第31話 迎撃準備

 警鐘けいしょうが街中に響き渡っていた。ライルさんが険しい表情で僕たちを見た。


「間に合わなかったか……スタンピードが始まる。主神の目を見に行くぞ。状況を確認する必要がある」


 ライルさんに促されて、僕たちは大広間へと急いだ。


 大広間に入ると、既に人で溢れかえっていた。避難してきた人々が階段状の座席に座り、不安そうに主神の目を見上げている。入口付近はどんどん混雑していく。

 ライルさんが神殿の奥、最上段の方を指差す。


「主神の目の反対側に指揮所があるんだ。スタンピード対応はあそこで行われる」


 神像の裏側に向かう武装した兵士や冒険者の流れが見える。


「神殿が指揮所になるんですか?」


「ああ。神殿は避難所にもなる、街で最も頑丈で収容人数の多い建物だからな。それにスタンピードのような大事態なら、主神の目にそれが必ず映し出される。状況が一目で分かるから、スタンピードの時はここが拠点になるんだ」


 ライルさんの説明を聞きながら、僕は主神の目を見上げた。


 画面に映っているのは――森だった。いや、森から何かだ。


 ゴブリンだ。大量のゴブリンが、森から草原へと次々に出てきている。その数は数百では利かない。千を超えるどころか、もっと多いかもしれない。森の手前で緑色がうごめき、地面が見えないほどの密度でゴブリンたちが埋め尽くしている。


 そしてまだ増え続けている。森からは絶え間なく、新しいゴブリンが湧き出してくる。


「あれが……スタンピード」


 ルシェルの声が震えている。メルナは僕の服を強く握りしめていた。


 図書室で読んだ学術書によれば、スタンピードは魔物の領域で間引まびきが不足すると発生する。ある閾値しきいちを超えると領域内で魔物が爆発的に増殖し、人の住む場所に向かって押し寄せる。


 学者たちは、これを人類を滅ぼして魔物の生存領域を拡大するためのと推測している。実際、スタンピードで滅んだ地域は魔物の領域となり、そこから更なるスタンピードが発生する。国全体が魔物の領域と化した例もあるそうだ。


「あの速度だとあと1いっこくぐれぇかな。準備する時間はありそうだぜ。お前たちも装備を確認しろ。神殿に預けてるアイテムも全部持ってこい」


「これはギルド員規約にあった特例招集ですか?」


「ああ、そうだ。この街の冒険者は全員動員される。お前らもギルド員だからな。メルナは避難民として神殿に留まれ」


 ライルさんの言葉に、僕とルシェルは頷いた。メルナは不安そうに僕たちを見上げている。


「メルナ、大丈夫。必ず戻ってくるから」


「うん……気をつけて」


 神殿の受付に向かい、預けていた荷物を全て受け取る。投げナイフの予備、ポーション、火精瓶かせいびん。身に着けられる限りのありったけのアイテムを装備する。ルシェルも同じように準備を整えた。


 装備を整え終わった頃、神殿の入口付近が騒がしくなった。


 金髪の女性――ギルド受付嬢のレイラさんだ。その横に、見慣れない男性が立っている。


 暗い灰色の髪を首の後ろで結んだ、やせ型の男性。細いフレームの眼鏡をかけ、鋭い黒い目は感情を読み取らせない。整った服装からは威厳が感じられる。


「あれがギルドマスターのグレンだ」


 ライルさんが小声で教えてくれた。


 グレンと呼ばれた男性は、神殿の中を一瞥すると、神像の裏――指揮所へと向かっていく。レイラさんもその後に続いた。その後、ライルさんが言った。


「俺は指揮所に顔を出してくる。お前たちはここで待機してろ。指示があるまで勝手に動くなよ」


 そう言い残すと、するすると人混みの中を抜けて指揮所へと消えていった。


 時間ができた僕は再び主神の目を見上げた。

 ゴブリンの群れは、ゆっくりと、しかし確実に街に向かって進んでいる。その数は増え続け、草原全体がゴブリンの緑に染まり始めていた。


 僕たちは、この大群と戦わなければならない。問題は数だ。あの物量を相手に、どれだけ持ちこたえられるか。スタミナ配分が重要になるだろう。

 何より、今回は神の試練ではない。降参もできなければ怪我も回復しないのだ。それを頭の中に叩き込んだ。



 間もなく、ライルさんが戻ってきた。その顔は引き締まっている。


「グレンから指示が出た。聞いてくれ」


 僕たちは頷く。


「身体強化が使える冒険者は、最初は街の外に出る。そこで敵の数を減らす。それ以外の冒険者は外壁の上から弓や魔法、投石で攻撃する。グレンも外壁の上から全体に指示を出す」


「僕たちは外に出る方ですか?」


「ああ。外に出たら外壁から紐が垂らされる。腕の力だけで登ることになるが身体強化を使えば問題なく登れる。ある程度敵の数を減らしたら戻って外壁の上に上がれ。長丁場になる。無理はするなよ」


 ルシェルとメルナに目を向ける。ルシェルは緊張した表情で頷いた。メルナは泣きそうな顔で僕を見つめている。


「行ってくる」


「うん……」


 小さな声でメルナが答えた。その手を、僕は一度握った。


「必ず戻る」


 それだけ言い残して、僕たちは神殿を出た。



 街の中を走る。


 僕たちとは逆方向に、神殿へと向かう人々とすれ違う。老人、子供を抱えた母親、商人らしき男性。皆、恐怖と不安で顔を歪めている。


 ある路地の角で、見覚えのある一団とすれ違った。孤児院の職員と子供たちだ。

 フードを深くかぶっているため、相手は僕たちに気づかない。職員は慌てた様子で神殿の方へと急ぎ、子供たちも怯えた表情でその後を追っていく。


 一瞬だけ、その中の一人と視線が交錯した気がしたが、すぐに人波に紛れて見えなくなった。


「行くぞ」


 ライルさんの声に、僕は前を向いた。


 外壁へと続く門が見えてくる。


 石造りの巨大な門は開け放たれていて、武装した冒険者たちが次々と外へ向かっている。門の向こうは明るい日差しが差し込んでいるが、その先に見えるのは――


「あれが……」


 ルシェルが息を呑む。


 開け放たれた門の向こう、遠目に見えるのは黒い魔物の波であった。

 ゴブリンの大群が、地平線を埋め尽くすように押し寄せてくる。その数は、主神の目で見た以上に圧倒的だった。


「さあ、行くぞ」


 ライルさんが剣を抜いた。

 僕たちも武器を構える。


 戦いが、始まる。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る