第11話 美琴が去った白石家



 妹が屋敷を出てから、二週間が経った。


 白石千沙にとって、美琴は最初から“嫌い”な存在だった。


 ――千沙が美琴を嫌いになったのは、物心がついた頃からだ。


 二つ下の妹。両親はその子を抱きしめ、目を細め、何かにつけて「美琴は特別だ」と言った。


 自分は隅に追いやられていた。


 今思えば――あれは愛情というより「期待」だったのだろう。


 美琴の呪力量は桁違いで、生まれながらにして白石家の希望だった。


『美琴はすごい子ね』

『千沙、あなたも見習いなさい』


 そう言われ続けた日々。胸が焼けるように痛かった。


(私だって娘なのに……どうしてあの子ばかり)


 小学校に上がる頃には、千沙は家では美琴を無視するようになった。


 無視するだけでは足りず、いじめてやりたい気持ちもあった。


 だが両親が目を光らせ、美琴を大切にしていたので、できなかった。


 ――そして十歳。

 美琴が術式を一向に使えず、「外れ」だと判明した瞬間。


 両親の態度は豹変した。


『なんだこの子は。呪力が多いだけで無能じゃないか!』

『期待を裏切って! 白石家の恥さらし!』


 その時の両親の怒声を、千沙はいまも鮮明に覚えている。


 その場に一緒に加わり、美琴を罵った。


『ほんと、無能ね。何のために生まれてきたの?』


 ――ああ、やっと自分は両親と同じ側に立てた。


 そう思うと、胸がすっとした。


 中学、高校、大学と進むにつれ、千沙は自分の容姿に気づいた。


 周囲の男子が振り向く。甘い言葉をかけてくる。


(私は美琴なんかと違って、ちゃんと価値がある)


 そのたびに、心地よい優越感を覚えた。

 いつか玉の輿に乗れるに違いない、と。


 根拠もなくそう思っていた、信じていた。


 美琴が裏小屋に押し込められているのも、心地よい光景だった。


 時折すれ違えば、わざわざ足を止めて罵った。


『まだ生きてたんだ、邪魔者』


 ただ、美琴は大して気にした様子もなく、淡々と返事をするか、黙って立ち去る。


 効いていないその態度が、逆に癪に障った。

 美琴も確かにそれなりに整った顔をしている。


 だが、自分よりは下。


 せいぜい、家同士の繋がりに利用されて、格下の相手に嫁ぐのがお似合いだ。


 だから両親に、政略結婚を持ちかけた。

 邪魔者を厄介払いできる上に、家のためにもなる。


 完璧な計画――のはずだった。


 ところが。

 突然、白龍一族の使者が現れた。


 しかも――あの美しい男。白龍の長。


 光を纏ったような佇まい、瑠璃の瞳。


 一目で「この人と結婚したい」と思った。


 けれど、彼が告げたのは。


『美琴殿を、嫁に迎える』


 ――耳を疑った。


 自分ではなく、美琴。

 しかも相手は、千沙が心奪われたその人。


 屈辱で奥歯が砕けそうだった。


 そして今。美琴がいなくなってから二週間。


 白石家は荒れていた。


「また瘴霊が来たぞ!」


 廊下から父の叫び声が響く。

 駆けつけると、瘴霊がうねる黒い影となって父に襲いかかっていた。


 父は慣れぬ手つきで術を構えたが遅すぎた。


「ぐあっ!」


 父は術式の扱いが鈍っており、まともに対応できない。


 その隙に千沙が必死で術を組み、炎を叩きつけた。


 霧が消散し、瘴霊が消える。


「ふぅ……」


 額に汗を浮かべ、息を整える千沙に、父は吐き捨てるように言った。


「俺が怪我したのは、お前が遅いせいだ! 弱いせいだ!」

「……は?」


 助けたのは自分だ。

 父が弱いのは明らかだ。


 なのに責任を押しつけてくる。


(この無様な男が、私を責める?)


 苛立ちが胸を焼いた。

 それでも――最近は瘴霊の襲来があまりに多い。


 いや、正しくは元から多かったのだ。


 ただ、美琴が全部一人で祓っていたから気づかなかっただけ。


 本邸に瘴霊が寄りつかなかったのは、妹の美琴が裏小屋で拳を振るい続けていたせいだったのだ。


 その事実に気づいた瞬間、千沙は奥歯を噛みしめた。


(……あの子のせいで、私がこんな苦労を!)


 結界を張り直したいが、父は「他家に頼むなど白石家の恥だ!」と息巻いて、頑なに拒む。


 自分で結界術を学び直すと言っているが、完成する気配はない。


 そのせいで千沙は夜遊びもできない。

 男の家に泊まることもできない。


 以前試しに外泊しようとした時、父が真っ赤な顔で叫んだ。


「今家に帰らなかったら勘当する!」


 本気の目だった。

 さすがに怯んで引き返したが、悔しさで涙が滲んだ。


 まるで鎖で繋がれているようだ。


 ストレスは溜まり、肌は荒れ、化粧も崩れる。


 汗で湿った髪を振り乱しながら、自室に戻る。


「……最悪」


 鏡に映る自分の顔に吐き捨てる。

 高価な化粧品を乱暴に掴み、机に叩きつけた。


 部屋に響く乾いた音。


「全部……全部、美琴のせいよ!」


 爪が食い込むほど拳を握りしめる。

 怒りも、憎しみも、すべて妹に向かっている。


 ――あの日からずっと。


 千沙の中で、美琴は永遠に許せない存在になっていた。



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