第11話 最弱のゴブリン
チュートリアルをクリアした翌日、僕たちはいつものように孤児院の裏庭で訓練を始めた。
ただし、今日から木の枝ではない。昨日手に入れたばかりの、本物の武器だ。
孤児院の人に見られるとどこから入手したのか問題になるので、見られないよう普段はローブの下に隠しているし、訓練も人の目につかないところに移動して行っている。
「やっぱり重さが全然違うね」
ルシェルが短剣を振りながら言う。確かに、鉄製の武器は木の枝とは比べ物にならないほど重い。
「慣れるまで素振りを続けよう。いきなり試合形式は危ないから」
僕もナイフを握りしめ、理想の型を繰り返す。自分の動きを確認しながら、重心の移動、手首の角度、すべてを調整していく。
メルナは、いつものように少し離れた場所に座って僕たちを見守っている。
「メルナ、今日は神殿に一緒に行かない?」
僕が素振りを続けながら聞くと、メルナの目が輝いた。
「いいの?」
「うん。僕たちが試練を受けている間、神の目で見ていてもらおうと思って」
「神の目?」
「そう、僕たちの戦っている姿が見れるんで応援してもらえるかな?」
3歳のメルナにとって、神の目は不思議で面白い魔法の窓みたいなものだろうから大人しくしてくれるだろう。実際、僕たちも最初はそうだった。
一時間ほど素振りを続け、新しい武器の重さと感覚に慣れてきたところで、僕たちは神殿へ向かった。
フードを深く被った僕とルシェル、そして小さなメルナ。三人で手を繋いで歩く姿は、きっと兄妹のように見えるだろう。
神殿に入ると、いつものように人々が行き交っている。試練を受ける冒険者、観戦する人々、神官たち。
その中で、ひときわ質の良い法衣を着た神官が目に留まった。
シルバーの髪を綺麗に整え、威厳のある佇まい。でも、その表情は穏やかで優しそうだ。
年齢は40歳くらいだろうか。他の神官たちが彼に対して恭しく接しているところを見ると、かなり高位の神官らしい。
その神官が僕たちに気づいて歩み寄ってきた。
「君たちは……孤児院の子供たちかな?」
どうして分かったんだろう?僕たちの服装は中古のフード付きローブで確かに質素だけど。
と、周りを見て気付いた。僕ら三人は誰も似ていない。そして小さいのに親も一緒に居ない。
なるほど確かに孤児院の子と見られる理由はあるな、と思った。
「はい。神の目を見に来ました」
僕が答えると、神官の表情が一瞬、憂うような色を帯びた。
「そうか……神の目を。勉強熱心なのは良いことだ」
神官はメルナを見て、さらに表情を曇らせる。
「この子も? ずいぶん小さいが」
「メルナです。3歳です」
メルナが小さな声で自己紹介をする。
「3歳か……」
神官は何か言いかけて、でも結局口を閉じた。代わりに優しく微笑んで、メルナの頭を撫でる。
「神の目をよく見て、たくさん学ぶといい。知識は……君たちを助けてくれるはずだ」
最後の言葉に、何か特別な意味が込められているような気がした。
「ありがとうございます」
僕たちは神官に礼を言って、小伽藍へ向かった。神官はしばらく僕たちの後ろ姿を見つめていたようだったが、振り返る勇気はなかった。
『あの人、何か孤児院に思うことがありそうだね』
そう思ったが、今はそれを考えている場合じゃない。
「メルナ、ここで待っててね」
小伽藍の入り口で、メルナに神の目が見える位置を教える。
「ミオルとルシェル、見てる!」
「うん。でも、怖くなったら目を閉じてもいいからね」
僕たちは神像の前に立った。今日も二人で一緒に祈る。
「オルデアル神よ、我らに試練を」
転移の光に包まれ、気がつけば石造りの小部屋にいた。
テーブルの上の羊皮紙を確認する。
『ゴブリン六体を倒せ』
「ゴブリン……」
ルシェルが緊張した声を出す。
「スライムとは違って、人型の魔物だね」
「うん……」
扉を開けて通路を進む。今回も薄く光る石の廊下だ。
最初の部屋に入ると、すぐに気配を感じた。
