第2話「灰域」


 灰が降っていた。

 空を覆う鉛色の雲の下、世界はひっそりと腐食していた。降り積もるそれは雪のように静かで、だが一度吸い込めば、即座に生命を蝕む猛毒となる。

 人々はそれを「灰域」と呼び、決して近寄ろうとはしなかった。

「……座標、確認。次の遺跡は、灰域の内部に存在する」

 ヴェールライトの管制室で、ヴァーチェが端末を操作しながら冷静に告げる。

「うへ〜、よりによって灰域かぁ……」

 アイリスがだらしなく椅子に沈み込み、両手をだらりと下げた。

「マスク外したら即死でしょ? おっかないよねぇ……」

「だからこそ俺たちが行く」

 シグナスが背の大剣に手を置く。

「エーテルコアの反応は確かにそこにある。創造主が言った“永遠の庭園”に近づくためにも、避けては通れない」

「……ふん、相変わらず無茶をする」

 アズールが呟きながら、腰の「村様」に指をかける。その赤い刀身は、灰に濁る空気の中で妖しく脈打っていた。

 その時、警報音が艦内に響いた。

「シグナス! 未確認の生命反応が二つ、艦の外だ!」

 ノーヴァの声が跳ねる。

 モニターに映し出されたのは、灰域の端を彷徨う二つの影。ひとつは、白銀の機械の体を持つアンドロイド――02-Xerox(ゼロック)。もうひとつは、二振りの刀を背負った人間の女――島津莉子(リコ)だった。

「……助けるの?」

 カノンが問う。

 シグナスは迷いなく頷いた。

「仲間を見捨てる理由はない」

 隔壁が開き、二人は艦内に収容された。

「ふぅ……命拾いしたわ」

 リコはマスクを外すと、汗を拭い、二刀を軽く叩いた。

「ありがと。私は島津莉子。リコでいいよ。刀の錆にならずに済んだ」

「……ふむ。君たちが“ヴァーディクト”か」

 ゼロックが金属の声で言う。その瞳は無機質な青に輝いていたが、言葉にはどこか人間臭い皮肉が混じる。

「僕は02号機、ゼロック。灰域での作戦行動のために造られた存在だ。……まあ、君たちが来なければ灰に埋もれてジャンクになっていただろうけどね」

「皮肉屋なのじゃな」

 ヴァーチェが細い煙を吐きながら呟いた。

「でも、リコちゃんは人間でしょ? よく生きてたね〜」

 アイリスが目を丸くする。

「ははっ! ちょっと無茶しすぎただけさ。灰に呑まれる前に拾ってもらえて、感謝してるよ」

 リコは屈託なく笑い、腰の二刀「無明」を軽く抜いて見せた。刃は鈍く光り、灰の中でも鋭さを失っていない。


 艦を降り立った彼らを包んだのは、重く淀んだ灰の霧だった。

 全員がマスクを装着し、視界を確保する。

「ここが……灰域……」

 カノンが槍を握りしめる。

「空気そのものが敵みたいだな」

「環境汚染レベル、致死域。酸素濃度、著しく低下。……生物反応、多数接近」

 ノーヴァの声が緊迫する。

 灰の中から、異形の影が這い出してきた。骨と灰を混ぜ合わせたような、歪な人型。空洞の瞳から黒煙を吐き出し、口からは灰を撒き散らす。

 ――灰域種「ヴェルドラント」。

「来るぞ!」

 シグナスがギャラクシアを構えた瞬間、ヴェルドラントが咆哮し、突進してきた。

 

