第2話 転職先は魔王学校の先生でした

 黒曜石で積み上げられた巨大な壁。

 高くそびえる柱。

 炎の灯る燭台は赤黒い光を揺らし、影はまるで生き物のようにうごめいている。


 ――カツン、コツン


 ごつごつした床を、蹄や鉤爪の足音が響く。

 廊下を行き交うのは角や翼を持つ魔族ばかり。

 誰もが人間を見下ろすような瞳をしていた。


「……ここが、魔王城」


 ポツリとつぶやく。

 幼馴染で、仲間で、親友であったはずの勇者パーティに裏切られた僕は、魔族兵に殺されかけたところを救われ、ここまで連れてこられたのだ。

 眼前に居る彼に。

 豪奢な装飾が施された玉座に悠然と腰かける、漆黒の長衣を纏った男。

 魔王、オルギス・グランロード。


「――コホン。単刀直入に言おう」


 その深紅の瞳に射抜かれた僕は、恐怖と場違い感に押し潰されそうだった。

 けれど彼が最初に放った言葉は、想像とまるで違っていた。


「キミ、うちで働かない?」

「…………へ?」


 思わず間抜けな声が出た。

 脳裏では「殺される」と覚悟していたのに、出てきたのは勧誘の言葉。


「う、うちで働かない? とは……?」

「そのまんまの意味だよ! この私、魔王オルギスのもとで配下として働かない? って言ってんの!」


 にこーと口角を上げる魔王。

 か、軽いな、ノリが……。

 魔王ってこんな感じなの?

 いや、まあ、そこは今はいい。

 それよりも、重要なのは彼の提案についてだ。


「魔王軍に加入する、ということで……?」

「うん! そうなるね!」

「え、ええと……僕は人間で、しかも勇者パーティなんですけど、それは」

「種族なんて関係ないよ! それに勇者パーティも、『元』でしょ?」


 魔王の言葉に、ぐっと喉が詰まる。

 そうだ、何を今さら言っている。

 僕はもう、彼らの仲間ではないのだ。

 ……いや、もしかしたら僕が勘違いしていただけで、最初から仲間などではなかったのかもしれない。


「さっき見てたんだけどさあ、キミ勇者に捨てられてたでしょ。酷いよねえ。ま、こっちとしては、キミが拾えてラッキー♪ て感じではあるんだけど」


 魔王はあっけらかんとした様子でケタケタ笑う。


「ま、待ってください。じゃあ人間だとか勇者パーティだとかは置いておいて、僕なんて『雑用しか』できませんよ?」

「雑用しかできない?」


 魔王は目を細めて、楽しそうに口角を上げた。


「それ、本気で言ってる?」

「え?」


 本気も何も、その通りだ。

 しかし魔王が続けた言葉は、僕の認識から大きく逸脱したものだった。


「確かに勇者パーティは、魔族われわれから見て、とてつもない脅威だったよ。甚大な被害を何度負わされたことか……」


 う……そう言われると、当事者の僕としては何か悪いことした気になってくる。

 魔王はわざとらしくため息をつき、首をぶんぶん横に振った。


「けれどそれも、ぜーんぶキミの力でしょう」

「僕の、力……?」

「うん。キミのいない勇者パーティなんて、何も怖くないさ。確実な情報収集に抜けの無い戦略。裏工作から準備、後始末まで。本当にキミは厄介な動きをしていたよ」


 魔王が発した言葉は全て、実際に僕のやってきた仕事。

 けれどそれは実際に戦場に立つ勇者たちからしたら、なんてことない仕事のはず。

 『雑用』の才能しかない僕が彼らの役にたつには、それくらいのことをして当然だった。


「わかるかい? あのパーティの顔が勇者なら、君は心臓だったんだよ」


 淡々と告げられた言葉に、息が詰まった。

 そんなふうに言われたのは、生まれて初めてだった。

 何か目論見があって、企みがあっての甘言だとしても。


「で、でも……僕は見捨てられました」

「どう思った?」

「……まあ、そういうものなんでしょう」


 口にして、自分でも驚いた。

 怒りじゃなく、諦めしか出てこなかった。

 魔王は一瞬だけ僕を見つめ、ふっと笑う。


「ま、人間性も問題ナシだね。じゃあ決まりだ」

「決まりって……」

「キミにうちで働いてもらおう、ってこと」


 う、やっぱりそうなるのか。

 一体何の目的で僕を仲間に引き入れようとしているのかわからないけれど、僕の心の中には「別にいいんじゃないか」という諦念が沸き上がっていた。

 結局僕はもう、あっちの世界に居場所なんてないんだ。


「……わかりました。そのお誘い、受けさせていただきます」


 小さく言って、頭を下げる。


「やったあ! これで百人力だぞ~! それで、早速キミの仕事なんだけどさあ、もう決まっててさあ――」


 魔王は嬉しそうにぱちぱちと手を叩き、衝撃の言葉を続けた。


「――先生、やってほしいんだよね!」

 

 せんせい?

