44 私のなかの決まり事

 リベラの微かな寝息が聞こえる。

 今晩は暑い。少し寝苦しそうにしてたから、私は立ち上がって窓を開けて夜風を入れた。


 私の体温は高いらしい。夜風で少しでも下がればいいのに。


 ベッドはきちんと二つ用意してもらっている。でも近い場所にあるから良くない。寝ているうちに体が自然とあたたかいほうに行ってしまう。


 ……まあ、今日はこのまま朝まで椅子にもたれかかって寝たって構わない。私は体は頑丈だし、心も今は元気だ。


「毎日こうだったらいいのに」

 暇でつぶやいてみる。


 満ち足りてると思う。だけど落ち着かない。


 椅子から立ち上がってリベラの寝顔を見に行った。

 数秒見て、また椅子に戻る。

 夜風に当たっていても頬は火照っている。


 もう一度見たくなって立ち――。

 ううん、だめだ。さっき見たばかりなのに。

 よく寝てるんだから邪魔したらいけない。


 背もたれに腕を置いてあごを乗せた。


 ……私は何をしてるんだろう。


 とりあえず、そろそろここを発つことを考えなきゃいけない。あの短剣の封印具は明日の昼には届くらしい。


 私が放ってしまった呪いの力で何か悪影響が出ないかグウェンが調べてくれている。私たちは看病と静養のためにこの場所に置いてもらっているけれど、何かあったときは下手人になるのかもしれない。

 グウェンは甘くない子だ。


「ん……」

 月明かり。音が一瞬遠くなって、いま眠っていたらしいことがわかる。耳に入ってくるリベラの寝息を探した。


 何度かそれを繰り返す。


 まどろんでいるのを感じながら、自分の腕に頬を押し付けた。


「……」

 夜風が心地良い。


「…………」


 ――誰かが呼ぶ声がする。


 すぐにわかる。好きな声だから。

「……マノリア様」

「ん……、うん。なに? 寝てた」

「何も椅子で寝なくても」

「私は平気だよ。ちょっとそういう気分だっただけ」


 リベラが起きて、そばに来てくれていた。

「風邪をひいてしまいます」

「そう……?」

 まだ夜だ。けれど月明かりでできる影の位置は動いている。


 リベラが私の二の腕に触れた。あたたかい。

「ほら、こんなに冷たくなって」

「……うん」

 私はリベラの体に触れるときにはちゃんと言ってるのに、リベラは言わない。少しずるいと思う。

 もちろん、視力と体術に優れた私がリベラの動作を見逃すはずがないのだけれど、今は寝起きでほんのちょっと油断していたから。


「……」

 リベラが私の二の腕を撫でる。すごくあたたかく感じる。ということは夜風で相応に冷えていて、私の思い通りになったのかもしれない。

「くすぐったい」

「冷たくて心地いいです」

「そうなの? じゃあもう少しいいよ」


 二の腕をリベラの細い指が撫で、軽く握る。指先の硬い爪の感触。指なんてやわらかさが少ない部分のはずなのに、繊細で肌触りが良かった。


「……きもちいいんだ」

「ええ」

 私も、という言葉は呑み込んだほうがいい気がしたのでその通りにした。

 指先がやわらかくて握られる感覚もちょうどよくて、胸の奥が甘く締め付けられる。


 撫でられてさすられて。何度か繰り返しているうちに体温が混ざってきた。

 リベラもそれがわかったのか、最後に肩に手のひらを置く。

「あたたかくなりました」

「うん。えっと……。ありがとう」


 なんとなく見つめ合ってしまう。

 言うべきことを探す。多分、「もう片方の腕もあたためていいよ」ではないと思う。


「リベラも冷えちゃう。寝直さなきゃ」

 立ち上がる。私のほうが少しだけ背が低いのを意識しながらリベラの腰を軽く抱いてベッドに向かわせた。

 

「窓も閉じてくる」


 しっかり窓を閉じて振り返る。

 部屋の隅のベッドにしどけなく座っているリベラ。


 私は窓際で一瞬固まってしまってから、椅子に座り直した。

 背もたれに腕を置く。ちょうど頬のあたりに、さっきリベラにあたためてもらった二の腕が当たる。あたたかくて心地良い。

「……おやすみ」

 私にはこれくらいでも十分だと思って、腕の上にあごを置いた。


「もう、マノリア様。椅子は――」

「平気だよ。窓は閉じたからもう冷えないし」


「……おいで」


 尻尾の毛が逆立ってしまったかもしれない。

 肌の表面がざわざわしてなぜか不安に近いような気持ちになって、あとから嬉しさが訪れる。


「うーん……、うん」

 抗えずに私はふらふらと立ち上がった。今晩は椅子で十分だと思っていたのに。

 体をくっつけすぎないほうがいいのかな、という気分も確かにあるのに。


「リベラが言ってくれるなら、その通りにする」

「……? 遠慮していますか」

「そういうわけじゃないけど……」

 自分のなかの決まり事を考えておかないといけない気がして。

「けど……?」

「なんでもない」

「ふふ、おかしなマノリア様」


 すごくのろのろと歩いたのに、言葉を交わすうちにもうリベラが目の前に。

 手を引かれ、ベッドの上にスペースを作られてしまう。


「やっぱり少し冷えていますね」

「……うん」

 だって。寝苦しそうだったから。冷えればいいとは思っていたけれど。

 リベラのせいなんだよ。


 握った手と手。確かにリベラのほうがずいぶんあたたかい。

「……あ。もしかして、すごく眠い?」

 そうだ。いくら私が夜風に当たって冷えたからってこんなに差はできないと思う。


 リベラが寝転がってただ首を傾げた。

 無言で。眠気で話すのが面倒になってきたのかもしれない。


 頬を撫でてみる。

 心地よさそうにして目を閉じた。

 やっぱりすごく眠いんだ。リベラは朝が強いほうじゃないし。


 あどけない仕草。ゆっくりした呼吸が始まる。ほぼ寝息だ。私はまたなぜか胸が切なくなるのを感じている。


 頬から手を離して、リベラの横に手をついた。閉じたまぶたを見下ろして――。


「一回だけ。さわる……」

「……はい」

 ふにゃふにゃした返事を聞きながら首筋の無防備な部分にキスをした。首を傾げて露わになったところ。


 ――おいでって言われたら、行く。拒めないから。そのかわり、一度だけ触れても良い。


 これは私のなかの決まり事。考えて決めておくのは多分大事だ。自分が普段通りの状態じゃなくなったとき、決まり事を覚えていればわかるはずだから。


「マノリア様」

「……うん?」

「ひとつ、約束しましょう」

 ふにゃふにゃした声。眠気が伝わってくる。


「朝起きたら、わたくしの瞳にご自分を映してください」

「あ――」

「鏡のかわりに……わたくしを使ってくださいますか」


「……わかった」

「ありがとう、存じます……」


 確かにそうすれば私もリベラも安心できる。普段通りじゃなかったらすぐにわかるはず。

 私が自分のなかの決まり事を考えたように、リベラも考えて――すぐに伝えてくれたんだろう。


 すうすうとリベラが寝息を立て始めた。


 私も隣で丸くなる。

 一回だけさわってもいい決まり事はもう使ってしまったから、ちゃんと間を空けて。


 ……でも、尻尾を乗せるのは許されるかな。毛布のかわりみたいに。

 肌で触れるわけじゃないから。

 くっつけていたいだけだから。

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