二体のゴブリンが、こちらに気づいて唸り声を上げる。
緑色の肌、尖った耳、僕たちと同じくらいの身長。手には何も持っていない。
「行くよ、ルシェル」
「うん!」
ゴブリンが突進してくる。動きは単純だ。ただ真っ直ぐに、爪を振りかざして突っ込んでくるだけ。
僕はステップを使って横に回り込み、すれ違いざまにナイフをゴブリンの首筋に一閃する。
ゴブリンはスライムに比べて急所が分かりやすい。ナイフの切れ味があれば一撃で倒せるはずだ。
緑色の血が噴き出し、ゴブリンが倒れる。
隣では、ルシェルが短剣を振るっていた。
袈裟懸けに斬りつける。ゴブリンの胸から斜めに深い傷が走り、そのまま倒れ込んだ。
「次が来る」
奥からまた二体のゴブリンが現れる。今度も素手だ。
「ファイアーボール!」
ルシェルが火球を放つ。ゴブリンの一体が炎に包まれ、苦しそうに転げ回る。
もう一体には僕が風纏で一気に接近し、その速度のままにナイフを構えて心臓を付近に体当たりした。
信じられないようなものを見る目で自分の体から生えたナイフを眺めるゴブリンの瞳から生気が失われる。
横目で見ると、転げ回っていたゴブリンも動かなくなっていた。
「あと二体」
最後の部屋に入ると、残りの二体が待ち構えていた。
やはり武器は持っていない。ただ、先程と同様に突っ込んでくるだけだ。
「一体ずつ確実に」
僕が前に出て、一体を引き付ける。
ゴブリンの爪をできるだけ小さい動きで避けながら、脇腹、腕、最後に首を狙う。
徐々に動きの鈍ったゴブリンは腕でガードもできずに首を撫で切られて倒れた。
ルシェルも短剣で応戦していたが、あちらはフレイムエンチャントで押し切ったみたいだ。
六体全てを倒すと、部屋の奥に木箱と転移陣が現れた。
箱を開けると、頑丈そうな革のブーツが二足入っていた。
「ブーツか……」
特に変哲もない、ただ丈夫そうなだけの革のブーツ。でも、紐で結ぶサンダルを履いていた今の僕たちには十分ありがたい。
転移陣で神殿に戻ると、ルシェルがふらついた。
「大丈夫?」
「うん……ちょっと……気持ち悪くて」
ルシェルの顔が青ざめている。
「ちょっと……血と…臭いが…」
そうか。ゴブリンは人に似た姿をしている。それを斬るということは、精神的な負担が大きいんだ。
あれ?でも、僕は……
『何も感じない』
『血が噴き出しても、肉が焦げる臭いを嗅いでも、何も感じなかった』
戦っている最中は特に感情と理性を分離して、全てを客観的に見る。
だから、ゴブリンを倒すことも、ただの作業として処理できてしまう。
これは……良いことなのかな?
自分でも分からない。戦闘では有利だ。迷いなく急所を狙える。でも、何か大切なものを失っているような気もする。
「ミオル! ルシェル!」
メルナが駆け寄ってきた。
「すごかった! ゴブリンやっつけてた!」
無邪気に喜ぶメルナを見て、ルシェルも少し元気を取り戻したようだ。
「ありがとう、メルナ。ちゃんと見ててくれたんだね」
三人で小伽藍を出て歩いていると、先ほどの高位の神官をちらりと見かけた。
信用できる大人なんて、この世界にいるのだろうか。今はまだ分からない。
「ちょっと調べてみるか」
ただ、あの神官のことは覚えておこう。
次に会った時、もう少し話をしてみようと思った。
もしかしたら、僕たちの味方になってくれる人かもしれない。
「帰ろうか」
僕たちは早速新しいブーツを履いて、孤児院への道を歩き始めた。
孤児院に着く前には前のサンダルに履き替えないといけないけど、ブーツには慣れる必要がある。
ルシェルはまだ少し顔色が悪いが、しっかりと歩いている。
メルナは僕たちの間で、嬉しそうに今日の冒険の話をしている。
今日の調子で続けていければ良いんだけど。
ただ、僕の中で育っていく「無感情」が、少しだけ怖い。
これは客観視の代償なのだろうか。
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