第26話 お姉さん


 松子しょうこ盃都はいどは医療センターに来ていた。この田舎町では一番大きい病院。


 昨日の夜、ラーメン屋で見た金髪の男。おそらく腕や首にまでタトゥーが入っているだろう男。その男は暴力団関係者で、別件で梅澤うめさわたちが捜査していた藤田建設の敷地内で何やら怪しい取引、おそらく薬の売買をしていた疑いがかかっているうちの一人だろう。その男と同一人物かは不明だが、腕いっぱいにタトゥーが入った男と洞牡丹が共にクラブから出てきたところを目撃したかもしれないという同級生がいたこと。そして暴力団の構成員にこの地域の工業高校の卒業生がいること。洞牡丹ほらぼたんのお姉さんが昔、工業高校の不良と付き合っていたということ。


 これらの情報が繋がるかは分からないが、洞牡丹のお姉さんを介して牡丹が薬と繋がった可能性を見出した盃都は梅澤にお姉さんの名前を聞き出して松子とともに病院を訪ねてきたのである。


 二人は病院の裏口で洞牡丹の姉である洞葵ほらあおいが通りかかるのを待っている。梅澤からもらった葵の写真を手がかりに通り過ぎる病院関係者たちを車の中からチェックしていた。今回もまた梅澤の車を借りている。運転席に座る松子はハンドルにもたれかかりながら、後部座席に座る盃都は双眼鏡で裏口を覗く。


「今日休みでどっか出かけてたらどうする?明日出勤してくるまでこのまま?」

「……さっき寮の部屋のインターホンは無反応でしたからね…もし夕方まで現れなかったら洞牡丹のお母さんの方を尋ねます」

「んー…二人が一緒に暮らしてくれてたら一回で済むんだけどな。なんで寮なんかに住んでるのよ洞葵は」

「一人暮らしをしてみたかったか、夜勤もあって大変だから病院の敷地内に住みたかったか、親と離れたかったか…」

「昨日アッキーが捜査資料の情報ちらっと教えてくれたけど、牡丹はともかく、母親とは仕事柄か何なのか疎遠って言ってたね洞葵の方は」

「まあ、親が夜職してるってなったら…俺は一緒にいるのキツいですけどね」

「何で?家計のためでも?」

「成人したらなんともないでしょうけど、学生のうちは…」

「なんで?」

「……何となく?俺が男ってのもあるかもしれないですけどね。松子さんは嫌じゃないんですか?お母さんが夜の水商売って」

「別に?まあ、母親が売春婦ですとか言われたら嫌だけどね。お酒作って接客してるだけなら特に何も思わないかな。知り合いにスナックのママいるし」


  身近に夜職をしている知り合いがいない盃都にとってはわからない感覚だったが、親が夜職というのはどうやらそこまで毛嫌いすることでもないらしい。そうこうしているうちに、病院の出口から洞葵らしき女性が出てくるのが見えた。松子はすぐに車を降りてダッシュでその女性の元へと向かう。盃都は運転席のドリンクホルダーに置いてある車のキーに手を伸ばして取り、車に鍵をかけてから後を追う。

 



「あの!洞葵さんでしょうか?」


 松子に突然声をかけられて驚いて固まる女性。白いスクラブを着ていて、名札には洞と書かれている。そう多い苗字ではない。洞牡丹の姉で確定だろう。だが突然病院の外で見知らぬ人から名前を呼ばれて警戒しないわけがない。洞葵だろう女性は手に持っていた財布らしきものを胸元で強く両手で抱きしめる形で松子に警戒の目を向けている。遅れて登場した盃都はその光景を見て察した。松子が唐突に尋ねて困らせていると。松子は獲物を目の前に嬉々としている捕食者のようにしか見えない。盃都は蛇に睨まれた蛙のように立ち尽くす女性に助け舟を出す。


「あの、俺たち、牡丹さんの同級生なんです。昨日同窓会があって、昔お世話になったから可能であれば手を合わせたいと思いまして…俺たち遠方から来てるので、その、手を合わせる機会がなかなかないと言いますか…牡丹さんからよくお姉さんがこの病院で働いてるって聞いてたので、ここに来たら会えるかなと思って、その…」


