレスが揺らぐ。
周りの奇異の瞳が強まり、少女の背中を刺した。
きっと彼女もそれは感じているのだろうか、少し周りの目を気にするように怯えた顔を強める。
しかし、彼女は首を小さく振り、周りの視線を振り切ると俺に向き直った。
状況で余裕が無いからなのかもしれないが、彼女のその瞳は魅入られるように美しく感じる。
少女は意を決して自身の肩口に二度手を当てる。
それは意味は分からないはずの手話のような動作で――
『疑問、大丈夫』
脳裏に何故かその意味を告げる言葉が浮かんだ。
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