見上げる空は何色か〜有馬将介の場合〜

―――二〇二四年 滋賀県大津市警察署 午前十二時十三分―――


「ご馳走様。」そう言って蕎麦ざると湯呑みが乗ったトレーを持ち上げ、食堂の席から立ち上がる。


冬が終わり、駐車場の隅で身を寄せ合い生き残っていた雪もすっかり消え去って春が近づいてきた時分。


今は昼飯時で、自分以外にも多くの職員が各々好むものを食べている背中が見受けられる。

大半がここの食堂で注文したもののようだが、中には近場のコンビニエンスストアでパンなどの軽食を買い、片手間に飲食を取る職員も一定数いる。


「飯の時ぐらい仕事から離れればいいのに」と一瞬思ったがその仕事に気を取られ、ながらどころか三食抜いた自分のことを思い出して、

何も言わず立ち去った。


「尾形、先戻ってるぞ」


「えっ、ちょ食うの早!?待ってくださいよ〜!有馬さん!」


驚いた顔で手に持ってた弁当の残りをかきこみ、包みを結び直してから小走りで横についてきた眼鏡の男。


自分の相棒バディ尾形洋仁である。

警察学校を首席で卒業したが、幼少期からの持病で体力が無い。


それを考慮して人事が庶務課を提案したのを押し切って捜査課に配属した経歴を持つ。


以降自分と組み、はや二年が経ったが犯人逃走時、未だ追いかけるのは自分一人。


共に働く身としての課題だと思う。年は4つ下(有馬27歳、尾形23歳)でちなみに既婚者。


「愛妻弁当か、幸せなものだ。そういえば奥さん、元気?」


「そうですよって、怖いのでその含みを持った言い方やめてくれませんか?」


「他意はない。不愉快だったならすまん、謝罪する」


「別に謝るまではしなくていいっすよ、相変わらず真面目っすね有馬さんは」


これもセクハラの類いに入るのだろうか、年下との会話はどうやっても難しい。


首元までしっかり整えられたネクタイをわざとらしく締め直す振りをして、不意に生じた気まずさを誤魔化す。


尾形の奥さんとは何度か会ったことがある。


そう言っても、勤務中に職場まで尾形が忘れた弁当を渡すのを頼まれただけだ。


しかし、「職業は?」と聞いたら「警察官です。」と返答されても違和感ない雰囲気を持ちながらも、芯の暖かさ感じさせる素敵な女性だったと記憶している。


家の一階を改築した個人喫茶店を経営していて、聴取の帰りにコーヒーをご馳走してもらったことが何度かある。


「いや〜帰りを待っていてくれる人がいるってのはいいものですよ、仕事のモチベーションにもなりますしねぇ。」


「有馬さんは所帯を持つ予定はないんですか?」


「……俺はいいんだ、警察官をやってる限り、死ぬ可能性もゼロではないし、家へは寝る為だけに帰っているようなものだからな」


未開封の段ボールに諸々の書類、買ったはいいが、まともに読めていない本で覆われた床。ベットなど最低限の家具だけ詰まった無機質な自分の家を思い出し、溜息を吐く。


「『死ぬ』か………あんま意識したことはないっすけど、気をつけるに越したことではないっすよね…コワ」


「寝に帰ってるって、ちゃんと掃除はしてるんすよね?流石に捜査資料床にそのまんまとかは…?」


「着いたぞ」


滋賀県警捜査第一課 第3班執務室。


制服のような紺色の床に、大きめの白いデスクを個人で使えるようセパレートしたものが二つ部屋の真ん中に配置されている。


壁面のアルミの棚には過去の捜査資料をファイリングした物がいくつも押し込まれており、いまにも破裂しそうだ。


他にも、備品としてコーヒーメーカーや電気ケトル、その隣には班員各々の好む茶菓子が入ったカゴがある。


あまり開ける機会はないが拳銃用のガンロッカーもこの執務室に置かれている。


ここが自分たちの主なワーキングスペースで外に出ることがない時はここで庶務課の業務を手伝ったり、担当する事件の情報整理をしている。


ここ3班は総員7名で構成されていて、うち一人は休職中。


今日は珍しく自分と尾形、ここのボスである芳村班長以外の全員が出払っていた。


「あ〜有馬くんに尾形くん、昼休憩行ってたんだよね。おかえり」

 