 しどろもどろに話す盃都。咄嗟に口を開いたものの、嘘をつくのは難しいなと改めて実感した。それを横で見ていた松子は呆れてため息をついた。そのため息を見過ごさなかった盃都。誰のせいで得意でもないことをさせられてるのか、松子にそう言ってやりたい気持ちを抑えて洞葵であろう女性に向けて頭を下げて謝罪する。


「怖がらせてすみません。本当に、ただ、牡丹さんをよく知る人と話をしてみたかったんです。今年、3回忌ですよね…お墓でも仏壇でもいいので、手を合わせたいんです」

「私も、お願いします」


 松子は盃都に合わせて頭を下げた。恐怖から固まっていた女性は二人の様子を見てまだ驚きはしているものの、事情がわかり恐怖心は和らいだようだ。胸元で財布を大事に抱えている姿勢から両腕が弛緩して体の横に来ている。警戒心は解けたことを二人は確認した。女性は目の前で頭を下げ続けている二人に声をかけた。


「妹をこんなに大事に思ってくれている友達がいたなんて、それだけでもあの子の供養になるわ」


 名乗らずとも、この女性が牡丹のお姉さんであることは確定した瞬間だった。二人はおずおずと顔をあげて彼女を見る。同級生の誰かが言っていたように牡丹に似ていない地味な見た目だが、困ったように微笑んだ目の前の女性は間違いなく洞牡丹の面影があった。



 洞葵はお昼ご飯を買いに外のコンビニへと向かう途中だったらしい。仕事が終わってからゆっくりと話そう、ということになり17時以降に近くのファミレスで会うことになった。17時過ぎに席を取って先にドリンクを飲んでいた松子と盃都。葵は残業があったとのことで18時頃に現れた。


 濃いネイビーのスキニージーンズに白い無地の襟付きのシャツにスニーカー。シンプルなスタイル。仕事終わりだからか、元々なのか、かろうじて眉毛は描かれているが他はファンデーションさえ塗っているのかわからないすっぴんメイク。インスタで見た洞牡丹とは正反対にいるような人物だ。


「遅れてごめんね。定時で帰るつもりだったんだけど、こういう時に限って定時直前に緊入来てね…」

「大丈夫ですよ、看護師さん大変ですもんね。うちも母が看護師なので大変さはわかってるつもりです」

「そっか、大輝くんのお母さんも。お母さんが看護師だと大変でしょう?」

「…大変なのは多分母の方です。夜勤やってると生活リズム合わないし…それでも家事やって俺をここまで育ててくれてるので頭は上がらないっていうか」

「病棟の看護師さんなのね、お母さん。お母さんはこっちにいる時はどこの病院にいたの?」

「結婚してからは専業主婦だったので…看護師に復帰しようとした時、俺、ちょうど不登校だったんです。だから病院で働いてられなかったみたいで、こっちでは看護師やってません。大学進学で家族一緒に引っ越したので、そこからやっと現場に復帰しました」

「そっか…大変だったね、大輝くんも、お母さんも」


 口に出してから焦る盃都。葵から“大輝くん”と呼ばれるまで、今自分が佐藤大輝さとうだいきに成りすましていることを忘れていた。しかし葵は特に不審に思うそぶりもない。昼の時もそうだが、妹の交友関係はあまり把握していなかったのだろうか。佐藤美緒の顔が変わったことはおろか、名前を聞いてもピンと来ていなかった。だから盃都はなんとか辻褄が合うようにそのまま会話を続ける。ある程度嘘を混ぜても特に不審がられないだろう。それよりも下手に佐藤大輝の実の母親を探られたら大変だ。この町には痕跡がない


 三人はそれぞれ食事を注文して食べながら本題に移る。いきなり本題を口にしたのは松子だ。良くも悪くも口を滑らせ自分のお母さんの情報を開示してしまった盃都のおかげで葵はこちら側に親近感を示したように見えたからこそ、松子は単刀直入に話を始めた。


「お姉さん、牡丹は誰に殺されたんだと思います?」


 あまりに直球すぎる質問に流石にその場で松子を嗜める盃都。


「おい、聞き方…」

「何よ?うちらが聞きたかったことじゃん」

「だとしても、遺族に対してそんな聞き方」


 途中まで言って盃都は止まった。思い出したからだ。桜太おうたの遺族を訪問した時、父親の弥生人みきとに対して松子のように不躾な質問をしたことを。人のことをとやかく言えた立場じゃないと自覚しながらも、流石にほとんど面識のない他人に対してやるなんて思いもしなかった盃都は松子を“あなた人間ですか?”と化け物でも見るかのような目で見る。その視線を気にもせず松子は葵に迫った。


