その13.それが最後のいちじくの葉

 ホテルは、意外と普通のホテルだった。

 といっても外資系のシティホテルだったので普段のしがない大学生の私が簡単に利用できるようなところではないけど。

 お店を出る前に永理伊さんは別にボトルを一本受け取っており、部屋に入ってすぐにそれを開けるようにルームサービスでグラスと炭酸水なんかを注文してくれた。

「じゃ、とりあえず乾杯ね」

 2つ並んだセミダブルのベッドの足元には小さめのテーブルと椅子が並べられており、開封されたワインボトルから永理伊さんはグラスに2cmくらいを注いで私に差し出した。

 私が促されて軽くグラスを傾けると、永理伊さんはくるくるときれいに回して香りを確かめた。真似をして同じように鼻先をグラスに近づけると、ふわっとした果実の香りとともに強めのアルコールの気配を感じる。

「シェリー酒だからワインよりも少し強いよ。もし飲んでみて強かったら炭酸水で割るといいよ」

 と言いながら永理伊さんはぐいっとグラスの液体を喉に流し込む。追うように私も飲むと思ったよりも強くて軽くむせてしまう。

「慌てなくていいよ。夜は長いんだし」

 と、永理伊さんはまた少し自分のグラスに注いで軽く揺らす。

 部屋が温まってきて、空調から流れる風がさっき入ったばかりのシャワーで使っただろう永理伊さんのシャンプーの香りを私の方に運んできた。

「手間をかけて悪かったわね」

「そんな。手間だなんて」

「慈廻(じぜる)と話してるとね、なんとなくわがまま言いたくなっちゃうの。あなたはそのとばっちりとも言えるかな」

「え! そういうことだったんですか?」

 三善さんが言いづらそうにしていたのでかなり今日のデートは覚悟をしてきたが、実際に会ってみた永理伊さんはそこまで私を値踏みするようではなかった。その理由がこのセリフでわかった気がした。

「だからここからはもう少しお互い腹を割って話しましょう? いい?」

「いいですよ。もともと演技するのはうまい方ではないので」

「ふふ。演技が下手なのはいいことね」

 意味深に永理伊さんは笑う。そこでテーブルの上にあった乾燥フルーツを一つ手に取った。ひからびたにんにくのような見た目をしていたが、真ん中から割ると中には細かい種がペースト状の赤い果肉の中に散りばめられていた。

「乾燥いちじく、好き? 私、いつも注文しちゃうんだ」

「へえ。じゃあ、いただきます」

 果実を8つに割いて一口食べてみると、とろりとした干し柿に似た甘い味がする。

「いちじくって、女性の隠喩って言われるよね」

 ぶっと唐突な豆知識に吹き出しそうになってしまう。そういう話は確かに聞いたことがある。

「ええと。エデンの園で最初に裸の身体を隠すのに使ったのがいちじくの葉ですよね」

「そうそう。そこから『いちじくの葉』を『最後に残されたわずかの良心』みたいに言われることもあるよね。だからこうしてお酒と一緒に食べるのが合うのかな」

 いちじくの実を割く永理伊さんの指先に私は見とれる。きれいに切りそろえられた爪がキラキラと光っていた。

「糸織と、桃瓜と、季果とはもう寝たんでしょ」

「ええ、まあ」

「誰が一番”良かった”?」

 ズバリと聞くなあ、と私は思いつつ背中に軽く汗をかく。少し考えてみるけど答えなんて出るわけがない。

「糸織さんはすごく洗練されてて、桃瓜さんはなんかもう全部が甘くて、季果さんはなんだか貴重なものに触れさせてもらったって感覚がありました」

「ということは?」

「えーっと……」

 迷う私に、永理伊さんは「ごめん、からかっただけ」と言って微笑んだ。

「私のことはどう思う?」

「どうって。すごく素敵な人だと思います。三人とはまったく別の魅力があるっていうか」

「どういうところが魅力?」

 試されるなあ、と思いながら私は言葉を探す。だけどもこれはきっと永理伊さんにとってはすごく重要なことなんだろうということもわかる。

「……自分が、きれいであるということにすごく自覚を持っているっていうところですかね」

 私の言葉に永理伊さんは表情を硬くした。

 じっと私の目を見て、その続きを早く言えと視線で急かしてくる。

「まだ会って間もないんでどこがどうとかたくさんは言えませんが、私は永理伊さんの『きれいでありたい』っていうところが素敵だなって思いました。持ち物とかスタイルとか、立ち居振る舞いとかそういうのもそうですけど。それだけじゃなくて『きれいな自分』ていうのを意識してる人なんだろうって、そう思ったんです」

