第36話 笑いの理由

西園寺邸の応接間は、やけに広かった。

家具は少なく、音がやけに響く。

そのせいで、沙耶の笑い声が壁に反射して不気味に響いていた。


「さて……どこから話そうかしら」

沙耶は紅茶を注ぎながら微笑んだ。

「まずは“静香のこと”よね」


梓は緊張で背筋を伸ばす。

里奈はスプーンを握りしめて震えている。

結衣は、なぜかクッキーをもぐもぐ食べていた。


俺はというと……胃がキリキリしてた。

いや、場違い感がすごすぎる。ここ取調室じゃなくて応接間だよね?俺だけ紅茶すら口にできねぇんだけど。



沙耶はカップを置き、静かに口を開いた。

「静香はね、いつも真面目で大人しかった。

それが……“からかいやすい”空気を作ってた」


梓の顔が苦くなる。

「……そんな理由で」


「理由なんて、後付けよ」

沙耶はあっさりと言う。

「“笑う側に回るか、笑われる側に回るか”。

あの教室は、それだけだったの」



里奈がおそるおそる尋ねる。

「……じゃあ、どうして……沙耶さんは一番笑ってたんですか」


沙耶は少し遠くを見て、笑った。

「簡単なことよ。中心にいたかったから」


梓と里奈の顔色が一気に悪くなる。

結衣だけが、にやにや笑っていた。


沙耶は続けた。

「笑いの輪の真ん中に立ってるとね、みんなが私を見てるの。

静香を笑わせるたび、視線が集まる。

……あれほど気持ちいい舞台はなかったわ」



「いやいやいや」

思わず俺は口を挟んだ。

「舞台って言うなよ。お前、人の不幸で主役やってたってことだろ」


沙耶は涼しい顔。

「舞台なんて、観客がいなければ成立しないわ」


「……観客?」俺は眉をひそめた。

「つまり、“周りで一緒に笑ってた連中”も舞台装置だったってことか」


梓と里奈の顔が真っ青になる。

「……っ」

「わ、私たちは……!」


結衣は肩を揺らして笑う。

「ふふ……ブーメランだね」



俺は深くため息をついた。

「なぁ梓、里奈。さっきまで“空気で笑っただけ”とか“私も笑ってた”とか言ってたよな。

今、沙耶が言ったことと何が違うんだよ」


二人は絶句し、視線を逸らす。


沙耶は勝ち誇ったように微笑んだ。

「そうよ。私だけじゃない。

観客も、一緒に笑っていた人間も、みんな同罪」


背中の冷気がぞくりと強まった。

泣き笑いの囁きが耳元に落ちる。


【みんな わらってた】



「……沙耶さん……」

梓がかすれ声で呟く。

「あなた……反省してないの……?」


「反省?」

沙耶は紅茶を口にして、優雅に笑った。

「いいえ。私は“人間らしく”笑ってただけ。

もし時間を巻き戻せるなら、私はきっと——また笑うわ」


空気が一気に凍りつく。

窓ガラスに泣き笑いの顔が浮かび、背中の冷気が刺すように強くなる。


【また わらう】



俺は立ち上がった。

「おいおいおい……この人、ラスボスの貫禄すぎるだろ。

反省どころか“またやる宣言”って……一番ヤバいタイプの人間じゃねぇか」


沙耶の笑顔は揺らがない。

彼女は完全に“標的”として浮かび上がった。


——次は、静香と沙耶の真正面からの対峙だ。

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