ex4 番外編 「災厄」

 ロアの脳裏に霊体の剣士の意識が少しずつ侵食してくる。

 呪いを祓うために。神の御心に沿うように。


「……ふん」

 ずいぶんつまらないお題目だと思った。

「ロアちゃん……大丈夫ですか?」

「平気よ。こんなのが馴染むわけ……っ」

「よ、よかったぁ! まだ話せるじゃないですかぁ!」

 傍らに控えたクォンのことをうるさいと思ったけれど、手も口も動かすのはだるかった。


『呪いの剣士はどこだ』

 口から出る言葉は古代語で、音の意味はわからない。けれど憑依されているせいで何を話しているのかはわかる。


「ひっ!? あっあっ……。こっちですぅ……」

 クォンの案内で礼拝堂の地下にある宝物庫へ。


 階段を一段ずつ降りていく。足をひきずるように。まだ霊体とロアの精神が反発しあっていて違和感が大きい。このままでいいのか、それとも――。


 階段を下りきって宝物庫の広間に出た。


 ロアの一番近くにいるのは後ろに控えているクォン。ついで、広間の中ほどにいるグウェンが近い。

 反対側、一番遠くに剣士の影と、神官の影。


「……赤い」

 剣士の影は赤く見えた。神官の影も注意深く見ればわずかに染まっている。


 剣士の影がそれぞれの手に長剣と短剣を構える。


 それを意識した瞬間に霊体の敵意が燃え立つのがわかった。


「マノリアね」

「うん」

 お互いにほとんどつぶやくような声だ。けれど獣人族同士なら聞こえる。


「あんたを殺す」

「……わかった」


 ロアは霊体の剣士に身体を委ねた。


 殺すという宣言をした瞬間に霊体がロアの体を素直に操れるようになる。

 部屋を駆け、反対側にいたマノリアに向かって一気に斬り込んでいく。


 刃鳴が散る。

 一瞬だけ体が離れるが、すぐに中距離に。

 ロアの体を霊体の剣士が操り、白銀の直剣で突きを繰り出していく。


 数秒、マノリアが押される時間がある。だがすぐに間合いを測りなおして姿勢が安定した。霊体がいくら突きを繰り出してももう押すことはできない。


「軍隊式? 戦い慣れてる」

「……うん」


 マノリアはやや離れた位置から突きをいなす。ロア――霊体が右手で持っている直剣がマノリアの長剣に弾かれ、払われる。


「対人戦が得意――」

『呪いは人から人への悪意だ』

 霊体にかぶせるように言葉を継がれて、ロアは自分で思うよりずっと強く意識を侵蝕されているかもしれないと感じた。


 意思と関係なく口が唱和してしまう。

「『どれだけ、何を喰らってきた』」

「私は――」


 ファルシオンを両手で扱う普段のロアの構えとは全く違う。霊体は片手で直剣を構え、突きを主体に攻撃を組み立てていく。


 マノリアが左右の長剣と短剣を持ち替えた。

「……?」

 霊体と同様にロアも一瞬戸惑う。踏み込んで突きを繰り出すが、今度は長剣ではなく短剣での弾きパリング


 再度踏み込もうとするが弾かれる。

 弾かれて体勢が崩れたところに、長剣で赤黒い一撃を見舞われた。


「ぐ……」

 これが呪いか。

 霊体が苦しんでいるのが伝わってくる。ロア自身も相応に苦しい。体の中をかき乱されるような。感覚を狂わされる。生きているのが――罪深いことに思える。


 これは呪いの怨嗟だ。

 まっとうな命への恨みだ。


 霊体が次の一撃を繰り出す。また短剣に弾かれて、長剣の呪いをお見舞いされた。同じパターンにはまっている。


「この、バカ……ッ」

 ロアの体が霊体に操られながら無理やり踏み込もうとするが、その位置にもうマノリアがいる。踏み込めない突きに威力が乗るわけがない。また弾かれる――。


「――相手は両利きなのよ!」

 言って、無理やり霊体を引かせた。体を操られていてもそれくらいのことはできるらしい。


