45 やましいこと

 リベラが里の公衆浴場に行きたいと言うから付き添うことにする。


 久しぶりのリベラと一緒の外出だ。

 髪を手櫛で整えて腰に短剣と長剣を差す。靴の紐を強めに結んで上着も羽織って。

 うん。ちゃんとしてると思う。


「マノリア様、髪はわたくしが」

「そう?」

 ……ちゃんとしてなかったのかもしれない。

「尻尾も」

「わかった」


 私の大雑把な整え方に思うところがあったのか、リベラが櫛を取り出す。

 椅子に座って、私は髪の毛を梳いてもらうのを待った。


「こうするのも久しぶりに感じますね」

「うん」

 リベラが髪を梳いてくれるのは好きだ。

 朝の鍛錬の後に水浴びはしてある。リベラの真似をして香油も少し使ってみた。青果とカエデの香りを混ぜたものらしい。


「さわやかな香りがします」

「……よかった」

 リベラに褒められて少し緊張してしまった。私はこういうのにあまり詳しくないから。変に思われなくてよかった。


「買ったのですか?」

「昨日、市場で」

「あら」

 リベラの少し意外そうな声。だけど嬉しそうな含み笑い。

「なに?」

「いいえ、なんでもありません」


 櫛が耳のそばを優しく通っていく。

 獣人族の聴覚は優れているけれど、触覚まで敏感というわけじゃない。だから櫛を通すときや指で触れるときはあまり気を遣わなくていいんだけど。


 ――心地良い。

 リベラが髪の流れをよく見て櫛を入れてくれていることがわかる。根本から毛先まで櫛が通っていって、空気に触れる。

 耳のまわりは避けてことさらに優しく。けれど触れたいとは思ってくれているみたいで、ときどき指先の冷たさが訪れた。


「あの、マノリア様」

「うん?」

「……さわってもよろしいですか」


 うん、と特に何も考えずに答えた。耳のことなのかなと思ったけれど――。

 

 リベラの鼻先が首筋に埋まる感触。


「……リベラ?」

「はい。鼻でさわっています」

「うん」


 私がよくするズルだ。

「いやではありませんか」

「? ぜんぜん」

 むしろ嬉しく思った。

 そうですか、という細い声。リベラが緊張している理由が私にはいまいちわからない。


「水のにおい……」

「朝に水浴びしたから」

 言って、リベラの顔がある方向へと向き直った。


「きゃ」

 椅子に座っている私と、中腰になっていたリベラ。抱きついて、抱き寄せた。


「マ、マノリア様」

「大丈夫。受け止められるよ」

「そういう問題では――」


 バランスを崩したリベラの体を膝の上に受け止めた。

 ぎゅっと抱きしめる。重みと体温。甘い香り。

「離してください……っ」

「どうして?」

「マノリア様と違って、わたくしは……。せっていて清拭しかしていませんから」

「ふぅん……?」

 リベラが気にしているなら、と思って腕の力を緩めた。本当はもっと抱きしめていたかったけれど、とりあえず膝の上に座らせてそれで満足することにした。


 リベラが困ったようにため息をつく。私はどうしてリベラを困らせてしまったのか、いまいちわからなかった。


 椅子に座って。

 膝の上のリベラを、後ろから包むように抱く。お姫様を抱くみたいに。


「リベラ」

「……はい」

 呼んだだけだ。

 こうしているとリベラを独り占めできている気がして嬉しい。


「えっと。尻尾も梳いてくれるんでしょ?」

「ええ。そうでしたね」


 どこか諦めたような声色。笑みも含んでいる。


「力を抜いてください」

「……うん」


 尻尾を脱力させて、膝の上のリベラに明け渡した。

 何度か指で梳いてもらって、毛並みが整えられる。


 それから櫛が当てられた。

 くしゃ、と櫛が入り込んでくる心地よさ。梳かれていると心のわだかまりがすべて蕩けていく気がする。


 今、私はリベラをほとんど包んでいる。

 膝の上に乗せているから、後ろ半身は私の体で、尻尾を梳いてもらっているから、前半身は尻尾で。


 でももっと。抱きしめていたい。


「私もさわるね」

「……はい」

 リベラが従ってくれた返事になぜかぞくぞくした。従順で優しくて。

 後ろから深く抱きしめる。


 こうしていると私はまるで蛇みたいだ。

 愛しい獲物に絡みついて。

 無防備な背中を拘束しているのが楽しい。


 両の腕をリベラの腰に回す。後ろから抱きしめることがこんなに満たされることだなんて知らなかった。


「リベラ」

「……?」

「呼んだだけ」


 リベラが――私のだったらいいのに。

 そう思うのは呪いのせいなのか、私のせいなのか。両方かもしれない。


 しばらくそのままで、尻尾を梳かれる感覚に身を任せる。毛皮のダブルコート。表面の黒と根本と白の間に空気が含まれていくのが嬉しい。


「あのね」

「はい」

 ほとんど掠れた声だったかもしれない。お互いに。


「……すき」

 後ろから深く抱く。

 お腹を撫でるようにしながら腕を少しずつ上げた。より深く抱きしめたくて。


 やがて肋骨に触れる感覚。それから――胸の柔らかさ。撫で上げて。


「あ――」

 気付いて変な声が出てしまった。

 この後ろから抱きついた姿勢だと――リベラの胸のふくらみの柔らかさと重さを感じてしまうんだ。


 初めてリベラの胸にふれた。

 やわらかかった。

 あたたかくて。

 忘れられなさそうな重みと弾力だ。


「……マノリア様」

「うん……?」

「今、やましいことをしましたね」

「――――」


「してない」

「うそ」

「…………」


 深呼吸しながらおずおずと手首を下げていく。

 胸の柔らかさが離れて罪悪感と甘さが残る。


「ごめん。本当はした」

「……はい」

「あたたかかった」

「……」


「だから、好き」


 理由どころか言い訳にすらなっていない。ただ好みを表明しただけだ。


 私はリベラを背後から抱きしめる。抱きすくめる。誰にも渡したくない。

 多分ずっとそれだけだ。

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