あの日、全ての機械人形は濃淡に笑う
名取フォルテ
淡く出会う
一
見ていた闇を切り裂く光が眼球に入る。それに合わせて、ビリビリと体を蝕むような電流と頭痛が体中の血線をなぞった。中には、血線に追随しない一匹狼のような電痛も流れている。頭の頂点から髪を描く鉛筆画家のように、赤子が小さな小指で無作法に線を辿るように。あちらこちらと不規則な疼きを感じて、渋面の表情をする自分だった。このような痛覚は合理的ではない、痛みを発するのであれば、もっと規則正しく走るべきである。合理的ではない、気に食わない。非常に気に食わない。
──なんて、言っても意味が無いか。自分の体で働いている微小な生命単位に文句を伝令しても変わらない。それらは、永遠と動き続ける機械のような物だから。しかし、命の原動力が枯渇するまで動く機械だって、時には叫びたい時もあるのではないだろうか。圧迫された空間──世界の中でパンドワゴン効果や同調圧力に侵されて、何も言えない細胞達は色彩的な道のりを歩ける訳が無いのは不条理だ。
嗚呼、閑話休題。つまらない事に記憶機関を使ってしまった。そもそも、感情の無い機械に色彩があるかどうかなんて一言で済むのに。機械は機械、ただ動いて捨てる消耗品だ。そんな余計な事を考えてしまったのか。
どうやら自分は、今の状況に狼狽しているのだろう。稼働している記憶機関も、ところどころ歯車が動かなく順応していない。麻痺をしているようで、自分は何者で何を目的に生きて来たのか不明だ。俗にいう記憶喪失という障害なのだろう。しかし、気を落としている場合では無い、とりあえずは状況を観察、整理しようではないか。
目のレンズに映る景色は、波のように木目が伸びていた天井だった。視界の端には、山吹色のカーテンが空を泳ぐように揺蕩う。
全身が温かな感触を覚える。春の浮雲に体を預けているようで、それに答えるように優しく包まれるような肌触り。どうやら私は臥床の状態らしい。
拝礼の要領で起き上がり、周囲に目をやる。
埃の迷彩を受けた木製の棚、机な椅子がいくつか配置されており、どれもが幾星霜の時を過ぎたのだろうかと思うほど死骸になっていた。
埃が空を舞い、窓から入る朝日によって茜色のヴェールがうねっている。今の時間帯は朝方の時だろう。世界の始まりを伝える丸が出て間もない。少々外は深淵の漆黒に満ちているようだ。
周りの家具に手を置いて、目線を撃ちつつ思考を働からせてみるがやはり記憶は無い。何かに触れる事で記憶が蘇る可能性があると見込んだのだが、理というものは思考のままには動かないのが自明の理だった。痛切である。
目の先を本棚に向ける。空虚な中に一つだけ不思議な本が一冊あった。それを見た私は己の心が本の中に隠れているかのような気配に誘惑されて硝子の本を思わず手に取る。
頁を捲り、本の扉を解錠して中身を読むが特に何も記述されていなく、理由は掴めないが何故か得心した。透明な本は現実的な物ではない。もしかして私は幻想の世界を見ているのだろうか。そうであるならさっさと目覚めてくれ。無駄である。
ここは一体どこなのだろうか?
私は誰だ?
何をしていたのか?
様々な疑問が募るに募る。積もった懐疑を空虚の空に捨てて思考を握った。
乾いた律動を奏でながら木製の床を踏んで行く。
歩んだ先に麦茶で、二日三日煮込んだような色の扉を見つけ、錆びたドアノブを握り部屋を出る。
進んだ先は広い間──リビングのようで相変わらず木の海が広がっていた。あちらこちらと家具が存在しており、現代技術の製品が無いことに気づく。大きく面を張った机に椅子があるだけの質素な部屋。電球やテレビすらも無く無駄に広いだけのただの部屋。どうやら家の持ち主は、愚者の才能をお持ちのようだ。この家は私の所有物では無いな。私は非効率的な行動を好まない人形のような人間だからこのような行動をしないだろう。自負しているが自虐では無い。ただのそう言う人間なだけだ。私のような人間は世界中に沢山いるさ。直ぐ側に。
しかし、暮らしの影が見えない家である。
何かあるかとすれば、窓の額縁に置いてある花瓶だけである。花の器に植えてあったのは、二七色に光る一輪の花だった。焦慮のような青色になる時も有れば、数秒過ぎると娯楽を象徴した黄色に変化する時もある、何とも不思議な花であった。不気味だ、不気味である。
──不愉快だ。
風を殴り飛ばすように腕を振るい花瓶を地面に落とした。白く輝く花の土器が流星群のように木目の海に欠片を一つ、もう一つと浮かびあげて静止する。
色彩的な花を見て、心が憤怒してしまったようだった。何故だが分からないが腸が震えて脳に訴えたのだ。「アレは要らない」、と。記憶機関が訴えを受理して勝手に腕が攻撃行動を取ってしまった。
私は……穢を招いてしまったのか?
私らしく無い……いや私って何だ?
嫌な汗が頬を撫でる。思考の流れがグニャリと歪む。
視界が左右に揺れ始めて世界の景色が曖昧になっていく。
失策……失策失策失策失策失策失策失策失策失策失策失策失策失策失策失策。
「──大丈夫ですか?」
後方から鈴を転がすような高く澄んだ声が耳に入る。
振り返って見てみれば、ひとり佇む少女が立っていた。百合の花を具現化したような美しい女性で黒絹の流れた短髪が耳を覆い、凛々しい顔立ちで光籠もった白い衣を着飾った婀娜な人が眉を寄せた表情で見つめる。
こういう時はどういう言葉を返せば良いのだろうか。
言葉選びに躊躇していると彼女が歩みを寄せて地面に体を落とす。花立ての破片に気づいたのか破片を一つ摘む。一息の間が過ぎた後、少女は私の元へ駆け足で歩み寄る。
彼女の琴線に触れてしまっただろうか。
自明である。状況的に考えて目の前にいる女性がこの家の所有主だろう。木の孤島にある花結晶を落としてしまったのだ。合理的に考えれば彼女は怒るのは当然。罵倒と平手打ちは覚悟をしなくては。災厄の場合、石箱に行く事があるだろうが腹を括ろう。
「怪我はしていませんか?」
発言をした少女は私と体温が伝わる距離に接近すると、目で全身を舐めるように確かめる。右腕に付いた破片が彼女の小さな手によって払わられた。
何をしているのだ。私は花瓶を破壊したのだぞ。状況証拠的に考慮すれば、窓は開けられておらず、強風で倒れた可能性は無い。地震という地鳴りも発生していない。花瓶も落ちるような位置に置いていなかった。状況証拠で私が自分の手によって破壊したと分析出来るだろうに。
何故咎めない?
何故心配をする?