二人揃って班長に向け、敬礼をする


「はっ、有馬将介 尾形洋二ただいまより業務を再開します」


「あ〜いいよいいよ、そういう堅っ苦しいのはさ。私みたいな昼行燈に敬礼なんて勿体無い。リラックス、リラックス」


芳村班長はこんな感じでいつもぽけっとしている。現役の頃は、他のどの捜査官よりも芳村さんは『鋭かった』と先輩方から口々に聞くが、それも昔の話か。


しかし、そんな人も今では、持参の湯呑みに入れた緑茶を啜りながら職務中にも関わらず、売店で売っている雑誌のクロスワードパズルに夢中である。


「うちらがこれだけ出張るのは珍しいっすよね、なんかあったんすか?」


「あ〜例の自衛隊の件だよ。」


「最近になってまた増えてきたし、マスコミも報道し始めて市民はもうカンカン……酷いところじゃ軽い暴動みたいになってて、その治安維持で僕たちも動いてるってわけさ」


自衛隊……?そう言われてみればここに戻る途中で何度か自衛隊の車両が通りかかるのを見た気がする。


知らない間に何かあったのだろうか。俺も尾形も今朝までとある捜査に関わっていて、テレビを見る時間など全く取れなかったから、話に今一つついていけていない。


演習の可能性もあるが街中ではないだろうし、この国では尚更の事だ。


聞いている感じ、局所的な県内だけの事案というかは、それなりの数が動いているように感じられる。


それに、自分が通りすがりに見たのは明らかに銃座や広域レーダーのついた戦闘車両だった。目的の予想もつかない。


駄目だ、推察するにしても情報が少なすぎる。


「自衛隊の尻拭いを警察がやるなんておかしな話っすねぇ…有馬さんもそう思いますよね?」


「・・・有馬さん?」


あぁ、と間の抜けた返事をして視線を合わせる。


「すまない、少し考え事をしていた」


呆れ顔に、ため息まで吐かれてしまった。字幕がつくのなら「全くこの人は……」だろうか。


「まぁこの件に関しては間宮くんと石辺ちゃんの二人がなんとかしてくれるよ、そーゆえば二人はどうだったの?あの事件」


「個人的に引っかかるところはあるのですが、『被害者になんらかの因縁がある者による放火殺人』と結論づけました。」


「捜査するにも如何いかんせん、証拠となるようなものは燃えてしまっていていますから。」


「放火か……嫌だねぇ、本当にお疲れ様。」


事件概要はこうだ。午後二十時四十三分、大津市のあるアパートで火元不明の火災が発生。


近隣住民が気付き、この事件唯一の被害者である山本隆一さんに避難するよう呼びかけするも全く反応がなく、その時は外出中と思われていた。


消火後、現場を調査すると焼死体が発見され、僅かに焼け残った毛髪から山本隆一の遺体であることが判明した。



それだけなら、ただの火災による死亡事故として片付いていた。


出火原因を調べるために遺体を司法解剖に回した結果、左脇腹に刺殺痕が発見されたことで刑事課に捜査協力が回って来た事この事が発端である。


現場入りしてから、殺人に繋がる物証を探した。前述の通りそう上手くはいかず、部屋にあったであろう物は殆どが炭と化していた。


唯一発見された物としてクリアファイルの欠片や溶けたUSBメモリが数個あるがどちらも証拠として使うには不十分。


犯人が刺殺に及んだ動機へつながるような物は一つとして見つかっていない。


現場からは何も出ない事を察した自分たちは、次に山本隆一の素性を探ることにした。


都内の有名大学を卒業後、山本は数年間地学研究員として働いていた。


去年の四月六日、唐突に所属する研究所に辞表を提出し退職。その後、地元である滋賀県大津市にアパートを借り、再就職することもなく研究員として稼いでいた貯金で最低限の生活を送っていた事が捜査によって判明した。