 先制?

 専制?

 宣誓?

 え、まさか。


「せんせいって、あの……学校とかの……?」

「そう! それそれ!」


 嘘でしょ。

 僕、先生やるの?

 魔王軍で? なんの??

 そんな僕の疑問を表情から察したのか、魔王は詳細を語りだした。


「実はさ、私もボチボチ隠居したいんだけど、後継者に悩んでてねえ……。ホラ、魔王って魔族全体の指導者なわけじゃん? めちゃくちゃ重要な役割じゃん?」

「え、ええ。それはまあ、そうなんでしょうね」

「色んな候補者たちを比べはしたんだけど、まあ一長一短。コイツしかいねえ! って、ビビッと来ないわけよ」

「は、はあ……」

「そこで思ったんだ。良い後継者がいないなら、作っちゃえばいいじゃんって」


 後継者を、作る……?


「各種族から代表となる若手のエリートを集めて、魔王になるための特訓をさせるんだ。名付けて『魔王学校』。ふふ。キミにはそこで、魔王候補生たちの教鞭を振るってもらいたい!」

「た、担任!? いやいや無理です、僕なんて……!」


 担任ってめちゃくちゃ重要でしょ!?

 僕が魔族の未来を左右するって言っても過言じゃないじゃん!

 こんな雑用しかやってこなかった僕が次の魔王を育成するなんて、そんなの無理だよ!


「ええ……? キミしかいないと思ったんだけどなあ。…………断る?」

 

 魔王が首をかしげ、にこりと笑う。


「そ、そりゃもちろん断らせて――」

「――その場合、殺すけど」

「やります」


 即答していた。

 背筋に冷たい汗をかきながら。


「でも、これだけは言っておきますが、本当に僕は雑用しかできませんから。失敗しても恨まないでくださいね」


 僕がそう言うと、魔王はお腹を抱えて大笑い。


「うんうん、大丈夫大丈夫。信頼してるよ、先生」


 気軽すぎる調子で、重大な任務を丸投げされてしまった。

 そして魔王は続ける。


「で、キミのこと。信頼してはいるんだけど、とはいえいきなり魔族領こっちで一人で生活ってのも大変でしょ? というわけで、公私ともにサポートしてくれる者を用意したんだ。おーい、セラ!」


 魔王の声に応じ、広間の奥からすっと影が伸びた。

 姿を現したのは、一人の女性。

 雪のように白い肌は松明の光を受けて淡く輝き、長く流れる黒髪は歩むたびに艶やかに揺れる。

 背からは漆黒の翼。

 その羽先だけが白く染まり、神聖さと不吉さを同時に帯びていた。

 そして頭上には、砕け散った輪の残光がかすかに揺らめく。

 光と闇が同居するような気配を纏っていた。


「こちら、堕天使のセラ・ヴェイルだ。役職としては『副担任』ってことになる」


 紹介を受けた彼女は音もなく歩み出て、優雅に一礼した。

 銀灰の瞳が一瞬こちらを射抜き、その冷たい光に思わず息を呑む。


 綺麗だ。

 冷ややかで人を拒むような気配さえ、美しさを際立たせていた。


「お? おやおや?」

 僕の表情を見逃さなかった魔王が、口元を吊り上げる。


「これはスクールラブの始まりかな?」

「ら、ラブって!? そんなんじゃないですから!」


 慌てて否定する僕。

 にししと笑う魔王から視線を外し、セラに向かって軽く会釈する。


「よ、よろしくお願いします」

「……業務上、必要な補助をいたします」


 セラは淡々と告げ、僕をまっすぐ見つめる。

 必要以上の言葉も、感情も出さない。

 徹底的に一線を引いた距離感って雰囲気だ。

 それでも、彼女の存在は心強く思えた。


「それじゃ、早速つれて行ってあげて」


 魔王は手をひらひらと振る。


「連れて行くって……」

「決まってるじゃん。キミの生徒の所だよ。もう教室で待っているはずだ」

「えええええええっ!?」


 心も! 授業も!

 まだ何の準備もできてないんですけど!?

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