彼女が触れた時、妙な感情と体温が伝わってきた。少女の気を遣われるという謎の行為によって何かが、心の底から生まれた気がする。気の所為だろうか。いや、気の所為ではない。確かに、何かが生まれた気がする。
「していない」
乱雑した言葉の中から、深慮の結果の末に握った単語を口にする。無感情な波長で少女に渡すと──口元が綻んだ。息をつき、心臓部分に手をやって安堵の表情を浮かべる。
「良かった。怪我なんてしたら、私どうしようかと思いました」
「怪我の箇所は流水で流し、異物を取り出す。ガーゼや絆創膏で止血して病院に行けば良い」
「…………物知りですね」
「別に誰でもわかる合理的な行動だろう。君はそんな事も思いつかないのか」
「そうですか? 私は賢明だなぁと思ったのですが」
「この程度で賢明とは、君は世界を知らなすぎる」
「……すいません。久しぶりに会ったので」
「──久しぶり?」
疑問を彼女に言うと右手をぎゅっと握りしめて、思案の表情をする。その目はどこか悲しみに帯びた目だった。
「……嗚呼、そうでした自己紹介。私、レサワスグナって言います。貴方の名前は……わかります?」
話題を振り切ったのかスグナは真剣な眼差しでこちらに疑問の念をぶつける。
「記憶が全く無い。さっき気がついたら、あそこの部屋にいたのだ。君は私の事を知っているのか?」
レサワスグナ、君に関して不審な翳りがある。それは、私を見てさほど驚いていない事。遭難、誘拐、色々な可能性に襲われた可能性がある私に彼女は何も反応を示していない。まるで慣れているような。そこにいたのが当たり前と認知しているような表情だ。ただ分かるのは海での遭難ではない、誘拐も体格的にやられる事は無いだろう。彼女の裏に強大なマッスルポーズをする男達がいたら話は別だが。ドッキリ番組の線も無い、部屋にマイクやカメラも無い。全ての可能性が否定される。一つ思うとすれば、彼女は信用出来る人間であると言う事。理論的には分からないが直感的にそう思う。私に合わない言葉だがどうでも良い。
「貴方は……知りません」
裏面のありそうな答え方。先ほどからずっと同じ、皮を張った喋りだ。今の状態で彼女に思うことを尋ねても対した答えを得られないだろう。不思議な方だ。
「そうか」
詮議は後にしよう。腰を折って、指先で硝子の破片を拾う。体が勝手に動いてしまったが、これは紛れも無く私が行った過ち。責任を取らなくてはならない。自己反省をしながら、腕を動かしている中、レサワが横にしゃがみ破片を回収する。
「……君はやらなくて良いだろう。私が落としてしまった花瓶なのだから」
「別に関係ありませんよ。何かあったら手を差し出して共生するのが人間ですから」
「それは合理的な行動ではない。個々に動き、誰かが足を踏み出しても見捨てて前に進んで目標を完了したほうがエネルギー効率的に良いだろう?」
「人は無駄に燃料を使う生き物でもあり、それで未来に進む事ができる生き物ですから」
「……そうか。考えたことがなかった」
欠片を集め終えて、最後の物体である一輪の花を見つける。先程まで輝いていた多彩な花は、埃を身に纏い光を失っていた。
二十七色に光る花を取ろうとした瞬間、脳裏に現れた否定感と嫌悪感によって手が震え始める。
「──大丈夫ですよ」
彼女と声と彼女の手が冷たく冷え切った私の手と重なり、一つとなりその瞬間、脳を襲った二感が綺麗さっぱりとなくなって虹色の花を手に取る事が出来た。すると、花についていた埃が幻のように消えてしまう。それは魔法のようだった。
──っ!!??
二十七色の花を見つめると体中に妙なエネルギーが溢れ出した。体の底から溢れる力は部屋中に広がり、視認していた世界が一転して変わる。色彩のヴェールが部屋に色を与え、それまで見えなかった家具が見え始めた。
白色のソファー、部屋を照らす電球、些細な事であるが全てが美しく見える。いつの間にか質素な空間は、華美な空間になっていた。
花は温もりを帯びている。自分には似合わないと思って嫌悪していたのに、何故か勇気を振り絞って握ると好感に変化したようだ。
なんだこの感覚は?
そしてこの熱は一体?
心にプラタナスの花が咲いた。心臓から血管を巡って足や手に、最後に記憶機関まで根が伸びる。私は自分に関する記憶は塵となっている。しかし、心の底にはあらゆる知を持っているという自身があるのに何か足りない物がある気がする。それを知りたい。学習したい。
「……レサワスグナ、僕に色を教えてくれないか?」
プラタナスの根を彼女へ伸ばすと優しく握りしめてくれた。レサワスグナは一瞬、驚きの色に染まったが私を見つめて微笑んだ。
「あと……すまなかった」
言葉を聞いた彼女は何も気にすることも無く、私の手を引っ張った。繋ぐ先は何も無い壁。いつの間にか扉が目の前に見え、扉の隙間から光が漏れている。
私は知りたいんだ。何故、非効率な色をしたこの花は鮮やかに輝けるのか。そして……いやなんでもない……本当に。
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