決裂

 梅雨が終わりに差し掛かったある夜。


 圭がベットの上でスマホを見ると、ネット上で圭の顔が拡散されていた。

 圭の中学校の卒業写真。口角の下がったその写真が、ネットに溢れかえっていた。


 「こいつ、クラスメイトをいじめてる。みなさん、彼の最低ないじめを許さないでほしい」


 その下にいじめの詳細が投稿されていた。

 心臓の鼓動が早くなる。

 体が、じわぁっと熱くなる。

 圭は思わず立ち上がって、ゆっくりと画面をスクロールする。

 


「教科書が捨てられる」

「ズボンが切られる」

「ラインで誹謗中傷を言われる」


 それらは、圭が受けてきた嫌がらせだった。

 投稿者は鬼沢たちだと確信した。

 圭は自分の部屋をぐるぐると歩きながら、さらにスクロールをする。


 コメント欄には、投稿者を擁護するようなコメントと、圭を批判するコメントに溢れていた。


 「こいつ、人いじめそうな顔してるもんなwまじ、普通に死んでほしい」


 「投稿主さん、本当に勇気を持って発信してくれました。いじめられている人を守って、コイツをどうにかしましょう」


 何にも知らない人たちが無責任に、圭の心にナイフを突き刺す。

 圭はこのいじめの被害者なのに、皆が寄って集って、圭を批判する。そんなコメントは無視すればいいのに、どうしてか、圭の心は傷つく。


 「圭、大丈夫?圭、クラスで嫌なことされているよね?」


 しばらくして、葵からラインで心配の文面が送られてきた。

 葵は自分が、いじめをしている側ではなく、されている側なのだということを理解してくれていることが伝わる文面だった。

 ただ、圭は葵に自分がいじめられていると、知られたことがとても辛かった。

 一番の理解者に本当の自分を理解されて、辛かった。

 翌朝、重い足を引きずりながら、学校に行くと、そこはもういつもの学校ではなかった。

 廊下を歩くたびに、噂され、嫌な視線を感じる。

 一歩足を進めるたびに、多くの言葉が耳に入ってきた。


 誰もが、圭を避け、泥のような視線を送る。

 全員、圭が加害者であると思いこんでいる。あぁ、なんでこの人たちは気が付かないんだろう。それとも、気づいていて、こうしているのだろうか。


 耐えられなくなって、圭はトイレに逃げ込んだ。

 思い切り蓋を開けて、嘔吐した。

 泣きながら嘔吐した。


 ーなんで、僕が。


 とても長い学校だった。今までで、一番苦しい学校だった。吐き気とめまいに耐えながら、学校を終え、帰路についた。

 いつもは葵を待つが、今日はその気すら起きなかった。

 葵の姿でさえ、見たくはなかった。

 しかも、葵が圭と一緒にいるところを見られたら、葵も何か良くないことを言われるだろう。

 葵が自分のせいで傷つくのは、どんな陰湿ないじめよりも、どんな過激なコメントよりも、恐ろしいことだった。

 もう、葵とは関わらないほうが良い、そんなことを思っていた。




 曇天の雲に押しつぶされるように、下を向きながら歩く。

 それでも周りからは圭を軽蔑する声が聞こえる。


 「ねぇ、あの人じゃない?ネットに拡散されていた写真の人」

 「ああー、いじめのやつ?やっぱり、あれはうちの学校だったんだ!うわ、完全に顔が一緒だわ」

 「あんなヘコむなら、もとからいじめなんてするんじゃねーよって感じだよねー、きもー」


 ただ、辛かった。

 どうしようもない無気力感。

 やり場のない悲しみ。

 

 足を止めて、僕じゃない!と言ったところで、誰も信じてくれないだろう。

 今は黙々と下を向いて歩くしかないのだ。


 「圭っ!」


 その声に、立ち止まる。


 葵だった。


 圭は泣きそうな顔で振り返る。

 葵は長い距離を走ってきたらしく、膝に手をついて、ぜいぜいと息を上げている。


 「圭、大丈夫?」


 そう顔を上げて、葵が立ち止まる。葵は変な格好をしていた。


 上は制服だが、下は制服のスカートではなく、青の体操着のズボンを履いていた。


 葵と一緒にいるところを、見られたらまずいことはわかっている。

 それでも、葵の顔を見て、少しだけ安心した。

 そして、彼女のおかしな服装について、質問してしまった。


 「ア、アオイ、その格好どうしたの」

 ひどく小さい声が出る。今日、声を発したのはこれが初めてだ。

 「あー」

 葵は自分自身の格好に目をやる。


 「ちょっと、急いでたからね、いや、そんなことよりも!」

 葵は声を張り上げる。


 葵は走ってここまで来たはずなのに、足音がほとんど聞こえなかったことに、圭は急に気づく。

 圭はゆっくりと足元に視線を落とし、息を呑んだ。



 葵は靴を履いていなかった。



 靴下のまま、道路脇に立っている。すぐ横では車が続々と通り過ぎる。


 「アオイ、靴は?」


 葵の言葉を遮って、圭は尋ねる。今日2度目に発した声は、自分でも驚くほど大きかった。

 葵の顔はひきつっていた。


 「いや、急いでたからさ!」

 「この距離を靴無しで、走ってきたの?」

 学校の正門からここまで、500メートルはあるだろう。そんな距離を、葵が靴無しで?急いでいたとはいえ、さすがに、おかしい。

 「え、まぁ、うん」

 葵は当然だと言わんばかりの表情を浮かべる。


 今まで働いていなかった頭が、ようやく動き始め、圭は一つの真実に辿り着く。

 圭は最悪の中の最悪の事態になっていることに気づく。



ーそれだけは、避けなきゃだめだったのに。



 「アオイ、もう僕と関わらないほうがいいよ。靴もスカートもヤツらにやられたんだよね?」


 葵はすぐさま、かぶりを振った。

 葵の表情には明らかに動揺が走っていた。その表情を見て、圭は確信した。

 葵は鬼沢たちに、スカートを切られ、靴を隠されたのだ。

 圭は心臓がねじれるような激しい痛みに襲われた。葵がヤツらに何かをされること、それは圭が最も危惧していたことだった。

 

 「ち、違うよ!圭、大丈夫だから!私は、圭が、。」


 そう言って、葵が圭の肩に触れる。

 圭は葵の手を払いのける。


 「だから、関わるなって言ってるんだよ!もうどっか行ってよ」


 圭から発せられたとは思えないほどの、冷徹で大きい声が出た。

 圭は自分で自分の発言に驚くが、それを表情に見せることはしない。唇を強く噛みしめ、顔をそむけた。


 「い、嫌だよ!圭、ごめんね、ほんとにごめんね」


 葵は泣いていた。葵の大きい目から、雫がこぼれていた。


 「どっか行けよ。お前のことなんて嫌いなんだよ!」


 そこは、完全に2人だけの空間になっていた。

 周りの騒がしい声も、道路を走っている車の音も何もかも気にならなかった。

 圭は必死の思いで、声を出す。葵に今すぐ離れてほしいその一心で。

 圭の目にも涙が溜まっていった。葵を見つめる視界がぼやける。


 「圭、私は圭の役に立ちたいの」

 

 葵はしぶとく圭に寄り添ってくる。


 もう、これしかない、とそう思った。


 熱くなって、冷静ではない圭の頭は、その考えに支配された。それを止める理性はもう、どこかに行ってしまった。

 圭は息を吐いて、吸う。そして、一言。


 「「葵は、もう二度と僕と関わらない」」

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