 肩で息をする。

 三度も弾かれたせいで右手が痺れているが――、ロアは体の統制が徐々に自分の感覚に返ってくるのを感じていた。


 もともとこの霊体がそういうふうに作られているのかもしれない。宿主と協力してより良い結果を残せるように。


「右の間合いをつぶされてる」

 霊体が従うのを感じる。


 こいつに好きにさせて、せいぜい力を発散させればいい。そう思っていた。だけどこのままじゃ手玉にとられて終わる。

 それじゃ力をすべて使わせられないかもしれないし――何より悔しくはないの。

 あれだけグウェンとクォンの力を吸ったくせに。私の体を借りてるくせに。


「右は遠いか近すぎる。踏み込みをつぶされてる。私が左に逃げさせないようにするから」

 ロアの左手がファルシオンを抜いた。

 片手で扱うには重い。だが進行方向をつぶすくらいのことはできる。

「右は無理に胴を狙わないで。腕を狙いなさい」

 霊体が応えるのを感じた。


 霊体が右手に直剣を構え、ロアが左手にファルシオンを引きずる。

 

「そ……、その意気ですーーっ! ロアちゃーん! 負けるな〜〜〜〜ッ!!」

「うるさい」


 あんたはどっちの味方なのよ。

 私だってどっちの味方をすればいいのかわからないのに。


「……わかった。そいつが満足するまでやろう」

 対面のマノリアが長剣と短剣を構え直す。霊体の眼に剣の軌跡が赤黒く映る。


「……災厄」

 霊体の言葉かロアの言葉かわからなかった。同じことを考えていたのは事実だ。あれは災厄だ。

 呪いを身に受けてなぜ生きている? 何に執着している? それに祝福は本来武器に施すもの。人に、命に、直接注ぎ込んで施すなど下法だ。あの昏い目の神官は何を考えて――ああ、これは霊体の思考だ。


 一気に駆け寄る。間合いを詰めて突っ込む。もうタネは割れている。マノリアは利き手を反転して対応していた。右から突っ込む相手にあえて反時計回りに動いて間合いをつぶしてくる。


「そこ!」

 その動きに左手のファルシオンをかぶせる。ここで距離はとらない。左右の利きが関係なくなるくらい間合いを詰めて、直剣の連撃が繰り出されるのに任せる。


 鮮血が散った。

「……!」

 マノリアが息を呑むのが聞こえた。惜しかった。直剣の突きが彼女の肩を裂いていた。


 血の匂いがする。

「ふん……。そっちも手加減しないことね」

「そうだね」


「クォン」

「はい……?」

「まだ力が残ってるでしょ。全部よこしなさい」

「え……? え? ロアちゃん……? どうするつもりなんですかぁ?」


 全身に疲労と汗が滲んでいる。無理やり体を動かされているせいで消耗が激しい。

「ちょっと今日呪いが許せない」

「ちょ……ぐえ……、ろ、ロアちゃんん! 乗っ取られてますぅうううう〜〜〜!!」

 剣を持ったまま腕でクォンの体を抱え上げた。祝福を吸う心地よさ。


「私は正しいことを成す」

「ぎゃぼ……げほっ、普段ぜったいそんなこと……いわないですよねぇ! あべっ、げほっ、げほっ!」

 じたばたと暴れているが、徐々に脱力していく。


 やがて完全に力が抜けたクォンの体を投げ捨てた。


 右手の直剣に祝福の白い輝き。より一層強く。


「マノリア様」

「……うん」


 相手も同じことをしたのがわかった。横に控えていた神官――確かリベラとかいった――が祝福の力を移している。跪いて、マノリアの手に口付けて。


 霊体には見えている。白い祝福が、マノリアに移されて赤黒い呪いになる。薄汚い下法だ。


 災厄が振りまかれるのを許すわけにはいかない。

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