第10話 遺族の思い


 盃都はいどが単身で東京の弥生斗みきとの家に乗り込み30分が経った。思いの丈をぶちまけた盃都の辞書にはもう、諦めるという文字はない。今まで自分の意見を他者に通すような盃都を見たことがなかった弥生斗は驚いていた。自分が知らないうちに自分の息子と仲良かった子供がこんなに変わった成長したことに、感慨深いものを感じていた。盃都が桜太おうたあかねのことをそんなにもよく見て思ってくれていたと知った弥生斗は嬉しく思うと同時に、だからこそ盃都を自分たちがハマった闇に引き摺り込むわけにはいかない──と思った。

 

「盃都くん、本当に嬉しいよ。君がそんなに僕ら家族のことを思ってくれていたなんて、正直、思いもしなかったから。でも、尚更ダメだよ。危ない目に遭うと分かってることは、させられない」

「事件を調べるだけです」

「君も言っていただろ。あの町が二人を殺したって」

「そうですけど、」

「それが事実だとしたら、君がこの事件を調べているとあの町の誰かにバレたら、茜みたいになるよ……」

 

 これで確定したようなものだった。弥生斗の今の発言は、盃都が今まで勝手に想像していたことが事実である可能性を大きくした。

 

「茜さんも調べてたんですか?桜太の事件を」

「ああ、僕も調べていたけど、茜は特にそうだった。桜太の交友関係を中心に調べていたよ」

「……桜太がいなくなる前の状況は?」


 弥生斗は盃都の質問に一瞬戸惑いを見せるが、諦めた顔をして小さくため息をついた。危ない、と口では敬遠しつつも今目の前にいる弥生斗は事件について語ろうとしている。

──なんだ、桜太のお父さん、諦めてないじゃないか。

 盃都は弥生斗には気づかれぬようにスマホの録音アプリをそっと起動した。

 

 弥生斗の話ではこうだ。


 8月3日の夜。19時過ぎにいつもの時間にランニングに行ったきり、帰ってこなかった。

 スマホに何度も連絡を入れたが応答しなかった。

 弥生斗と茜は3日の21時頃からいつも桜太がランニングをするルートを車で探し回った。

 誰かの家に泊まりに行ったのかもしれない──とは思わなかったが、念の為、他の野球部の部員たちに連絡して桜太がお邪魔していないか聞いて回った。

 誰も何も聞いてもなければ、その日の夜に誰も桜太を見ていなかった。

 

 日付が変わる頃、警察に行方不明届を出した。届出は受理されたものの、友達の家に行ったのではないか?──と捜索隊が出ることはなかった。

 だが、桜太を知る野球部の親たちは桜太が黙っていなくなるような人柄ではない──と、レギュラーメンバーを中心に捜索に協力してくれて4日の未明から5日の朝にかけて町中探し回った。

 しかし桜太を見つけることはできなかった。

 警察が本格的に捜索に乗り出したのは5日の朝だった。地方のニュースや新聞に縞桜太しまおうたが行方不明になったと情報を流して聞き込みが始まった。

 

 そうこうしているうちに、8月8日に洞牡丹ほらぼたんの家族も行方不明届を出した。

 警察は二人が同じ学校、同じ学年ということで関連性があると見て捜索人数を増やし、捜索範囲を広げた。

 

 弥生斗と茜はすぐに牡丹の母親に会いに行き、8日の夕方頃に牡丹の家を訪れて三人で話した。

 牡丹の母である富貴子ときこは母子家庭で昼は不動産屋の事務、夜はスナックで働いていたため、牡丹がいつ帰って何をしているのかはいつも把握している状況ではなかったという。

 洗濯物が出ていないことから、牡丹が家に帰っていないことに気づいたのが8日の昼で、実際に牡丹がいつから行方不明になっているのかはハッキリしない。

 普段からよく友達の家や姉の家に泊まりに行くと外泊することが多く、帰ってこなくてもそれほど気にしていなかったらしい。

 最後に富貴子が牡丹の姿を見たのは桜太がいなくなった日の夕方──富貴子が夕ご飯を作っている最中に友達と遊びに行くと出て行ったのが最後だ。

 もしかしたら牡丹も桜太と同じ日に事件に巻き込まれたのかもしれない──と、茜と弥生人は富貴子の話を聞いて思った。

 

 それから二日経ち捜索範囲が町から山に広がった8月10日、あの納屋で警察の捜索隊が牡丹の遺体を見つけた。

 そしてそれから二日後の12日に桜太が池の底で見つかる。

 捜索隊のダイバーが発見した。遺体は見られない状態だったらしい。

 

 すぐに二人の遺体の司法解剖が始まり、桜太は溺死、牡丹は丸い何かで頭を強く打ちつけたことによる頭蓋内出血でそれぞれ亡くなったと警察が発表。

 桜太の衣服には牡丹の血痕が付着しており、生前についた傷が手や腕にあったとのこと。牡丹は頭部以外に目立った傷は見当たらなかった。

 