「お姉さん、何か知ってませんか?牡丹が事件に巻き込まれた事情とか」


 松子に怒っている様子はないが、葵は黙り込んだ。いきなり深く踏み込んだ自覚があった松子は少し後悔し、この状況を恐れていた盃都は目を瞑るしかなかった。だが、二人の心配をよそに葵は口を開いた。


「牡丹のこと、ここまで気にかけてくれる友達がいたと思うと、本当に、なんて言えばいいのか…ありがとう。気にしてくれてるのは清鳳くんだけだと思ってたから……」


 葵は涙を流しながら感謝を述べた。予想外の反応に驚く二人だが、それよりもさらに驚いたのは、清鳳という名前が出てきたことだ。そこにいち早く反応したのは松子だった。


「清鳳って桐生清鳳きりゅうきよたかですか?」

「そうだけど…あなた達、清鳳くんともお友達?なら他の二人とも仲がいいの?」


 葵は一気に警戒モードへと入った。顔がこわばっている。嘘をつけない人種らしい。“他の二人“が誰のことを指してるのか、盃都と松子はすぐにわかった。柳田燕大やなぎだやすひろ芒花菜月おばななつきのことだろう。だが、なぜここで警戒されるのかはわからなかった。やっと心を開きかけたのに、あの二人が原因でここで口を閉ざされては困る。そう思った盃都は強く否定する。


「俺は高校3年間ほとんど不登校だったので、清鳳だけじゃなくて柳田燕大、芒花菜月とも面識はありません」

「……じゃあなんで牡丹のこと…」


 やたらと警戒している葵。完全に盃都のことを疑っている。この疑いを晴らすには、多少の嘘はやむを得ない。そう思って盃都は牡丹と大輝の架空の思い出を語る。


「不登校だった俺がたまに投稿した時、他のクラスメイトが避ける中で、唯一まともに接してくれたのが牡丹さんだったんです。だから、彼女には感謝しているんです。俺がこうして同窓会に出席したり、またこの田舎の土地を踏もうと思えたのは、牡丹さんのおかげなんです」


 葵の表情は明らかに緩んだ。なんて素直な人だろう。盃都はそう思った。


 だが、松子への警戒心は捨てきれていないようで、葵は松子をじっと見つめる。”次は貴女が答える番ですよ“そう言われているような気がした松子はホンモノの斎藤美緒から聞いた牡丹との思い出を語る。


「私は当時クラスで虐められてて。牡丹とは同じクラスで、彼女だけが私と普通に接してくれたんです。おかげで不登校にならずに高校を卒業することができました」

「じゃあ清鳳くんとは…」

「清鳳とは昨日の同窓会で初めて話しました。あっちはわたしのこと牡丹の友達だって認識はしてたみたいですけど、高校の時に関わり合いになったことはありません。他の二人なんて清鳳以上に全く知りません。名前しか…それに学校中からどちらかと言えば敬遠されてましたし、あの3人は」


 あの3人が敬遠されていたことに心底驚いている葵。他の学校の卒業生が聞いても驚くだろう。あの3人が敬遠されていると。学校の中と外では振る舞い方が違うのだろうか。妹を通してあの学校のあのクラスについてどこまで知っていたのかわからないが、葵はあの3人について“他の生徒は知らない何か”を知っていそうだと思った松子は畳み掛けるように葵に言葉を投げる。


「私たちにとって牡丹は恩人です。当時は勇気が出なかったけど、今は違います。だから、牡丹を殺した犯人を捕まえたいと思っています。何か知っていることがあれば何でもいいので教えて欲しいんです」


 松子の言葉に再び驚いた顔をした葵。だが今回はもう、先ほどの警戒心は見えない。


「……わかった。あなた達が牡丹のために動いてくれているんだもんね。私が知ってることならなんでも教える。遠慮なく聞いて」

「じゃあ、牡丹は誰に殺されたと思いますか?」


 再び同じ質問をぶつけた松子。だが、今回の葵は堂々とハッキリ答える。


「わからない。でも、怪しい人なら何人か知ってる」

 

 

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