「それは私の家系とか環境とかを知って、そこから逆算した”上澄み”を褒めてるだけなんじゃないの」

「確かに私が知ってるのは永理伊さんの上澄みの部分だけかもしれませんけど、でもその上澄みがとても素敵なんだなって思ったんです。そこは正直に言ってるつもりです」

 まあこういう場面の定石でいくなら、外面よりも内面を褒めるよね。

 君はいつも頑張ってるけど弱いところもあるのを知ってるよ、的な。

 だけどもまだよくも知らないうちに永理伊さんのことを何でもわかって見抜いてるみたいなハッタリをしても、どうせすぐに演技だと見破られてしまうのだからそういう付け焼き刃はしない方がいい。多分。

 へりくだったお世辞なんて通じないタイプの人なんだ。私の取り繕った演技や建前なんて、永理伊さんの目から見たらきっといちじくの葉ほどしか私の本心を隠してくれない。

「お化け屋敷のときも思ったけど、レンズってなかなかいい度胸してるよね」

「度胸ですか? どうでしょう。自己評価としては小市民クラスのつもりです」

「隠さないで」

 私の謙遜する言葉を遮るように、少しだけ声を尖らせて永理伊さんは言った。

 グラスの中に残ったシェリー酒を飲み干して、私の座っている椅子に割り込むようにして身体を寄せる。

「私達とこうして順番に寝るの、楽しい?」

 ぐっと額を私に突き合わせて、頬に小さな手のひらを添える。

 私は間近にある永理伊さんの瞳をそらさずにそのまま見つめ続けた。

「世間一般的な意味での”楽しい”とは少し違うような気がしますが、私は楽しいと思ってやってます」

「興味あるわね。じゃあどういう意味で”楽しい”の?」

 少し考えるために目を閉じる。私の思考を読み取るかのように、永理伊さんが額をぐりぐりと押し付けてくる。

「ジェットコースターに乗りながら、メリーゴランドにも乗ってるような感じですかね」

「なにそれ」

「普通じゃありえない楽しさってことですよ」

 もう一度目を開くと、永理伊さんが唇を押し付けてきた。

 とろり、とした果実の香りが口の中にいっぱい広がる。

「もう少し、シェリー酒はいかが?」

「はい」

 身体を寄せたまま永理伊さんはグラスにまたシェリー酒を注ぎ、軽く口の中に含ませる。

 そのまま私の唇に触れて、少しずつ身体を上に伸ばしていくようにしてゆっくりと私の口に注ぎ込んでいった。

 強めのアルコールと甘すぎる香りに頭がくらっと熱くなってくる。

「私、今までで一番いいって言われたいな」

「もう十分一番ですよ」

 もう一度されたキスは間違いなくこれまでで一番熱のこもったものだった。

 激しく、こちらを「奪い取ろう」という気持ちを明確に感じるすごく攻め気のあるキスだった。


     *****


 ふう、と大きく息を吐きながら私はだるい身体を引きずるようにシャワーを浴びていた。

 身体を洗い終えてシャワー室の鏡を見ると、首の近くに歯型のような跡が残っていた。他にもいくつか傷とかが細かくついていて、酔った勢いとはいえ相当のことをしてしまったという軽い反省なんかをしてしまいそうになる。

 私がなんとかホテルの備品のバスローブをつけて部屋に戻ると、先にシャワーを済ませていた永理伊さんがベッドに横になってスマホをいじっていた。

 近づくときにちらりと画面を見ると、どうもFuReCO(フレコ)というメッセージアプリで誰かとチャットをしていたらしかった。

 私は邪魔をしたら悪いかな、と思いつつボトルに残っていたお酒をグラスに注いで永理伊さんの近くのサイドテーブルに運んでいった。永理伊さんは喜んで「ありがとう」といって少し口に含んだ。