 犯人は不明のまま町の監視カメラにも二人の姿は確認されず。

 唯一確認できたのは8月3日の夜、19時30分頃に駅の監視カメラの端に通り過ぎる桜太の姿が映っただけだった。

 何時にどこを通過するのはわからないが、駅前を通るのはいくつかある桜太のランニングコースの一つらしい。

 それ以外の街頭の監視カメラには映っていなかった。

 そもそも田舎すぎて監視カメラの数が少ないため、お店に入ることでもしなければ監視カメラに映ることはないと警察側は話したという。


 弥生斗は自分が覚えていることを全て話した。


 2年も前のことにも関わらず、当時のことを良く覚えている自分に今更驚く弥生斗。話を黙って聞いていた盃都は時折スマホのメモに文字を打ち込んでいた。まずは弥生斗サイドからの全体把握に努めたのだ。ネットに転がっている記事を読んだだけの盃都では事件の全容を掴むことはできない。当事者に話を聞くことで盃都の持っている情報を補完しようと一通り聞いた後、気になった点を質問していくことにした。今度は盃都のターンだ。

 

「洞牡丹って、桜太とはどういう関係だったんですか?」

「わからない。その名前は聞いたこともなかったよ、あの事件が起きるまでは」

 

 弥生斗は首を振りながら答えた。そのまま牡丹について知っていることを盃都に伝える。

 

「茜が言っていたけど、もともとは地元の人間じゃないみたいだ。牡丹さんのお母さんがお嫁になってきたみたいで」

「母子家庭って言ってましたけど、お父さんっているんですかね?」

「随分前に病気で亡くなったと言っていたよ、僕らがお母さんと話したときは」

「じゃあ、さっき洞牡丹が良く泊まりに行ってたというお姉さんって…」

「地元の大きい病院で働いてるみたいだけど、5個上だから、流石に桜太も接点はないと思う。僕も茜も知らなかったし」

 

 田舎で松子しょうこと一緒に図書館で調べた際に、二人は洞牡丹の周囲で何かが起こっていたのではないか──という見立てに至った。桜太の周辺に洞牡丹の影が見えれば、その情報を元に切り込めそうだなとアタリをつけて弥生斗の話を聞いていた盃都だった。


 だが弥生斗からは洞牡丹の情報はこれ以上得られないようだと盃都は悟った。茜の情報から何か掴めないだろうか。盃都は掘る方向を切り替えて聞いてみることにした。

 

「あの、桜太のお母さん──茜さんって、どういう状況で亡くなったんですか?」

 

 弥生斗の表情は一気に曇り始める。

──ストレートに聞くのはまずかったか?

 と盃都は一瞬日和りつつも、そのまま弥生斗の言葉を待つことにした。弥生斗は拳を握りしめて口を一文字に結んだ後、脱力した。

 

「川への身投げだったよ……」

 

 桜太が発見されてちょうど2ヶ月後のことだったらしい。町と町の境にある人があまり通らない橋。川の流れは急でもなく穏やかなわけでもなく、蛇行していて浅い部分と深い部分がところどころにある川──田舎にはどこにでもあるような普通の川で発見された。すぐ見つかったのは、飛び降りを目撃した人がいたからという。


 近所に住む60代の女性。夕方、畑の帰りに茜が橋の欄干から下を覗いているのを目撃。釣り人の格好ではない女性が覗いているのを不審に思って声をかけに行こうとしたところ目の前で飛び降りた──と。


 橋の上には鞄と遺書が残されていたとのこと。その遺書には息子が亡くなったこと、息子が他人を殺めてしまったことへの失意と謝罪が書かれていたそうだ。

 

 茜の自殺があってからというもの、警察は事件の捜査本部がなくなり、桜太と洞牡丹が殺された事件そのものが未解決のまま諦めムードに入った。その頃町ではあちこち不穏な噂話が立ち込めていった。桜太と洞牡丹は付き合っていただとか、口論していたという声が出始めたのだ。証拠はない上に、誰が言い始めたのか分からない噂が町に出回っていた。


 それから町の人から最初に向けられていた被害者家族への視線は、徐々に洞牡丹殺害をした息子の家族という犯罪者遺族へのそれへと変わっていった。その中で、当時6歳だった嘉乃よしのを町の目から守りながら生きることが難しくなり、弥生斗は離婚届を出し、両親を頼って神戸へと帰った。その後、神戸の家にまで取材クルーたちが押し寄せたため、弥生斗と嘉乃は東京へとさらに引っ越すことになった。

 

「神戸に行くこと、誰かに話しましたか?」

「いや、春如はるゆきさんにだけ……お世話になったから。でも春如さんが言うわけないし、記者たちは何処から情報を手に入れたのか……」

 

 盃都も弥生斗同様に、春如がそれを言いふらす人ではないと思った。ましてや桜太の一家を匿って自分も田んぼを取られた人間だ。何か噂を立てて注目されるのは避けるはずだ。そもそも春如は近所に住む太田の婆さんのように自ら目立ちに行く性格ではない。


 ではどこから漏れたのか。盃都はなんとなく神戸の家で見た米の袋を思い出した。

──あの米袋に貼ってあった伝票を俺のように盗み見た者がいるってことか?

