14 蝋の司祭

 誰かと街を歩くのは新鮮な気分だった。どうやら私たちは、旅の神官とその護衛に見えるみたい。

 何か用がある人はまずリベラに話しかけようとする。綺麗な主人に付き従っている気分は悪いものじゃない。喋らなくていいから楽だし。


 地図を見る。街中にある大きな神殿は、僻村で見た神官団と同じ聖印で位置を示されていた。リベラとは奉じている神様が違うみたいだけど、通りすがる街の人が何度か、訪れてみればいいと勧めてくれた。


「行ってみる? 道案内なら任せて」

「ありがとう存じます」


 朝に小一時間歩いたからだいたいの構造は把握している。

 先導して歩き出す。


「マノリア様は、背中に目がついているみたいですね」

「そうかな。私のなかでは普通」

「頼もしいです」


 後ろを見なくてもリベラがついてきているかどうかはわかる。どれくらいの距離が空いているかも。

 私としてはちゃんと警戒しながら歩いてるんだけど。


「ちょっと面白がってる……楽しくなってない?」

「そんなことはありません」

「うそ。なんか嬉しそうだもん」

「守られているのは嬉しいことです」


 そうなのかな。

 でもそれが私の役目だと思うし。


「――警戒するにこしたことはないって、リベラが言ったんでしょ」

「ええ、そうでしたね」


 思い出して言ってみたけれど簡単に受け流されてしまった。ちょっと不満そうに頬を膨らませたリベラも見たいのに。


 しばらく歩いて、昼前、大きな神殿に着いた。昨日酒場でも噂を聞いたとおり、今日はここで何かの式典があるらしい。


「すごい。人だかりができてる」

「篤く信仰されているようですね」


 張り出されている掲示をリベラと一緒に読む。この街の平和な治世を祝う式典。恐らくそれなり以上の政治力を持っている神殿の勢力、そして女司祭の名前。


 他に目的があるわけでもなく、私たちはなんとなく礼拝堂に入って他の信徒たちと同じように着席し、式典の説教が始まるのを待った。


『主は皆さんと共に』

「また、司祭様と共に」

 始めの唱和。


 女司祭が現れて聖典を朗読する。

 私には内容はよくわからなかった。ただリベラも街の信徒の人たちも聞き入っているように見える。


 起立して聖歌隊の歌を聞きながら雰囲気で一緒に歌う。リベラは知っている聖歌みたいで小さく口ずさんでいた。

 終わったら着席。

 また女司祭の祝詞と説教。


『この街の創立から現在に至るまで、魔物の侵入を一度たりとも許さなかったことを祝して。神の誉れと栄光が世々に至るまで――』


 なんてことない朗読と聖句のはずだった。

 なのにこの女司祭が朗々と歌い上げるだけで、信徒のなかには涙を流す者が出始める。

 私はぎょっとして祭壇と司祭を見る。


『悪魔のひと矢を打ち砕いて――神は来ませり』


 重い空気の波が広がり、礼拝堂を満たしたのを感じた。戦場の太鼓の重低音にも似た感覚がお腹の奥に響いていく。


 雰囲気がおかしい。決定的に何かが違っている。

 司祭の言葉の波に精神が反応してしまう。

 信徒は涙を流す者もいれば大げさに拍手をし、跪いて拝みだす者もいる。


『神の国はいまあなたの隣にあります。もうすぐそばに』


「リベラ、こういう礼拝って普通なの――」

「いいえ」

「だ、だよね」

「あの司祭は毒婦です」


『心を決して離さず。けれど神にささげて――』


 声が響くと頭がくらくらする。

 これは私が苦手な系統の力だと思う。でもリベラを守らなきゃ。立っているのがやっとだけれど――。


『平和を祈り、願いましょう。皆々様の魂はいま、神に捧げられました』


 礼拝堂は異様な雰囲気に包まれ、ほとんどの者が放心状態になっていた。


「リベラ」

「……はい」

「よかった。話せる?」

「わたくしは平気です」


 重圧を感じた。手足の先が重く、動かしづらい。私がこの空気になんとか抗することができているのは朝に施してもらった祝福のおかげだと思う。

 体の芯だけが熱く私を私として保ってくれている。


「これは、呪いだよね」

「……あるいは。そうですね」

「動ける? 逃げなきゃ――」

「今はまだ。目立たないように。私たちが標的というわけではないでしょうから」


 確かに、初めて訪れた街の神殿で太陽の聖典を詠う女司祭が、私たちのことを知っているわけがない。今この場に私たちがいることは偶然に過ぎない。


「この呪いに悪意はありません」

「……そう、なのかな」

「何か目的があって……」


 呪いは祭壇に佇み聖句をつぶやく女司祭から発せられている。彼女がその気になれば信徒ごとこの街を飲み込んでしまうことは容易に思えた。でもそうはしていない。

 ただ信徒たちを一時的に服従させているだけだ。けれど脳裏には不死の騎士と怖気を催す虫たちもちらつく。

 意図を掴みかねていると――。


『あら』


 女司祭の視線が私のほうに向いた。


「……!」


 改めて思う。この司祭は若すぎるし美し過ぎる。蝋のように白い肌と、琥珀の瞳。なぜ今まで違和感を抱かなかったのだろう。

 声も直接頭のなかに響くように感じた。朗読のときは意識しなかったのに。


「気づかれたようです」

「どうしよう。逃げなきゃ――」

 リベラは首を振った。間に合わないという意味。


『別の神の祝福の力ですね』

 琥珀の瞳が私を見て、それからリベラを見た。


「っ、させない」

 立ち上がり、剣の柄に手をかける。

 だけどそれで精一杯だった。

「私がまも、る――」

 指に力が入らない。


『そうですか』

 女司祭は嗤った。


 ただ、嗤った相手は私ではなかった。リベラに嗤っている。


『砕いてみせてあげる。あなたのひと矢を』


 言って、司祭が私を見る。

 見る。

 ――見る。

 視線がまとわりつく。

 見られている。


 あたたかった体の芯が徐々に冷たくなって。


『神は来ませり。とりこを放つと』

「あ……っ」


 体の奥底、脊椎よりも深い部分にあったリベラからの祝福が砕かれるのを感じた。

 膝から力が抜けて立てなくなり、放心状態の信徒たちと同じように地面に手をついてしまう。

 ひどい目眩と暗くなる視界。


「……なぜわざわざこんなことを」

 すぐそばからリベラの声が聞こえる。なんとか立たないと。


『だってそれはあなたの番犬でしょう? 使い物にならなくなるところを見せてあげようかと』


「趣味が悪いですね」

 犬じゃない。

「それに犬ではありません。オオカミです」

 ありがとう。


『……あなたには通じないみたいだから、見込みはあるといったところかしら。いいでしょう。番犬も一時は耐えられましたし』

「何が望みなのですか。どうしてこのような」

『終わりを望んでいるだけなのですよ』


 立ち上がろうとしたけれど、どうしても体に力が入らない。不甲斐なくてごめん。私はリベラに体を預けることしかできなかった。


『あなたたちはちょうどいい』

「どういう意味でしょう」

『招待を差し上げます』


 守るって言ったのに。

 指先すら動かせない。

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