コカトリス・キッチン2
奈良まさや
第1話
第二十四章 三年目の試練
甲州タワーダンジョン19階の「ドラゴン・キッチン」は、開店から三年が経ち、確実に軌道に乗っていた。
「パパ、おかえり〜」
狩りから戻った俺を迎えたのは、三歳になった息子の竜太だった。美咲と俺の血を引く彼は、人間の姿をしているが、時折瞳が金色に光り、小さな牙が覗く。魔族の血が色濃く出ているようだった。
「竜太、パパにちゃんと挨拶しなさい」
厨房から美咲の声が聞こえる。彼女は大きなお腹を抱えながら、今日も料理に専念していた。二人目の子が生まれるまで、あと二ヶ月ほどだ。
「ヤンさん、お疲れ様です」
ホール担当の楊(ヤン)が俺に頭を下げた。彼は中国系の人間で、魔族化していない俺たちの貴重な従業員だった。接客が上手く、お客さんからの評判も良い。背も高く、顎の尖ったイケメンだ。
「今日の売上はどうでした?」
「うーん...」ヤンは困った表情を見せた。「先週と比べて、また少し下がってますね」
俺の心に暗雲が立ち込めた。売上の減少は、ここ一ヶ月続いている傾向だった。
第二十五章 21階の脅威
問題の原因は明らかだった。一ヶ月前、21階に突如として現れた「ドラゴン寿司」だ。
俺たちが築き上げてきたダンジョン料理界の常識を覆す、革新的な店だった。生のドラゴンの刺身を握り寿司にするという、誰も考えつかなかった発想。しかも、21階という俺たちより危険な階層で営業している分、「より本格的」という印象を与えている。
「連日の行列で、エレベーターまで設置したらしいぞ」
ヤンが持ってきた情報に、俺は舌打ちした。21階の危険性を考慮し、VIP客のために勇者のボディガードサービスまで開始したという。まさに至れり尽くせりだ。
「美咲、大丈夫か?」
厨房で黙々と料理を続ける美咲に声をかけた。彼女の横顔には、これまで見たことのない不安の影が差していた。
「私...負けてるのかな」
美咲の声は小さく、震えていた。
「そんなことないだろう。君の料理は最高だ」
「でも、お客さんは21階に流れてる。私の腕が...劣ってるってことよね」
美咲の瞳に涙が浮かんだ。妊娠中のホルモンバランスの影響もあるだろうが、彼女のプライドが深く傷ついているのは明らかだった。
第二十六章 それぞれの想い
その夜、竜太を寝かしつけた後、俺と美咲は久しぶりに膝を突き合わせて話し合った。
「竜太に、個人指導の勇者レッスンを受けさせたいんだ」
「お金のかかることね...」
「ああ。でも、この子の将来を考えると、早いうちから専門的な訓練を受けさせておきたい。魔族の血が濃いから、普通の子供より成長が早い。今のうちに基礎を固めておけば...」
美咲は頷いた。彼女も竜太の特殊な能力に気づいていた。
「私も、店を拡大したいの。大型の冷蔵庫を導入して、より多くの食材を保存できるようにして、メニューの幅を広げたい」
「資金が必要だな」
「そう。でも、今の売上だと...」
俺たちの前に立ちはだかる現実は厳しかった。赤字ではないものの、売上の減少は確実に俺たちの計画を阻んでいた。
「21階のドラゴン寿司...」
俺は呟いた。心の中で、ある考えが芽生え始めていた。
「偵察に行こうかな」
美咲は言った。
「偵察?」
「敵を知らずして勝負はできないでしょ?どんな料理を出してるのか、どんな客層なのか、しっかり調べてから対策を考えましょう」
美咲の瞳に、久しぶりに闘志の炎が宿った。
第二十七章 敵地偵察
翌日、美咲は一人で21階へ向かった。大きなお腹を抱えながらの階段昇降は大変だったが、半魔族となった彼女の体力なら問題ない。
「いらっしゃいませ〜」
21階のドア前には、確かに長い行列ができていた。勇者らしき男女、スーツ姿のビジネスマン、さらには貴族風の服装をした人々まで。まさに多種多様な客層だった。
「すみません、予約は取れますか?」
美咲は列の最後尾に並びながら、店員に尋ねた。
「申し訳ございません。現在、二週間先まで埋まっております」
「二週間も...」
美咲は驚いた。俺たちの店では考えられない待ち時間だった。
「カウンター1名様ならなんとか」
店員が美咲の顔を確認して言った。
やっと店内に入れたのは、三時間後のことだった。
「これが...ドラゴン寿司」
カウンター席に座った美咲の目の前で、寿司職人が鮮やかな手つきでドラゴンの刺身を握っていく。その技術は確かに高く、見ているだけで芸術作品を鑑賞しているような気分になった。
「こちら、炎龍の中トロです」
運ばれてきた寿司を一口食べた瞬間、美咲の表情が変わった。
(美味しい...)
否定したかったが、素直に美味しいと感じてしまった。ドラゴンの生肉の甘みと、寿司飯の酸味が絶妙にマッチしている。これまで加熱調理しか考えてこなかった自分の発想の狭さを、痛感させられた。
第二十八章 料理人の矜持
「お客様、初めていらっしゃいましたね」
カウンターの向こうから、寿司職人が話しかけてきた。40代くらいの男性で、人間のようだが、どこか只者ではない雰囲気を醸していた。
「はい。19階のドラゴン・キッチンから来ました」
美咲は正直に答えた。
「ああ、あの有名店の。奥様でいらっしゃいますか?」
「はい」
「素晴らしいお店ですね。私もお邪魔させていただいたことがあります。特にドラゴンステーキは絶品でした」
職人の言葉は丁寧だったが、美咲はそこに微かな挑戦の意味を感じ取った。
「ありがとうございます。こちらのお寿司も、本当に美味しいです」
「光栄です。実は、生のドラゴン肉の魅力を最大限に引き出すには、握り寿司が最適だと考えているんです。加熱してしまうと、せっかくの繊細な味わいが失われてしまいますから」
その言葉は、明らかに美咲の調理法への批判だった。
美咲の心の中で、料理人としての矜持が燃え上がった。
「確かに、生の美味しさは格別ですね。でも、加熱調理には加熱調理の良さがあります。より多くの人に安全に食べていただけますし、調理法によって同じ食材でも全く違う味わいを楽しめる」
「なるほど。しかし、本当にドラゴン料理を極めるなら、やはり生が一番だと思うのですが」
職人の挑発的な言葉に、美咲の瞳が金色に光った。
「それは...偏見ではないでしょうか」
カウンター越しに、二人の料理人の間に緊張が走った。
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