第30話 飛躍

 巨大な単眼が、僕を見下ろしていた。


『グオオオオオッ!』


 サイクロプスの咆哮が、疑似迷宮五十階の空間を震わせる。その巨体は僕の身長の四倍、いや五倍はあるだろうか。見上げても顔がはっきり見えないほどの高さだ。額の中央に鎮座する一つ目が、不気味に僕たちを追う。


「左!」


 ルシェルの叫び声と同時に、巨大な拳が僕のいた場所を粉砕した。石の破片が飛び散る。


『次は右から横薙ぎが来る』


 至近距離なら巨大なサイクロプスをも把握できるようになった拡張客観視は、常時発動できるため相手の予備動作を掴むのにうってつけだった。


 風纏でバックステップを加速し攻撃範囲から離脱。ルシェルも反対側へ跳んで回避する。

 剣身延長を発動。両手のナイフから伸びた緑の刃を眼前を通り過ぎる横薙ぎに叩きつけ、サイクロプスの腕に赤い線が走る。

 だが、サイクロプスの巨体からすると大したダメージにはならなかったようで、特に怯んだ様子も見せない。


「ファイアランス!」


 ルシェルの炎の槍が単眼を狙うが、サイクロプスは腕で防いだ。その隙に僕は足首を狙って斬りつける。


 ズバッ!


 刃は深く食い込み、赤い血が噴き出した。だが、見る間に切り口が再生していく。サイクロプスの巨体には、強力な再生能力があるようだ。これまでの大型種とは異なり、攻撃力、速度、回復力のバランスが取れすぎていて隙が無い。このままだと先にこちらの魔力が尽き___


「ミオル!上!」


 見上げると、サイクロプスが両手を組んで振り下ろしてきた。


 間に合わない――!


 風纏を全開にして横に飛ぶ。巨大な拳が僕のいた場所を粉砕し、石畳が陥没した。破片が散弾のように飛び散り、いくつかが体に当たる。


「ぐっ!」


 衝撃波に巻き込まれ、地面をゴロゴロと転がされる。なんとか受け身を取り、膝をついて立ち上がった。左腕から血が滲んでいる。


『単眼が弱点のはず。でも高すぎて届かない』


「このままじゃ埒が明かない!」


 ルシェルが叫ぶ。彼女の魔力も残り少ない。赤い髪が戦闘の熱気で乱れ、汗が額に光っている。


『届かないなら、届くところに来させるしかない』


「ルシェル!正面から注意を引いて!」


「分かった!」


 ルシェルが再びファイアランスを放つ。サイクロプスがそれを防ごうと身を屈めた瞬間――


 風纏で一気に加速し、背後に回り込む。右足のアキレス腱を剣身延長の刃で深く斬りつけた。


「グオォォッ!」


 サイクロプスが痛みに吠える。右足に体重を乗せられず、巨体が右側に傾いた。


 ドスン!


 バランスを崩した巨体が横向きに倒れ込む。地面が大きく揺れる。


「今のうちに――」


 だが、違和感を感じた。サイクロプスの単眼に魔力が急速に集中していく。倒れたままでも、何か危険な攻撃を仕掛けてくるつもりだ。


『まさか――』


「ルシェル、伏せろ!」


 次の瞬間、倒れた状態のまま単眼から熱線が放たれた。低い角度から放たれた熱線が地面を抉り、壁が溶解していく。倒れた状態から放たれたため、地面の起伏で防がれ辛うじて当たらなかったがこれは不味い。


「目に近寄れない!」


「それより見て!アキレス腱が――」


 切断したはずのアキレス腱が見る間に再生していく。サイクロプスが立ち上がり始めた。

 そして再び魔力を集中させ始めた。今度は立った状態での熱線だ。視界がそのまま射程になるなら逃げ場がない。


「ルシェル!熱線を撃つ瞬間を狙う!」


「どうやって!?」


「僕を投げて!」


 ルシェルの目が見開かれた。一瞬の躊躇の後、理解した表情になる。


「全開で行くわよ!」


 ルシェルが僕の手を掴む。サイクロプスはまだ魔力を集中している。


「今だ!」


 ルシェルの身体強化を使った力で、僕は矢のように打ち出された。風纏で軌道を調整しながら、単眼に向かって飛ぶ。


 サイクロプスの単眼が光り始めた瞬間――


 剣身延長を最大出力で発動。両手のナイフから、これまでで最長の緑の刃が伸びた。二本の刃が交差し、魔力が集中している単眼を貫いた。


『ギャアアアアアア!』


 断末魔の叫び。サイクロプスは単眼を押さえながら、後ろに倒れていく。僕は空中で体勢を立て直し、着地した。


 巨体が地面に激突し、やがて光の粒子となって消えていった。

 転移陣が現れ、そして宝箱が出現する。


「……五十階クリアだ」


 宝箱を開けると、中には大量の金貨が入っていた。数えてみると、なんと白金貨三枚分、三百金貨もあった。


「これで……」


 僕は震える手で金貨を数え直す。これまでの蓄えと合わせれば、白金貨五十四枚。目標の六十枚まで、あと少しだ。

 ルシェルが深く息をつきながら、乱れた赤髪を手で整えた。


「二年前は、こんな戦い想像もできなかったね」


 そう、二年が過ぎていた。僕たちは九歳になり、メルナも五歳になった。

 僕は身長は伸びたが同年代の男子より小柄だった。華奢な体つきは変わらず、戦闘で鍛えられてはいるものの筋肉は細く引き締まっている程度だ。茶色のボブカットは相変わらず短く整えられているが、今は戦闘の汗で額に張り付いている。

 ルシェルは自分より指1本分ほども背が高くなった。体つきにも変化が現れ始め、訓練服の胸元がわずかに膨らみ始めている。赤い髪は短めのままだが、艶やかさが増していた。

 メルナはまだ完全に幼児体型で、ぽっちゃりとした頬と小さな手足が愛らしい。


 剣身延長の習得には一年半かかったが、その甲斐はあった。大型の敵にも対応できるようになり、疑似迷宮を着実に攻略してきた。三十階でトロルと初遭遇し、四十階台でオーガの群れと戦い、そして今日、ついに五十階のサイクロプスを倒した。



 小伽藍から出ると、外でライルさんが待っていた。


「お、終わったか」


 彼は神の目で観戦していたらしい。


「五十階、クリアしました」


「見てたぜ。これが何で主神の目に映らねーのか、マジで意味が分かんねーわ」


 ライルさんは苦笑いを浮かべながら頭をかいた。


「ライルさん、それってどういう……」


「いや、気にすんな。ただの愚痴だ」


 ライルさんは話題を変えるように続けた。


「それより、もうそろそろ貯まるんだろ?白金貨」


「はい。あと六枚で、三人分の六十枚になります」


「そうか……」


 ライルさんの表情が少し曇った。


「実はな、昨日ちょっとした調査依頼を受けてきたんだが……」


 彼は声を潜めた。


「大森林の奥で、妙な動きがあってな。数年前から徐々に魔物の移動パターンが変わってきてる。もうそろそろヤバいかも知れねぇ」


「ヤバい、というと?」


「スタンピードの兆候かもしれねぇ。上にはあげてるが、お前らも孤児院を出たらちょっと間引きを――」


 その時だった。


 カーン、カーン、カーン!


 街中に鐘の音が響き渡った。

 鋭く、不吉な音色。これは――


「警鐘だ」


 ライルさんが苦虫を嚙み潰したような顔になった。

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