「サージドライバー、うへぇ、全開だよ〜!」

 アイリスの機関銃が火を噴き、弾丸の雨が灰域種の身体を削る。しかし、灰を纏った肉体はすぐに再生し、崩れた肉片がまた歩き出す。

「こりゃキリがねぇな!」

 カノンが槍で一体を貫き、地面に叩き伏せる。

「冷静になれ。あれは捕食した対象の力を奪う……直に喰われるぞ」

 ゼロックが分析し、即座に指示を飛ばす。

「アズール、前へ。シグナスは後衛を守れ。リコ、左翼から斬り込め」

「了解だ」

 アズールが村様を振るい、赤い軌跡が灰域種を両断する。その切り口から迸る光は、灰を焼き払い、完全な消滅をもたらした。

「ははっ! 最高に斬り応えあるねぇ!」

 リコは笑いながら二刀を閃かせ、灰域種の首を刎ね飛ばす。血ではなく灰が舞い上がり、空に消えていく。

「……さすが戦闘狂」

 ヴァーチェが冷ややかに呟きつつも、杖を掲げて聖光を降らせ、仲間の周囲に結界を展開した。


 戦いが一段落した時、灰の向こうで巨大な影が蠢いた。

 無数の腕を持ち、空を覆うほどの巨体。全身から金属片と灰が滴り落ち、地鳴りのような咆哮をあげる。

「……あれは」

 ノーヴァの声が震える。

「灰域種――XB-∞-ヘカテー。灰域と機械種エクゾメッカの融合体です!」

 ヴェルドラントの群れなど、今や前座にすぎなかった。

 空を覆う巨影が、その無数の腕をこちらへ伸ばしてくる。

「全員――戦闘態勢!」

 シグナスの声が灰域に轟く。

「ここを突破しなければ、俺たちの旅は終わる!」


  大地を砕く轟音とともに、巨影が姿を現した。

 それは人でも獣でもない。無数の機械の腕と、灰の肉体を継ぎ接ぎした異形の巨神。

 虚ろな眼窩からは赤黒い光が放たれ、咆哮一つで周囲の大気すら震えさせる。

「これが……灰域種の王、ヘカテー……!」

 カノンが槍を構えながら、喉を鳴らした。

「ちょっと! サイズが桁外れだよぉ〜! どこ撃てば倒れるの!?」

 アイリスが叫び、サージドライバーを乱射する。だが、銃弾は装甲のように硬化した灰の外殻に弾かれ、火花を散らすだけだった。

「核があるはずだ。だが――」

 ゼロックが冷静に解析を続ける。

「この巨体では容易に近づけない。触れたものを灰に変換する力……厄介だね」

「なら斬り伏せるまでよ!」

 リコが二刀を抜き放ち、突進した。

「無明、見せてやる!」

 双刃が閃き、巨腕の一本を斬り飛ばす。だが灰はすぐに再構築し、再び腕を伸ばして襲いかかる。

「――回復速度、尋常じゃない」

 ヴァーチェが冷たく告げ、結界を張り直す。

「シグナス、これは悪手だ!」

 アズールが叫ぶ。

「これ以上粘れば、全員が呑まれる!」

「分かってる! だが、退けば遺跡には辿り着けない!」

 シグナスがギャラクシアを振るい、巨腕の一撃を弾いた。だが衝撃は重く、膝が沈む。

 その瞬間、艦から駆けつけたノーヴァが悲鳴をあげた。

「だめ、みんな下がって!! 出力が――抑えられない……!」

 彼女の瞳が紅く光り、体中の神経が電流のように震える。

 胸部のエーテルリアクターが暴走し、周囲の灰を焼き払う熱を放ち始めた。

「……これが、ノーヴァの……」

 ヴァーチェが目を見張る。

「アドレナリンモード、起動。――レイジ、解放」

 次の瞬間、ノーヴァの体は赤黒い光に包まれた。

 髪は逆立ち、背後に翼のようなエネルギー残光が広がる。

 その咆哮は、もはや人間のものではなかった。


「ぬぅおおおおおおおおッッッ!」

 ノーヴァが突撃し、ヘカテーの巨体に拳を叩き込む。

 爆裂音と共に巨腕が砕け散り、灰の再生速度を上回る速度で破壊が連鎖する。

「すご……! 一撃で……!」

 カノンが目を見開く。

「いや、違う……これは制御できていない!」

 シグナスが叫ぶ。

 ノーヴァの動きは獣そのものだった。仲間の声も届かず、敵も味方も関係なく破壊衝動に身を任せて突き進む。

「シグナス! 止めなきゃ!」

 アイリスが叫ぶ。

「だが、この力がなければ……ヘカテーを倒せない!」

 シグナスは唇を噛んだ。

 ノーヴァが巨体の胸部に取り付き、抉るように拳を叩き込む。

 ――その内部で、赤い光の塊が明滅していた。

「核だ!」

 ゼロックが叫ぶ。

「今しかない! ノーヴァの暴走が、コアを露出させている!」

「アズール! リコ! 一気に仕留めるぞ!」

 シグナスの声に、二人が応える。

「任せろ!」

 アズールが村様を振り下ろし、紅の光刃がコアを裂く。

「無明ッ!」

 リコの双刃が交差し、砕けた核を粉々に切断した。

 轟音と共に、ヘカテーの巨体は崩れ落ちた。

 灰が嵐のように舞い上がり、やがて風に溶けて消えていく。

 だが、勝利の余韻に浸る間もなく、ノーヴァはなおも暴れ続けていた。

「やめろッ! ノーヴァ!!」

 シグナスが叫び、彼女の前に立ちはだかる。

 狂気に染まった瞳が彼を映す。

 一瞬、拳が振り下ろされかけた――

「……シグナス……?」

 その名を口にした瞬間、ノーヴァの身体が震え、光が弾け飛んだ。

 彼女は膝から崩れ落ち、静かに気を失った。

 残されたのは、荒れ果てた灰域の戦場と、仲間たちの重い呼吸だけだった。

「……危なかったのぅ」

 ヴァーチェが杖を突き、息をつく。

「ふぅん……あの子、本気を出せば灰域の王すら打ち倒すってわけか。気に入った」

 リコが笑みを浮かべ、刀を納める。

「だが同時に、制御できなければ俺たちをも滅ぼす……諸刃の剣だ」

 ゼロックが静かに告げた。

 シグナスは眠るノーヴァを抱き上げ、拳を握りしめる。

「必ず制御してみせる。ノーヴァの力を……未来のために」

 そして一行は再び歩み出す。

 灰域を越え、まだ見ぬ遺跡へと。

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