破邪の直剣編
30 今は神様はいらない
村を早朝に発ち、二人の猟師の案内で山奥に向かいました。そこにいたのは魔物と
堂々とした体躯の魔物でしたが、遅れをとるマノリア様ではありません。体重だけでいえば十倍もありそうなそれの首を一閃で落とし、瞬時に絶命させました。
猟師たちの感嘆の声を我がことのように嬉しく思います。
「やっぱり魔物だね。死体が消えていく」
「ええ。しかしもとは動物だったのでしょう。塚を作りたく思います」
皆で協力して土を掘り、少し盛り上げ、大きな石を置きました。
「ありがとう存じます。これで魂が安んじるでしょう」
数年くらいなら狼耳の剣士が訪れたことを子供たちも語ってくれるかもしれません。
この調子なら夕方前には村に帰ることができるでしょう。
ただ――。
「リベラ」
「はい」
「あの猟師の持ってる短剣」
「ええ。“色”がついております」
猟師の方ご本人からは特別な何かを感じることはありません。恐らく短剣にのみ呪いの力が備わっているのでしょう。
「いかがいたしましょう」
「呪いの短剣……。気になるけど、あの人は普通に過ごしてるみたいだし」
何か言うべきか迷っていると、その猟師から短剣についての話を持ちかけられました。
曰く――剣士様が今日の魔物討伐を首尾よくやってのけることは会ったときからわかっていたと。
――それは、この短剣が強者に反応するから。村に神官様と剣士様が訪れた時から短剣に導かれるのを感じた。
――恐らく自分の身には余るものだから譲りたい。
その短剣を仮に『強者探しの短剣』と名付け、譲り受けることにしました。
あと一晩は村に滞在することにして、部屋に帰ってから短剣を手にしてみます。
鞘と柄。そしてそれを握るわたくしの手が色づいて見えます。鞘が赤いのが印象的です。
「呪いが付与されているのは確かなようですね」
「強者を探す……」
「確かに、この剣を持っていると」
視線がマノリア様に吸い寄せられるのを感じます。
とはいえ、特別な力を持たない猟師が一応は扱えていたものです。それほど危険なものではないでしょう。
「私が持っておきたい」
「そうですか?」
珍しく少し強い口調でした。マノリア様が受けた呪いとの関連を感じるのかもしれません。
「お渡しする前に、解呪を試してみましょう」
夕暮れ時。わたくしたちはベッドに並んで座っています。ちなみに、わたくしが「おいで」と言うと、マノリア様は断れないようです。必ず隣に来てくれます。
『強者探しの短剣』を膝の上に置き、解呪の奇跡を神に
呪いは一時的に取り払われたようで、短剣の鞘の赤が抜けて鈍色になりました。しかしすぐに、少しずつですが赤色が戻ってきます。
「なるほど。これでは明日の朝には呪いが戻っていそうですね」
「そうなんだ――。あ、リベラ浮いてる」
「奇跡の力を使いましたから」
「肩、さわるよ」
「……はい」
少し新しい言い方かもしれません。さわっていいかの許可をとるのではなく、事実として伝えてしまう。
肩を優しく押さえられました。体が浮くことはなくなったのに、心の浮つきは感じます。
「大丈夫?」
「ありがとう存じます」
真剣な表情。心配げに。吐息と僅かに開いた唇。
まだ並んで座っている状態ではありますが、マノリア様は体をひねってわたくしの両肩を押さえています。
整った目鼻立ちも近くなり、胸の高鳴りを感じないほうが難しい。濡れた紫の瞳のきらめきは何よりも美しいものです。
「解呪は意味がなさそうです。善後策として、祝福を」
「うん」
肩を押さえているマノリア様の腕に頬を寄せます。
「どうしたの……?」
「ですから、祝福を」
「あ――。そっか。短剣のほうじゃなくて。私になんだ」
「ええ」
頷いて、細くしなやかな腕をとりました。
寄せている場所を頬から額に移動させて。
今日は何の聖句をつぶやくべきかを考えます。
「……大丈夫だと思う」
「……?」
「なんとなくだけど。この短剣自体はそんなに危ないものじゃない」
「そうですね」
「だから……祝福はいらない」
視線が交差します。
上目遣いに、少し気まずそうに。わたくしを見ています。
「――今は神様はいらない」
言ってから、マノリア様ははっとしたように視線を逸らしました。
夕暮れから夜へ移り変わっていく時間。
整った横顔。かすかに不満げな気配。しかしその不満は彼女自身に向かっているものだったのでしょう――。
「ごめん。わがまま言った」
「いいえ」
マノリア様の手を両手で包み、額を寄せたまましばらく思案します。
「良いのですよ」
「よくないよ」
逡巡しながら訥々と言葉を紡ぎます。
「甘えすぎてると自分でも思う……」
「構いません」
「反動なのかも」
「反動?」
「ひとりで居たから。今まで」
両手で包んだマノリア様の手を膝まで下げ、片手はほどきます。
「故郷を離れたのは何歳から?」
「十一歳くらいだった」
十、ではなく十一、と言いました。よく覚えているからでしょう。そのつらさを。
「それは、大変でしたね」
わたくしたちはベッドに並んで座っているのに半端に体をひねって向き合っています。
こんなに無理をする必要はありません。
短剣は傍らの文机に置き、あらためてマノリア様の指に指を絡めました。
「甘えてください」
「――――」
「祝福はまた明日の朝に」
「……うん」
今日はわたくしがマノリア様の肩に触れ、額を押し付けて。ゆっくり覆いかぶさるように。
こういう行為を押し倒すというはずです。
「リベラ、浮いて――」
しかし解呪に力を使ったせいで、わたくしが上から体重を押し付けることはできません。
「つかまえていてください」
「……わかった」
マノリア様が手を伸ばしてわたくしの腰を抱き、引き寄せます。
「……離さない」
「ありがとう存じます」
体が密着し、体温を強く感じました。
抱き合って耳元にささやきます。
「では、神に優るほどの想いを伝えてくださいますか」
「……っ」
強く抱かれました。首筋の下、鎖骨の上に唇が当たっているのを感じます。
優しく淡いくちづけでした。痕のつけかたも知らない。頭を撫でて抱き返します。
「昨日だけって思ったのに……っ」
「わたくしはあなたのはした
昨日わたくしがしたように、一度ではなく二度。いいえ、三度、四度。唇と吐息がただただ当たるのを感じ、そのたびに背筋が震えました。
清らかでいたいけなキス。感情を持て余すことは、神が咎めることではありません。
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