第4話 昼間の話





 夕飯を持ってきた小暮が、辰之助に向かって手をついた。


「大橋どの、客間に夜具の用意をしております。今夜はお泊りください」


 小暮の言葉に、辰之助が姿勢を正した。


「いえ、それがしには構わないでくだされ」

「お殿さまから仰せつかっておりますゆえ」

「叔父上が申したのか?」


 伊織は目を見開いて、小暮を見た。


「大橋どのは江戸で免許皆伝を授かり、藩の剣術指南役に抜擢されたとのこと。よければ江戸でのお話を少しお聞きしたいそうです」

「藩の……。辰之助が教えるのか?」

「いや、そんな大したことじゃない」

「すごいじゃないか。俺にも稽古をつけてくれるか?」

「当然だ」


 辰之助の目が生き生きと輝きだす。三年前に戻ったような気がして、伊織は胸がいっぱいになった。小暮はそれから退室して、辰之助と二人きりになった。

 とたん、伊織は心臓がうるさいほど鳴り出した。


「急にだんまりになったな」


 辰之助がからかう。

 二人きりだと何を話せばよいのか分からない。何だか酒がまわってきて、ぐったりして壁に寄りかかった。

 辰之助は酒に強いのか、顔色一つ変わっていない。

 なにか云わなくては、と伊織は呟いた。


「叔父上は遅いな」

「そんな姿を見られると、叱られないか?」

「叔父上は心の広いお方だ。俺のわがままを聞いてくれる」

「お前がわがままを云うのか。聞いてみたいものだ」

「俺はわがままだ」


 伊織は目を閉じた。

 辰之助がこんなに近くにいる。それだけで嬉しい。

 不意に障子の向こうから声がした。


「失礼いたします」


 小暮は、叔父が急な用事で来られなくなったから、今夜は休んで欲しいと云った。江戸の話がいろいろ聞けるだろうと楽しみにしていた伊織は肩を落とした。


「仕方ない、寝るか。俺が案内するよ」

「かたじけない」


 堅苦しい言葉に苦笑する。


「なに云ってるんだよ」


 客間に入り、浴衣に着替えるのを手伝った。ずいぶん硬い筋肉をしている。よほど鍛え上げてきたんだろうなと思った。


「若さまにこんなことさせて、かまわないのか」

「はあ……。だから、なにを云ってるんだよ」


 ふと顔を上げると辰之助と目が合った。辰之助がおもむろに口を開いた。


「昼間の話しだが……」

「なんの話だ?」


 伊織が首を傾げると、辰之助は、深呼吸をすると静かに云った。


「償いがしたい」

「償い?」

「黙って江戸へ行ったりして悪かった」

「いきなり、何を云いだす……」

「文も返しもせず、申し訳なかった。ずっと、お主のことは忘れたことはなかった」

「そうか……」


 辰之助が素直に謝ってくれている。それだけで十分だ。


「償いなんていらない。その言葉だけで充分だ」

「それでは俺の気がすまない」

「いいよ。戻って来てくれただけで。これからは国許くにもとにいるんだろ?」

「それなんだが、実を云うと、また江戸に行きたいと思っている」


 目を伏せてぼそぼそと云う辰之助を見て、伊織は愕然とした。


「そ、そうなのか」

「今すぐではない。しばらくはこちらにいる」

「うん……。そうか、分かった」

「伊織……」


 辰之助が信じられないという顔で見ていた。気がつけば泣いていた。また、あの空しい日々が襲ってくるのかと思うと、苦しくなった。


「こ、これはっ。お前がまたいきなり江戸に行くなんて云い出すから、驚いただけだ」

「伊織……」


 そのとき、ぐいと肩を引かれ辰之助に抱きしめられていた。


「た、辰之助……」


 首筋に辰之助の息がかかる。吐く息の熱さにくらくらした。離れようともがいたが相手の力が上だった。


「すまん、伊織……」


 小さく謝る辰之助の気持ちなど分からなかった。

 聞きたいことは山ほどあったが、何も云えず黙っていると、辰之助が声を震わせて小さく云った。


「江戸の話、少しだけしてもいいだろうか」

「え? も、もちろんだ……」


 手を引かれると夜具の上に寝かされる。

 明かりを消されると、部屋が暗くなった。お互いの呼吸をする音が聞こえる。覆いかぶさる辰之助の背を受け止めると、伊織は戸惑いながらも目を閉じた。

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