その2

 補足です。トリシャンとは横川璃空部長の造語で、マジックをやる人をマジシャンというのに倣って、トリックを使う人のことをトリシャンと呼んでいます。ぜーったいに定着しませんから使うのはよした方がいいですよと折を見て注意しているんですが、聞いてくれやしない。

 こんな調子で3~5分に及ぶ演説が終了。ようやく茶谷刑事にお鉢が回って、事件の説明が始まる。

「そちらのお眼鏡に適うかどうかは知りませんが、少なくともハイテクキーの密室じゃないし、針と糸が使われたとも思えない状況ですよ」

 所々に、はあぁ……と大きなため息を挟んでくる茶谷刑事。

「えー、事件はある家電メーカーの社長Aの自宅で起きた。プライバシー云々の関係で、とりあえず現時点では名前を伏せますよと。人物はイニシャルに置き換えます」

「いつものことなので承知しております。進めてください」

「……」

 茶谷刑事は腹を立てる元気もないようだ。無駄なことにエネルギーを使わず、さっさと役目を済ませようというつもりらしい。

「事件当日、そこの一人息子Bが製菓会社の社長令嬢Xを婚約者として迎えるとかで、祝いのパーティが開かれていた。そんなめでたい席なのに、亡くなったのはXで、最有力容疑者はBの姉Cと目されている。CはXと折り合いが悪く、婚約にも反対。パーティには冒頭に顔を出しただけで、すぐに自室に引っ込んでしまったとのこと。

 事件の流れを大まかに追うと、パーティ開始から約二時間後の夜九時過ぎ、余興として、会場に氷のダビデ像――ミケランジェロのダビデ像を縮小コピーした氷像が運び込まれた。高さ二メートルのなかなか凝った代物で、簡単には溶けぬよう、室温を冷房でわざわざ下げた。余興というのはその像の左手にはワイングラスが握らされており」

「待ってください。縮小コピーと言われたはずですが、ミケランジェロのダビデ像は、左手にグラスを持っていましたかしら?」

「……すみません、縮小コピーは方便で、サイズを小さくした上に、左手の岩石をワイングラスに換えたということです」

「理解しました。どうぞ続けてください」

「あー、ワイングラスは氷ではなく本物のガラスで、中にはその夜、Xが寝泊まりする部屋の鍵が入れられ、さらに水を満たして凍らせていたと。Bに対して、今晩Xとともに過ごしたければ、この像のデザインを崩し、溶けるのをじっと待つしかないぞという一種のいたずら、からかいですね。何が面白いんだか――んん、失礼。それで、Bは自分は紳士だから正式に結婚しない内は指一本触れませんよとか何とか宣言したらしい。実際、少なくともその晩は指一本触れないつもりだったようですが、夜遅くになって、社長の屋敷に悲鳴が轟いた。何事かと悲鳴の源であるXの部屋に大勢が駆け付けたが、鍵が掛かって入れない。ノックしても応答なし。そのまま解散するわけにもいかず、Bと屋敷の使用人P、Xの世話係として同行していたメイドQの三人がダビデ像へと、鍵を取りに行った。このとき、ダビデ像の左手のワイングラスはまだかちこちで、中には鍵があった。使用人Pが霜の付着したワイングラスを持ち、三人はXの部屋の前に戻る。鍵はすぐには取り出せず、大勢がいる前でまずグラスを割り、さらに氷を何度か床にたたき付けて、やっと取れた。そうして鍵で解錠し、ドアを開けると、中でXが硬質ガラスの花瓶で殴られ、死んでいたという経緯です。凶器の花瓶は元から部屋にあった物。現場となった部屋の窓は三つあり、いずれも二重ロック式のクレセント錠。説明不要でしょうが、小さなポッチを押しながらでないと回らない三日月型の錠ですね。全て内側よりロックされ、外からの開錠は不可能。ドアの方は合鍵なし。氷に埋もれていた鍵を使う以外、犯行現場に入れないし、施錠することもできなかったはず。

 事件のあらましはこれで終わりだが、付け加えるべきことが一つ。Xは亡くなってから間もない状態で、問題のグラスの氷を溶かして鍵を取り出し、犯行後に再び凍らせる時間はなかっただろうというのが検証結果として出ている」

「分かりました。――茶谷刑事はあとどのくらいおられます?」

 部長の問い掛けに、刑事は片目だけ見開き、腕時計を一瞥した。

「そうだな、あと一時間ですかね。そのくらいは付き合ってこいと言われたもので」

 無理矢理付き合ってやっているんだぞと匂わせる刑事だが、部長には通じない。多分、部長は気付いているのだろうけど、意に介さないのだ。

「それはよかった」

 花の咲いたような笑顔をなす横川部長。こうしているのを見るだけなら、かわいらしくすらある高校生美女なんだけどなあ。

「二度手間にならぬよう、急いで検討してみますわ。ですから、一時間はお待ちになってくださいませ」

「わっかりました。どこで時間を潰せばいいですかね」

「我が学園のカフェは美味しい飲み物が揃っています」

 にっこりと微笑み、横川部長は僕に合図を送った。僕は予め用意してあった学内の地図を刑事に見せ、カフェまでのルートを覚えてもらった。


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