第36話 笑いの理由
西園寺邸の応接間は、やけに広かった。
家具は少なく、音がやけに響く。
そのせいで、沙耶の笑い声が壁に反射して不気味に響いていた。
「さて……どこから話そうかしら」
沙耶は紅茶を注ぎながら微笑んだ。
「まずは“静香のこと”よね」
梓は緊張で背筋を伸ばす。
里奈はスプーンを握りしめて震えている。
結衣は、なぜかクッキーをもぐもぐ食べていた。
俺はというと……胃がキリキリしてた。
いや、場違い感がすごすぎる。ここ取調室じゃなくて応接間だよね?俺だけ紅茶すら口にできねぇんだけど。
◇
沙耶はカップを置き、静かに口を開いた。
「静香はね、いつも真面目で大人しかった。
それが……“からかいやすい”空気を作ってた」
梓の顔が苦くなる。
「……そんな理由で」
「理由なんて、後付けよ」
沙耶はあっさりと言う。
「“笑う側に回るか、笑われる側に回るか”。
あの教室は、それだけだったの」
◇
里奈がおそるおそる尋ねる。
「……じゃあ、どうして……沙耶さんは一番笑ってたんですか」
沙耶は少し遠くを見て、笑った。
「簡単なことよ。中心にいたかったから」
梓と里奈の顔色が一気に悪くなる。
結衣だけが、にやにや笑っていた。
沙耶は続けた。
「笑いの輪の真ん中に立ってるとね、みんなが私を見てるの。
静香を笑わせるたび、視線が集まる。
……あれほど気持ちいい舞台はなかったわ」
◇
「いやいやいや」
思わず俺は口を挟んだ。
「舞台って言うなよ。お前、人の不幸で主役やってたってことだろ」
沙耶は涼しい顔。
「舞台なんて、観客がいなければ成立しないわ」
「……観客?」俺は眉をひそめた。
「つまり、“周りで一緒に笑ってた連中”も舞台装置だったってことか」
梓と里奈の顔が真っ青になる。
「……っ」
「わ、私たちは……!」
結衣は肩を揺らして笑う。
「ふふ……ブーメランだね」
◇
俺は深くため息をついた。
「なぁ梓、里奈。さっきまで“空気で笑っただけ”とか“私も笑ってた”とか言ってたよな。
今、沙耶が言ったことと何が違うんだよ」
二人は絶句し、視線を逸らす。
沙耶は勝ち誇ったように微笑んだ。
「そうよ。私だけじゃない。
観客も、一緒に笑っていた人間も、みんな同罪」
背中の冷気がぞくりと強まった。
泣き笑いの囁きが耳元に落ちる。
【みんな わらってた】
◇
「……沙耶さん……」
梓がかすれ声で呟く。
「あなた……反省してないの……?」
「反省?」
沙耶は紅茶を口にして、優雅に笑った。
「いいえ。私は“人間らしく”笑ってただけ。
もし時間を巻き戻せるなら、私はきっと——また笑うわ」
空気が一気に凍りつく。
窓ガラスに泣き笑いの顔が浮かび、背中の冷気が刺すように強くなる。
【また わらう】
◇
俺は立ち上がった。
「おいおいおい……この人、ラスボスの貫禄すぎるだろ。
反省どころか“またやる宣言”って……一番ヤバいタイプの人間じゃねぇか」
沙耶の笑顔は揺らがない。
彼女は完全に“標的”として浮かび上がった。
——次は、静香と沙耶の真正面からの対峙だ。
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