31 やさしくなりたい
リベラにひとつ嘘をついている。
この赤い鞘の短剣は多分それなりに危険なものだ。猟師はどうやっても鞘から短剣を抜くことができなかったと言っていたけれど、私が手にするとすぐに抜けそうになった。
私に与えられた呪いに反応しているはず。
猟師が持っているときもリベラが手にしているときも気が気じゃなかった。
私はずっと、これで背後から刺されそうな気がしていた。
「…………」
「どうかされましたか」
「ううん」
僻村を後にして、初めての野営。ぱちぱちと焚き火の爆ぜる音。リベラは毛布にくるまってうとうとしていたけれど、目を覚ましたようだった。
もうすぐ深夜。
多分日付が変わる頃だろうか。
「寝てていいよ」
「ええ」
赤い鞘の短剣の、鞘と柄を紐で縛り付けて抜けないように細工した。リベラが言った通り、解呪の奇跡は効果がなく鞘の赤色は完全に戻っている。
荷物袋に入れて見ないようにした。
「……多分、このあたりに外敵はいないはず。一緒に寝ませんか」
「そうだね。あと一回見回りしたら」
短剣のことは、いずれちゃんと言わなきゃ。
明日の朝言ってしまってもいい。……と、昨日も思ったのにまだ私は言っていない。
立ち上がってしばらく辺りを歩き、妙な痕跡や気配が無いのを確認した。
焚き火の場所に戻って――。
「――おかえりなさい」
「……」
言われて軽く息を呑んでしまう。自分の耳が垂れてしまうのもわかる。
「ただいま」
この後になんて言われるかはもうわかってる。私がそれに逆らえないことも。こういうやりとりが嫌いで、好きだ。
「おいで」
「……うん」
ほら。やっぱり。
自分の毛布をとってきて座ろうと思ったけれど、リベラが軽く首を横に振った。
そして腕を使って今までくるまっていた毛布に入口を作ってくれる。
「こちらのほうが暖かいですよ」
「……うん」
リベラの毛布に入った。二人で一枚を使って。自分の毛布は一応、足元にかぶせておく。
リベラの匂いがする。優しく包まれて、暖かくて。
「今日一日は、どんなことがありましたか」
子供の頃みたいな質問だと思った。
「ずっと一緒にいたから、わかるでしょ」
「ふふ、そうですね。では、マノリア様はどんなことを思いましたか」
「昼間はどうだったかな……。あまり考えてなくて。今は甘酸っぱい」
「甘酸っぱい?」
「あ……、えっと。子供の頃みたいだと……。思ってる」
リベラが微笑む。
何だか恥ずかしい受け答えをしてしまった気がする。
リベラが私の肩に毛布をかけ直した。軽く抱きしめられて横になる。
焚き火はもうすぐ消えてしまいそうだ。少し冷えるからくっつくのは理にかなっていると思う。
「よし、よし」
「……なに?」
「頭を撫でています」
「それはわかってるけど」
顔が近い。焚き火の明かりに照らされて、目鼻立ちをはっきり見ることができる。消えるまでの僅かな時間。ずっと見ていたい。
「良い撫で心地です。指先を髪で押し返されて」
「…………」
喉から高い声が漏れて、それをごまかすためにリベラの肩に額を押し付けた。
でもやっぱり顔を見てたいんだと思い直して、視線を上げる。
「……あのね」
「はい」
言おうと思ったけれどまだ逡巡してしまう。上目遣いに見て。リベラの色のない瞳に優しく見返されて。私を見ているから瞳に色が灯るのも見て。
数秒経つ。
頭のなかを言葉がたくさん通過していく感覚。
「あのね」
「はい。聞いていますよ」
なんでもない返事で胸がいっぱいになった。
「……嘘ついてた。あの短剣、何かある」
「ああ――そうなのですね」
「リベラが持ってるとき、怖かった」
「…………」
一息に言ってしまって目を伏せた。
「マノリア様の呪いに影響を及ぼす気配は少しだけ感じ取っていました。ですが、恐怖を感じるほどなのですね」
「よくわからないけど……。人が持ってると傷つけられそうだって思う。自分が持ってるとまだ平気」
「わかりました」
話しながら別の怖さを感じる。
「こんな短剣一本で、私は――」
「いいえ。話してくれてありがとう」
「あ……」
毛布のなかで抱きしめられる。リベラが背筋を伸ばして、伏せていた私の頭を覆うように、胸に押し付けてくれた。
「よし、よし……」
「…………」
「怖かったのですね」
「そう……だね。怖かったし、嫌だった。リベラはあの短剣を持ってるだけだったのに」
その程度のことで怖いと思ってしまうのが怖かった。大切に想っている人なのに、たった一振りの短剣のせいで。
「街に寄って大きな神殿に預けましょう」
「うん。それがいいと思う」
「気が付かずごめんなさい」
「ううん。私も言えなかった。今言えたのは……、暖かくしてもらったから」
言うと更に深く抱きしめられた。鼻先が柔らかい胸の間に埋まって少しだけ息が苦しくなった。
「……、ぷは。暑いよ、リベラ」
「そうですね。わたくしも吐息の熱を感じていました」
「もう……。だったら手加減して」
「はい。ただ、わたくしは、マノリア様は手加減しすぎだと思います」
「え――」
頭の奥がかっと熱くなった。頬も。
確かに私は手加減してたと思う。でもそれは手加減じゃなくて。ただ優しくしたくて。それから――嫌われたくないし、やり方もわからなかったから。
顔を上げてリベラの瞳を見返す。
なんでもお見通しですと言われてるみたいで、ちょっと嫌になる。
「さわるよ」
「はい」
いきなり首筋に唇をつけた。
何でどうさわるかは言ってないから、嘘はついてない。
あ、というリベラのか細い声を聞きながら背中を抱いた。背骨と肩甲骨を撫で下ろす。
首筋につけた唇は少しだけ吸って、舌を這わせた。
「……くすぐったいです」
「リベラがしろって言った」
「ええ。お好きなように。神に捧げた身ですから」
そう言われてまた頭の奥が熱くなる。
もう一度口付けて同じことをした。
すると頭を優しく撫でられて――今晩はこれでいいと思った。
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