「ご家族の方ですか?」

 どこまで聞いていいか迷いつつ、私がそばに来てもチャットを続けているところから隠したい相手ではなかろうと踏んで質問してみた。

 永理伊さんは自分の分を送り終えたらしいタイミングでスマホを置いて私の方を見る。

「ううん。桃瓜と」

「桃瓜さん? 親しかったんですね」

「まあね。一緒に住んでるから、今日の家事の分担とかについて相談してたの」

「えっ?!」

 私は思わず大きな声を出してしまった。

 慌ててすみません、と謝るも突然のことに動揺を隠せない。

「桃瓜から聞かなかったんだ。私も桃瓜と同じ桜景美術大学(おうけいびじゅつだいがく)に通ってるの。私は造形美術総合科だけどね」

 桃瓜さんは確かグラフィックアーツ専攻だったはず。

 しかし確かに考えてみれば有名女優が母親なのだから芸術系の学校を進路に選んでいたとしても不思議ではない。

 詳しく聞くと、私と三善さんのように学生寮ではなく普通にマンションに賃貸契約をして二人暮らしをしているとのことだった。

「どうしてまた、桃瓜さんとだけ」

「高校の時から桃瓜とは親しかったしね。水嶺と会ったのも桃瓜から紹介されたのがきっかけだったんだ」

「そうなんですか……」

 二人はファッションのセンスの方向も似ているし、美術とか芸術に関しての興味も同じみたいなので気が合うというのはわかる。でも同じ人のカノジョになろうという誘いはいくら仲がよくてもそうそうないのではなかろうか。

「あの! 失礼な質問をするようですが」

 これはこの人にも聞くべきだろうと思い、私はベッドの上に正座をした。

 急にどうしたの? と言いつつ永理伊さんも身体を起こした。

「永理伊さんは、あの7人の中では誰と寝てたりしますか? 桃瓜さんとは、一緒に住んでるんだし当然として」

「桃瓜? ううん。桃瓜と私は寝ないの。そういう約束だから」

 またまた意外な事実が発覚した。

「どうしてですか?」

「だって桃瓜がそうしようって言うから。一度だけ高校のときにキスしたことあったんだけど、そのときに『永理伊とは友達の方がいいかも』って言われて。で、その流れで水嶺を紹介されたんだよね」

 以前に三善さんが言っていた、直接付き合うのではなく間に水嶺を挟む方がいい関係ということの片鱗を感じる出来事だ。

 私はそこで以前に季果さんから預かった質問を思い出した。今なら聞ける!

「あの、じゃあ。季果さんはどうでしょう。季果さんとは寝たことないんですよね?」

 私がややおっかなびっくりな態度で聞いたせいだろうか。永理伊さんは表情を険しくして黙った。

「あ、聞いたらいけない質問だったらいいです。別に、その……」

「季果はわかってないの。あいつ、自分のことなのに」

「それって、どういう?」

「私と寝たら、季果は季果じゃなくなるの。あいつが自分でそれを自覚してるか知らないけどね」

 微妙な言い回しだった。

 だけども私はその言い方からもしかしての可能性を思いついてしまう。

「季果さんは、もしかして本当は永理伊さんのことが好きってことでしょうか」

「好きは好きだろうけど。特にめんどくさい気持ちを私に向けてるっていうのはあると思う」

 全くタイプの違う季果さんと永理伊さんが好き合うというのは不思議だが、このセリフからそうだろうということがわかった。

 本気だからこそ二人は付き合わずに、水嶺さんを挟む関係を選んだ。

「あの、参考までに。その他の人とは?」

「あと? う~ん。あ、一年くらい前になんとなくそういう雰囲気になって柳音とは寝たかな。でもあんまりお互いそれはなかったことにしてる感じだから本人に問い詰めたりとかやめてあげてね」

 なるほど、と私がまた心のメモに書き込んでいると先ほど送ったメッセージの返信が来たらしく永理伊さんのスマホで通知音がした。

 永理伊さんがぱっと確認をして、その画面を私に向けた。

「桃瓜がね。もしよかったら今度家に来て一緒に食事でもしないかって」

「あはは。そうですね。じゃあ、今度」

 私は桃瓜さんと永理伊さんの一緒の家と聞いて、頭の中に前衛美術家のものすごく変な屋敷のようなものを思い浮かべてしまった。

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