 だとすると犯人、もしくはその関係者が宅配業者にいることになる。松子のレンタカーの件といい、あの町には犯人の協力者、もしくは本人にその意思がなくとも間接的に協力者になってしまっている人間がまだ蠢いているということになる。

──この事件はまだおわってない。

 あの町では現在進行形で続いている──と盃都は思った。

 

「もしかしたら、犯人たちはまだこの事件を隠しきれていないのかもしれません」

「どういうことだい?」

「なんとなく、そう思うんです。あなたもいつまで続くかわからないから、こうして東京に苗字を変えて住んでるんですよね?」

「……終わったことにしたいさ。でも、強盗が入ったり、茜が死んだり、あの闇が確実に終わったという確証がない。息を潜めて逃げ続けるしかないんだ。嘉乃を守るためにも」

「嘉乃ちゃん、元気ですか?」

「ああ、こっちの小学校に通ってるよ。今は友達と夏休みのプールに行ってる。もうすぐ帰ってくると思うけど。嘉乃は当時幼くて、よく分かっていなかったみたいだから。それが不幸中の幸いだよ」

 

 やっと嬉しそうに微笑む弥生斗の顔をみることができた。盃都が桜太の家に行ってた時に見ていた弥生斗の笑顔だった。弥生斗はまだ生きる希望がある。自殺するような切羽詰まった状況ではない。嘉乃ちゃんがそれを繋ぎ止めてる。盃都はこれ以上、弥生斗の家族をこの事件に関わらせてはいけないとも思った。嘉乃に会う前にこの家を去ろう。その前に、これだけは聞いておきたかった。

 

「弥生斗さんは、桜太と茜さんが誰かに殺されたと思いますか?」

 

 シンプルだが、強烈な盃都の質問に弥生斗は先ほどの笑顔とは打って変わって凍りついた表情になる。そして、ゆっくりと盃都の目を見て答える弥生斗。

 

「ああ、あの二人は誰かに殺されたんだと思う」

 

 弥生斗の言葉を聞いて改めて事件を捜査続行を決意した盃都。帰る旨を伝えて、玄関へと移動し、靴を履いていると弥生斗から声がかかる。

 

「茜は、洞牡丹さんと仲が良かったという三人を調べているときに亡くなったんだ」

 

 盃都は突然後ろから重要な情報を投げられ、驚き勢いよく振り向く。そこには真剣な顔をした弥生斗がいた。リビングの入り口から声をかけてきた弥生斗は盃都がいる玄関に歩み寄りながら話す。

 

「家に強盗が入って荒らされたのも、今思うとその三人について茜が調べ始めた辺りだったと思う」

「その三人が、誰だかわかりますか?」

「名前は覚えてないけど、確か、議員の息子と、県の教育委員会の教育長をやってる家の息子だとか茜は言っていたと思うよ。もう一人は、なんて言ってたかな──ごめん、思い出せない」

 

 名前が出ていないのにも関わらず、弥生斗が言っている2つの家がどこの家なのかわかった盃都。田舎で春如から聞いた町の有力者に違いないと思った。最後の最後で重要な情報を得られたことの達成感が俄かに盃都の心を満たす。盃都の表情は決意をした男の顔だった。そんな盃都を見た弥生斗はハッとした。息子の友人を危険な目に合わせるきっかけを自分が与えてしまったと。一気に後悔の念が押し寄せる。

 

「やっぱり、今のは聞かなかったことにしてくれ。忘れるんだ。もう、この事件は終わらせよう」

「無理です」

 

 今まで見たことがないくらい頑なになっている盃都に驚きを隠せない弥生斗。信じられないものを見る目で盃都を見る。

 

「君は、本当に盃都くんかい?君は子供にしては大人のような悟り方をした子供で、言っちゃなんだだが無気力で、あまり自己主張をして動くタイプではなかっただろう?」

 

 弥生斗が語る盃都は紛れもなく本物の盃都であり、今、事件を解決するために捜査することを決意した盃都も本物だった。盃都はまっすぐ弥生斗の目を見て答える。

 

「俺にとっては兄のような親友が殺されたんです。その犯人がまだ捕まらずに罪を償わずのうのうと生きてるなんて、許せません」

 

 弥生斗はもう、盃都に“やめろ”とは言えなかった。今の盃都は誰にも止められない。

 不安な顔で見つめられた盃都はもう、後ろ髪を引かれることはなかった。

 

「大丈夫です、弥生斗さんや嘉乃ちゃんには迷惑をかけません。あなた達が今何処でなにをしているのかも、じいちゃんにも誰にも言いません」

「そうじゃなくて」

「大丈夫です。むしろ、この犯人を見つけないと、俺は一生何もできない人間になる気がするんです。ありがとうございました」

 

 盃都はそう言って一礼した後にすぐ帰ってしまった。何と声をかけるべきか分からず、弥生斗は見送りもできなかった。ただ茫然と盃都が出ていった玄関を見つめて立ち尽くしていた。

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