「この勤め先だった研究所にこないだ行ってきたんすけど、素人目から見てもま〜じすごかったすよ。中の様子は、漫画でよく見るような白衣の人と、よく分かんない機械で沢山ってことぐらいしか分かんなかったすけど。


「縦に平⚪︎堂が三つは並ぶデカさでしたもん、さすが東京!って感じで」


「何故デカさの基準が平⚪︎堂なんだ…」

思わずつっこんでしまった。


「よくおつかい頼まれるんすよ。それで、山本の同僚に働いてた時の事とか、退職した理由諸々聞いてみたんです」


「うんうん、それで何かわかったの?」


「駄目っした。同僚との関係も良かったらしくって、ここらの研究員には珍しく、仕事終わりに時間があればよく後輩も誘って飲みに行くような人だったようです。だから辞めるって聞いた時は本当に驚いたし皆んな残念がってたって」


 尾形が説明したように、この男は怨恨で殺されるような人物ではない。


次に向かったのが山本の実家だ。


亡くなってから間もなく刺殺痕が判明し、担当の入れ替わりからの騒乱で、尋ねた時にはまだ両親に山本が亡くなったという情報が伝わっていなかった。当然、何事かと驚かれた。


その日は一度撤収して、聴取は後日に改めたが、改めて申し訳ない事をしたと反省している。

山本は一人息子で、当時、あまり裕福な家庭ではなかった事もあって誕生日やクリスマスなど我慢させる日は多かったそうだ。


それを不満として口にすることはなく、逆に「自分が良い大学へ入って、金持ちになって二人を楽させるんだ」と学生時代はひたすら勉学に勤しんでいたと両親は話した。


それから高校卒業後、上京して研究員になってから暫くしたある日。必要ないと言い聞かせていたのにも関わらず、学費を全て両親に返済。そこから毎月、過剰なほどの仕送りが送られてきていたと話を聞いた。


しかし、そんな山本にも弱点とされる部分があった。結論から言うと、殺害されるまでの四十三年間、一度も異性との交際経験がなかったらしい。


家族で集まった際にそのような話を持ちかけると毎回渋い顔をしていたことを伝えられた。この話で男女のもつれからという線も消えたとすると、いよいよ分からなくなってくる。仕事、金、男女トラブル…このどれもが問題ない男は何故殺されたのか。


「はぁ非モテ、そこは僕と同じだったんだねぇ」


「班長?」


「いま話したことはほとんど人物としての山本のプロフィールでしたが、実は今回の事件に繋がっていそうなものが、一つ」


「両親によると、殺害された二週間ほど前に電話があったそうです。それが、いつもと違う様子だったと」


「具体的には?」


「まるで、『遺書』のようだったと」


「産んでくれてありがとう」、「二人のおかげで夢を追いかけられた」など一方的な感謝の言葉。


違和感を感じ、理由を聞いてもただ一言「深い意味はない」の一点張り。それ以上の詮索は野暮としてその時は飲み込んだが、その事を山本の両親は泣きながら後悔していた。


「自分たちが得た情報はこれで以上です」


「確かに、難しい事件だね。ご両親のためにも、今回の犯人は必ず見つけるよ」



『必ず、それが何者でもない人の行いである以上はね。』



湯呑みの縁を指でつつきながらそう発した班長は、この一瞬、昼行燈と揶揄される面影を消していた。


「!?班長……っすよね」


気合を入れ直したところに、廊下からこちらに向け誰かが走ってくる音が聞こえる。


執務室のドアが勢いよく開き「鑑識課」と書かれたキャップ帽とここでは見慣れない白衣を着た男女二人が、何かの入ったジップロックを掲げ声を上げる。


「山本隆一の体内から!無傷のUSBメモリが発見されました!!」

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