第2話 周囲の反応と私の気持ち
シェーグレン症候群と診断されてから、それをまわりに伝えると、かなり同情された。
彼氏は「君の人生は大変だね」と言い、おかんは、「何であなたばっかりそんな目にあうのか。お祓いに行ったら?」と言った。
友達はネットで色々と調べてくれて、趣味仲間はみんな励ましてくれた。
私は子供の頃から病気や怪我が多い人間だった。体は少しのことですぐに膿むし、この体質のせいで大変な思いもした。
骨折もしたし、思春期には卵巣嚢腫を患った。
その後も料理をすれば気絶するほど、体が弱かった。
精神病も複数患い、正直ここにきて指定難病にかかったところで、そうきたかーという感じである。健康に生まれたかった、普通の暮らしがしたかった、というフェーズはとっくに過ぎてしまった。
そもそも縄文時代ならとっくに死んでるだろうし、弱い私がここまで生きてこれたのも現代日本に生まれたからだろう。そしてめんどくさい人間であるにもかかわらず、励ましてくれたり一緒に病気を調べてくれたりする周囲の人間に恵まれたからだろう。私の友達は人格者が多い。いつだって私が瀬戸際になると、手を差し伸べてくれた。弱音を吐いても、受け止めてくれた。ありがたい。
私はたまに考える。この世が修業の場で、あの世があるならば(一応無宗教)、私はもう特にこの世に未練はない。勉強したいことは勉強したし、たどり着きたい境地にも立てた。それでももしかしたら、あと40年は生きるかもしれない。加齢とともに不具合の出てくる体を抱え、痛いだの苦しいだの言いながら、この世を満喫するのかも知れない。
シェーグレン症候群はすぐに早死にする病気ではないらしい。生活の質が下がるのは仕方ないが、ケア商品も色々でているらしく、それらを使いながらしぶとく生きていくのかも知れない。とりあえず今日はドライアイのための目薬を買った。
喉もずっと渇くので、手元にペットボトルを置いてチビチビと口内を潤していく。
私は最近考えていて、私は死ぬ時に、面白い人生だった、生まれてきてよかったと思えるだろうか。
病気だし、人間は争うし、戦争も無くならないし、ネットを見れば誹謗中傷。自尊心や優越感、承認欲求のような小さなトゲが、チクチクと散らばっている。人が人を殺したり、小さな世界では誰が誰より優れているとかジャッジしたり、そんな世の中を生きてきて、これからもっと不具合の出てくる体を抱え、楽しい人生だった、悔いなし!と死ねるだろうか。
そう思ってぜひ死にたい。楽しかったと思いたい。たくさんの人に感謝して、安心してこの世を去りたい。
私の持病がこれからどんな悪さをしていくのか、分からない。
現在、ペットボトルのふたを開けるのも指が痛く、茶碗も洗えなくなった。車のハンドルを握るときも痛く、毎日痛い痛いと言っている。体の痛みに、不快感に冒されて、心まで病んでしまう時も来るのだろうか。やだやだ。でもいつか、このエッセイブログでそんな事を書く日も来るかも知れない。それは私が生きてる証だから、人間らしいそのネガティブさも、大切にしていこうと思う。
どうかどうか、ここにたどり着いてくださった皆様が、心穏で元気で楽しく、今日一日を終え、明日への不安なく眠りにつけますように。
ささやかな1日の積み重ねで、私もあなたも、人生は成り立っていくのだろう。
今日は良いこともあった!
彼氏がポイントで買ってくれたクッキー缶が届いた。まだ唾液がでる今、美味しさを噛み締めていただこうと思う。
それではまた。また、読んでくださった方も遊びに来てね!
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます