23 邂逅と嘘

 早朝に街を発ち、北へと向かうことにしました。

 昨晩は酒場で何やら騒ぎがあったようです。あの街はこれから少しだけ不穏になるでしょう。しかしそれで失うものがあるとすれば、それはあらかじめ失われるべきもの。

 この世に永遠も意味もありません。


「色の軌跡を辿っていくんだよね」

「そういうことになりますね」


 色の無いわたくしの世界でときおり見える色は、祝福と呪いの痕跡です。今まではそれを積極的にたどることはあまりできませんでした。

 同行している人を危険に晒すことになるからです。

 ですが今は――。


「少し待って。何かいる」

「はい」

 夕暮れも近い時間。北の森を進んでいくところでマノリア様が手で私を制しました。

 後ろ姿。腰に差した長剣と短剣。そして揺れる大きな尻尾。


「しゃがんで」

「わかりました」


 茂みに隠れて身を寄せ合います。

 真剣な眼差しに吸い込まれそうになっていると――。

「肩。さわっていい?」

「……はい」

 肩を抱かれて二人でより身を寄せ合って、小さくなりました。


 やがて重い足音が聞こえてきます。魔物の類でしょうか。随分遠くから気付いたことに感心し、横顔と静かに動いている耳に見惚れていました。


 “色”を追いかけると、このように危険な何かと遭遇する確率が明らかに上がります。ですからわたくしは、今まではむしろそれを避けるように行動していたのです。


 重い足音が通り過ぎ、徐々に遠ざかっていきます。

「やり過ごせそうだね」

「そうですね」


 小声で。まだ身を寄せ合って十分に警戒しています。わたくしたちが見つかることはもう無いように思えました。


「リベラを危険な目に遭わせたくない――」

「マノリア様を危険に晒すわけには――」


 二人同時に言って顔を見合わせました。


「あ……うん。でもね。リベラにだけ見える“色”を追うのは私にとって必要なことだから」

「はい。わたくしも同じことを……。やっと自分と向き合うことができるような」


 旅芸人の一座や冒険者や傭兵の一行に加えられていたとき、わたくしはこの目を働かせてそれとなく危険を避けていました。


 しかし小さな不満は常にくすぶっていました。

 せっかく視えているのになぜ怯えなければいけないのかと。機先を制して有利に戦えるというのに。


「リベラ」

「はい」

「祝福、もらえる?」

「わかりました」

「始末する。街道沿いだし」


 ……ありがとう存じます。

 わたくしはやっと自分の役目を果たせているのかもしれません。


 重い足音は十分に遠ざかりもう聞こえていませんが、マノリア様が駆ければすぐ追いつくでしょう。

「神よ。――注げ」

 かがんだ姿勢のままマノリア様の首筋に抱きつきました。

 おずおずとですが抱き返してくれます。


 ――深く。鼻先を擦り付けて。

 それから全身で。

 深く、あるいは強く接触していたほうが祝福は迅速に伝わります。


 くぅぅ、と困ったような唸るような声が聞こえましたが、気のせいかもしれません。


「……力が。あったかい」

「はい。それが祝福ですから」

「何でもできるっていう気分になるよ。そんなわけないんだけど、でも、リベラがいたら」


「不可能なこともあるでしょう。けれどできるだけ助けます」

「……うん」


 数秒の間。

 しっかりと抱き返してもらいました。負けじとあたたかさを伝えたつもりです。抱きしめると衣服と肌の間の空気が上ってきて心地良く甘いマノリア様の匂いだと思いました。


 十分に祝福を注ぎ、体を離して見つめ合って――。


 まばたきでまつ毛が触れる近さで。

「――行ってくる」

 返事のかわりに頬に頬を合わせます。


 マノリア様が低い姿勢で駆け出しました。わたくしもなるべく姿勢を低くして後を追いかけます。


 遠くに一瞬、大きな熊のような魔物の後ろ姿が見えました。

 魔物の周囲の茂みに波が立ち、遠目に尻尾の黒だけが揺れます。


 薄暗い森に光る軌跡。一閃。


 魔物の背に飛びかかったマノリア様が剣を振るいますが、分厚い肉と太い骨のせいで斬撃が途中で止まった気配がありました。


 魔物の咆哮。首の骨で長剣を受けながらも反撃しようと――。


 輝く光が割れるように散り、長剣を持った右手が振り抜かれました。

 魔物の首が落ち、胴体が倒れ伏していきます。


 良かった。あの光はわたくしの力です。十全に使ってもらえる嬉しさと、力の行使が密やかな高揚をもたらします。


 駆け寄って追いついて、ねぎらいの言葉をかけようとしたところで――。


 マノリア様が新たな人影と対峙していることに気づきました。


「……ふん。やるじゃない」


 ひとりはマノリア様と同じ獣人族の剣士でした。白髪で丸い耳。大ぶりの両手剣をちょうど鞘に収めるところ。魔物と相対していたのでしょう。

 もう一人いて、その方は大仰な格好で眼鏡をかけている神官ですが――どうやら気を失っているようです。


「そっちの人は大丈夫? 怪我はない?」

「大丈夫よ。びびって失神してるだけ」

「良かった。頭を打ってないといいけど」

「平気。帽子が重いせいで転んだだけでしょ」


 剣士二人がお互いに名乗ります。マノリア様と……ロア様。追いついたわたくしも名乗りました。


「失神している方を奇跡で起こしましょうか」

「起きたらうるさいからいいよ」


 あっさりと言ってロア様はため息をついて――まっすぐにわたくしたちを見て目礼しました。


「助かったわ。ありがとう」

「どういたしまして」

「ふん」


 獣人族同士、何か通じ合うところがあるのでしょうか。二人は目線を幾度か交わらせてから踵を返しました。ロア様は倒れている方のほうへ。

 マノリア様は周囲の安全確保のために少しこの場を離れました。


「――神官の力って、そんな使い方もできるのね」

「……?」

「祝福は武器に注ぐだけだと思ってたわ。体に直接なんて」


 言葉はわたくしに向けられたものでしょうが、ロア様はこちらを見てはいませんでした。

 気を失っている眼鏡の方の傍らに腰掛けてつまらなさそうに見下ろしています。


 数分経ってマノリア様が帰ってきました。

「リベラ。大丈夫そうだし、私たちは行こうか」

「ええ」


 ロア様の目線を感じながら立ち去りました。

 そう、祝福は本来は物に注がれる。わたくしは嘘をついています。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る