第3話 孤児院の真実
祝福の儀から一年が経った。
僕は四歳になった。ルシェルも同じだ。
孤児院の生活にも慣れて、毎日が同じように過ぎていく。朝起きて、ご飯を食べて、勉強して、遊んで、また寝る。
でも、僕たちには他の子と違うところがあった。
「ミオル、この字なんて読むの?」
ルシェルが本を指差す。最近、僕たちは文字を教えてもらえるようになった。容姿がいい子だけの特別な授業だ。
「『契約』だよ」
「けいやく……」
ルシェルは真剣な顔で文字をなぞる。彼女は覚えが早い。もう、ほとんどの文字を読めるようになっていた。
『もっと知らないといけない』
『まだ僕は何も知らない。もっともっと知らないと』
その声に従って、僕は本を読み続けた。孤児院にある本は、もうほとんど読んでしまった。歴史の本、算術の本、物語の本。全部読んだ。
世話係のお姉さんたちは驚いていた。
「四歳でこんなに読めるなんて……」
でも、それは客観視のおかげだ。頭の中のもう一人の僕が、冷静に文章を分析してくれる。感情に流されて投げ出そうとしても、必要なものだと思い出させてくれる。
ある日、僕は年長組の部屋を訪ねた。
年長組は十歳から十二歳の子たちだ。もうすぐ孤児院を出ていく子たち。
「あの……質問があるんです」
年長組のお兄さんが振り返った。名前はカイル。十二歳で、来月には孤児院を出る予定だ。
「なんだ、ミオルか。どうした?」
「この孤児院で大きくなったら、どうなるんですか?」
カイルの顔が曇った。他の年長組の子たちも、困ったような顔をする。
「……まだ四歳だろ。そんなこと考えなくていい」
「でも知りたいです」
『知らないといけない』
頭の中の声が強く言う。
「今は幸せに暮らせてるんだから、それでいいじゃないか」
「でも……」
僕はカイルをじっと見つめた。
カイルはため息をついた。そして、他の年長組と目を合わせる。
「……最近のお前を見てると、もう子供じゃないような気がするんだよな」
「え?」
「四歳とは思えないくらい、しっかりしてる。たまに俺たちよりも頭が良いんじゃないかって思うこともある。もしかしたら、お前なら……」
カイルは迷っているようだった。でも、やがて決心したように口を開いた。
「いいだろう。教えてやる。この孤児院の真実を」
僕は息を飲んだ。
「まず、俺たちには借金がある」
「借金?」
「そうだ。孤児院で暮らすための費用。食事代、服代、住む場所代。全部借金として計算されてる」
『なるほど。タダじゃなかったんだ』
「十三歳になったら成人だ。その時に借金を請求される」
「払えなかったら?」
カイルは苦笑いした。
「払えるわけないだろ。子供が大金を用意できるか?」
「じゃあ……」
「借金奴隷になる」
その言葉に、僕は凍りついた。
奴隷。
本で読んだことがある。人が物として扱われる制度。
「容姿がいい子は、もっと早く売られる」
カイルが続けた。
「十歳くらいで貴族や商人、高級娼館に買われていく。そこで教育を受けて、十三歳になったら……」
「なったら?」
「……ほとんど性奴隷だ」
僕の頭が真っ白になった。
色んな物語の中で、性奴隷はバッドエンドの代名詞だ。
どんなに酷いことがされるのかは分からないけど、絶対にろくなことにならない予感がある。
「容姿が悪い子は十三歳まで待って、そのまま借金奴隷。軍隊の最前線、鉱山、場末の娼館。どこも地獄だ」
『僕とルシェルは、容姿がいい方だ。つまり、十歳で……』
あと六年。
たった六年しかない。
「逃げないんですか?」
僕は必死に聞いた。
カイルは首を横に振った。
「借金は正規のものだ。逃げたら犯罪者。街にも入れない。何もできない子供は野盗として討伐されるのがオチだ」
「でも……」
「それに、借金額は適正なんだ。過大請求じゃない。利子もない。院長は『真っ当な商売』をしてるんだとさ」
カイルは吐き捨てるように言った。真っ当な商売。
子供を奴隷にすることが、真っ当?
「容姿がいい子で白金貨二十枚。悪い子で八枚。それを払えば自由になれる」
白金貨二十枚。
僕は本で読んだ。白金貨一枚は、小さな家の年間家賃に相当する金額に近い。
二十枚なんて、子供が稼げるわけがない。
「無理だ……」
僕は膝から力が抜けた。
でも、その時——
小さな手が、僕の袖を引いた。ルシェルだった。
いつの間にか後ろにいたらしい。不安そうな顔で僕を見上げている。
「ミオル……だいじょうぶ?」
その瞳を見た瞬間、僕の中で何かが燃え上がった。
そうだ。
僕は決めたんだ。ルシェルを助けるって。見返してやるって。
立ち上がった。
「ありがとうございました、カイルさん」
「おい、大丈夫か?」
「大丈夫です」
僕は振り返ってルシェルの手を握った。
「行こう、ルシェル」
「うん……」
部屋を出てから、ルシェルが小さく聞いた。
「さっきの話、こわかった」
「……うん」
「ミオル、どうするの?」
僕は立ち止まって、ルシェルの目を真っ直ぐ見た。
「何とかする」
「え?」
「絶対に何とかする。方法を見つける」
ルシェルは不安そうな顔をした。でも、すぐに小さく頷いた。
「ミオルといっしょなら、だいじょうぶ」
その言葉が、僕の決意をさらに固くした。
六年。いや、安全を考えるなら五年。
その間に、借金を返すか、別の方法を見つけるか。
どちらにしても、時間はない。
僕は空を見上げた。
夕焼けが、ルシェルの髪と同じ色に染まっていた。
美しくて、でも、どこか悲しい色だった。
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