第七話 哀れな少女

救護用の天幕の中、穏やかな寝息を立てて眠るミゲルを横目にレオは頭を悩ませていた。


(これからどう守っていけばいいんだ…。)


ミゲルはもう既に噂が広まっていることを知っているだろう。それと同時にミゲルの秘密は軍全体に広まってしまった。今更火消しをしようとしてもレオ一人の力では到底無理だろう。カイは余計なことはするなと言っていたが、これ以上ミゲルが身も心もすり減らしていく姿など見たくない。だが、余計なことをすれば彼女をさらに傷つけてしまうかもしれない。


いっそのこと泣いて縋って助けを求めてほしいと思ってしまうのは自分のエゴだろうか―レオとて涙を封印したミゲルの覚悟を理解しているつもりだ。だが、彼女の脆さを危うく思う気持ちもある。


(壊れちまう前に何とかしねえと…。)


レオが腹を括った瞬間、ミゲルの長い睫毛が震えた。


「レオ…?あれ?耳飾りは…?」


寝起きのせいだけではない弱々しい声に鼓動が跳ねる。


目覚めても今朝から変わらない青白い顔に不安が募る。


「毒の影響と魔力の使い過ぎで倒れたから俺が様子見ててやったんだ。耳飾り外したのはカイの指示だからな。」


「そうか…。」


眉一つ動かさないミゲルの表情からは何も読み取ることができない。まるで、今までの関係がふりだしに戻ってしまったようだった。


「あのさ…今朝から顔色悪いぞ何かあったのか。」


「別に…。」


「そうか…。」


緊張の糸が張りつめる。レオは胃を痛めながらも、ミゲルの心を読み取ろうとじっと瞳を見つめる。その瞳は先ほどからどこか虚ろで、見ていると胸が抉られるような感覚に陥る。


「レオ…今朝はごめんなさい。」


「は?」


「心配してくれたのにあんなこと言って…。」


「別に、良いって。」


彼女の素の口調での謝罪に胸がざわめく。以前もミゲルから謝罪の言葉を聞いたことがあったが、その時も素の口調での「ごめんなさい」だった。ミゲルは恐らく相当弱っているのだろう。以前は突き放すような態度を取ってしまったが、今回こそそんな真似はしたくない。レオは気づくとミゲルの手を握っていた。


「レオ?」


「俺はバカだし喧嘩っ早いしソヨルやカイみたいに頼りにならねえのかもしれないけど、俺だってお前のこと守りたいって思ってる。だから…。」


「だから…?」


「俺はどうしたらいい?お前に何がしてやれる?俺にできることは何でもしてやる。だからどうか、もっと俺を信じてくれ…。」


握ったミゲルの手は握り返してはくれない。たとえそれが答えなのだとしてもどうしてもこの手を離す気にはなれなかった。


「その手を離してくれ。レオ。」


「嫌だ。」


「お願い…離して…。」


声も手も震わせ、ミゲルは強引にレオの手を振り払う。


「俺はお前のことが…。」


「やめて…もう傷つけたくないの。失いたくないの。誰も…。」


「…分かった。俺、お前が目覚めたってカイに報告してくるよ。」


必死に振り絞るような悲痛な叫びにレオは口を噤むしかなかった。




「おや、心配してくれているのに随分な態度ですね。」


突如、毒気を孕んだ声が天幕の静寂を切り裂いた。


「クリフ…。」


ミゲルは咄嗟に枕元に置かれていた耳飾りを手に取る。


「素顔を拝見させていただくのは初めてですね。噂に聞いていた通り確かにお美しい。」


クリフから視線を逸らし、震えの収まらぬ手で耳飾りを着ける。


クリフはそんなミゲルの様子を愉快そうに見つめる。


「その美貌であの王に取り入ったというのも納得だ。」


「何を根拠のないことを…!」


「根拠がない?では、王が本当にあなたの実力を認めて団長に抜擢したという根拠は?」


「…!」


ミゲルは手の甲が白くなるほど拳を握りしめる。


「あの人はそんな人じゃない…。」


「ははっ。そう言うと思いましたよ。では、とっておきのお話をしましょうか。」


ミゲルはクリフを睨みつけるが、クリフは一切動じない。むしろ向けられる冷たい視線すらも面白がっているようだった。


「あなたの第三の秘密に関わることです。」


「何?」


「実はあなたには無意識に異性を虜にしてしまう魔性の女の素質があるんですよ。」


「何を言い出すかと思ったら…。くだらない。」


「覚えがありませんか?」


「あるわけないだろう。」


「くくく…。そうですか…。可哀そうに。」


クリフは口元を歪める。その歪な笑みに悪寒が走るがミゲルは必死に仮面を張り付ける。


少しでも弱さを悟られてしまえば、彼の思う壺だ。


「本当は怖いのでしょう。秘密を知られること。」


「怖くない…。」


「嘘が下手ですね。知っていますよ。あなたはまだ泣き虫な少女が心の奥底で生き続けている。それを必死に見ないふりをして今までやってきたのでしょう?健気なことです。」


「お前に何が分かる。」


「分かりますよ。あなたはもう限界だ。本当は泣き叫びたくて誰かの胸に縋りたくてしょうがないのに誰も信じることができない。そんな哀れな17歳の少女が今、僕の目の前にいる。」


ミゲルは自分の心に土足で踏み入れられた屈辱に耐えようと唇を噛みしめる。


僅かに滲む血の味がミゲルの心をどうにか正気に保たせた。


「良いんですよ。どうか僕に泣きついて下さい。まだ最後の秘密は喋りませんから…。」


「出ていけ…。今すぐ。」


クリフは鼻歌でも歌い出しそうな表情で天幕から出て行った。


(もう嫌…!何でこんな思いしなきゃいけないの…。)


凍り付いた心の奥底で必死に叫ぶ少女。


それは確かに自身が封印したはずの泣き虫なミゲル、いや、“ルシア”だった―

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