10章:届かない声

その日の午後、カイはオフィスで報告書の作成に追われていた。腕の端末が短く振動する。ミサキからのメッセージだった。


【今日のディナー、楽しみにしてるね!】


テキストと共に、彼女の笑顔の自撮り写真が添えられていた。カイの口元が、自分でも気づかないうちに緩んだ。


その、数分後のことだった。


フロア全体に、けたたましい警報音が鳴り響いた。


【緊急警報:第7セクターにて大規模インフラ事故発生。送電網崩落、広域通信障害の可能性】


第7セクター。その単語を認識した瞬間、カイの心臓が氷の塊に鷲掴みにされたかのように、きしんだ。ミサキがいる地区だった。


彼の顔から血の気が引き、背筋を冷たい汗が伝う。彼は我を忘れて、ミサキに何度も電話をかけた。しかし、返ってくるのは「接続できません」という、無機質な音声ガイダンスだけだった。


「ミサキ、無事か!?返事をくれ!」


彼は震える指で、何度もメッセージを送る。しかし、既読を示すマークがつくことはなかった。


いてもたってもいられず、彼は椅子を蹴立てて立ち上がった。心配そうに声をかけてきた同僚を、彼は無言で振り払った。今の彼には、社会的な体裁も、仕事の責任も、何の意味もなかった。ただ、ミサキの元へ行かなければ。彼は、オフィスを飛び出そうとした。


その瞬間、彼の腕の端末が、重く、低い振動を一度だけ発した。


それはニュース速報ではなかった。ミサキのIDと直接リンクされ、システムが自動生成した、彼一人のためだけに送られた「近親者向けプロトコルアラート」だった。


ディスプレイに表示されたのは、公社からの赤枠の公式通知だった。


【重要:あなたのパートナー、ミサキ氏の生命活動停止を確認しました。関連資産の凍結手続きを開始します。詳細はリンク先をご確認ください】

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