第八話


〈詠唱をし世界を救う、それがお前の使命だ〉

 嫌だ、違う。

〈滅びゆく未来を変えろ〉

 そんなことできるわけがない。

〈お前は、救世主なんだ〉

 俺は、救世主なんかじゃない――!


 …そして目が覚めた。覚めた?あぁ、夢…だったのか。とんでもない悪夢だった。お父さんがずっと俺に話しかけていた…記憶の断片のような悪夢。

「阿礼さん、うなされていましたよ?」

「大丈夫?ちゃんと寝れたの?」

 万侶とイノが俺の顔を覗き込む。彼らは相当心配していたらしい。イノがお粥らしきものを持ってきた。

「…だからさ――」

 俺は昨日万侶が〈書いて〉くれた布団から出て立ち上がった。

「俺を子供扱いすんな、ってば」


 …そうこうして、俺達は次の詞魂の地・〈風渡ノ峠〉へ着いた。今回は位置が近かったのもあり、半日で着いたが、万侶が負傷しているため彼の力があまり使えず全て徒歩となってしまった。だが何にも襲われず無事に着いたので安心だよ。


 その風渡ノ峠とかいう場所は、高い峠に立つ石塔で、風が吹き抜けていて少し寒い。これじゃ風邪引きそうだよ…。俺達は塔を登り、詞魂を納めるであろう場所を探すことにした…が、どう考えても何かおかしい。

「…またやられてますかねぇ」万侶がぽつりと呟いた。

「忘却衆…目的はなんなんだろう…?」それに対しイノが言った。彼女は本当に頭の回転が早い。途中参加だというのに同じ知識じゃないか。

「…まぁ何がともあれ、あれはやってはいけないことです。僕達で止めるしかありませんよ――」

 二人が話している間に、俺は少し離れたところに来た。

「二人は才能があって役に立つのに…俺は一体何ができるんだろうな」

 俺は万侶からもらったあの筆を取り出して呟いた。詞魂を詠唱するしかできない俺、一体なんだよ…。


「阿礼さん」突然、頭上で声がした。少女の声だ。

「イノ――」そう言いかけて、やめた。顔を上げるとそこにいたのは、灰色の髪の少女だったからだ。あの墓場で会った、謎の少女。

「ふふっ、びっくりした?」彼女はその赤い目を俺にむけた。取り憑かれそうな赤だった。「ずっと待ってたんだよ、あなたがくるのを」

「お前…何者なんだ?」俺はすかさず質問をした。前回答えられなかった質問。今回こそ聞き出す。

「…透花とうか。年は十五さい」

 透花…彼女は、鞄から一冊の書物のようなものを取り出した。

 しかし、彼女の手にあるその書物は、みるみると破れてしまった。彼女…一体何者なんだ…?

「わたし、忘却衆なの」

「は…」

 彼女の唐突な言葉に、俺は一瞬耳を疑った。

「そう。そんなにしんじられないの」彼女は少し笑った。「『記憶は枷、忘却こそ救い』――これが忘却衆の座右の銘」

 彼女は俺に手を伸ばした。そうして、俺の肩を軽く触った。

「わたし、触ったものの記憶を一時的に消せるの」

「馬鹿言え、そんなわけ――」そう言おうとしたが、俺がなぜ言おうとしたのか分からなくなった。なぜここにいるのか。自分の名前すら――

「ごめんね、阿礼さん。あなたには…少しだけ、しずかにしていてほしいの」

 そうして俺の視界は暗くなった。


「──さん!阿礼さん──!」

 誰かの声がする──聞いたことがある声…。

「あなたにもしずかにしてもらわないと」

 少女の声…そして、誰かの倒れる音。

 俺は目を開けた。

「あれれ、起きちゃった」

 目の前には灰色の髪の少女がいた。

「お前は──」俺は何かを言おうとしたが、つっかえているみたいに思い出せない。

「透花」彼女は静かに言った。「もう思い出す頃なんじゃない?」

 俺は唾を飲み込んだ。

 透花?思い出す?なんだそれ――そう思った瞬間、頭が割れそうなくらい痛くなった。

「うっ──」

「やっぱり。まぁいいや」彼女は倒れている人を指差して言った。「この人たちが目覚めないと、あなたは詞魂を納められないでしょう?」

 ──その人たちは、太安万侶と草壁祈理…俺は詞継で、詞魂を納めるために旅をしている…全て思い出した。

「詞魂を──納めないと」俺は立ち上がる。まだ少しふらふらしているが、きっと大丈夫だ。

 俺は風渡ノ峠の石塔のてっぺんまで登る。…そこには、詞魂を置くための台座があった。それは宙に浮かんでいた。

「ひとりでするなんて」透花はずっと着いてきていたようだ。「詞継の力だけじゃあ、またわたしたちに〈破られ〉ちゃうよ」

 ──彼女のいう通り、俺が詠唱したところで麻呂がいなければ書物にはならない…。

「だけど」俺は詠唱しかできないただの人間だ。でも──「やってみるよ」

 一瞬、透花が驚いた気がした。けれどすぐに微笑んだ。

「やってみたらいいじゃない。どうせわたしたちに〈破られて〉おわりだけどね」

 俺は彼女の声を無視して台座に手を伸ばす。元々あった詞魂はびりびりと破られていたような気がした。もちろん代々の詞魂は書がないわけだから、確証はないが。

 俺は深呼吸をした。精神をいつもよりも強く込めた。今は麻呂もイノもいない。でも俺がやってみせるよ。…詠唱を、始めよう。

 

『 里は火を灯し 田には稲穂が波を立て

 子らは歌い 老は祈る

 人は集い 舎を築き 村をつなぎ

 やがて道は道と交わり 都となる

 声と声は和を生み 和は国を育む

 その和こそ 大和の名にこめられし魂なり

 人の世の詞魂よ、今ここに甦れ――! 』


 詠唱を終えた。俺の詠唱はただの言葉でしかなかった――透花が微笑みながら近づいてきた。

「むだだよ」彼女は宙に手を伸ばした。そこにあったのは書ではない…ただの声だった。「あなたがひとりで詠唱したところで」

 頼むから、詠唱が意味のあったことにしてくれ…!

 そうして彼女が詞魂に触れる直前――

「…え…?」

 詞魂の周りに、薄橙色の結界のようなものが貼られた。

「なんだこれ…」それは詞魂から出ているようだった。

「…さわれ、ない…」透花は何度手を伸ばしても、その結界から追い出されるようだった。そして諦めたように言った。「この詞魂を消せそうにないね。でも――」

 彼女は結界のついた詞魂から離れ、俺の方を見た。そして近づいてくる――

 しかし、俺の目の前にも結界が張られた。これは…詞魂の力?

「…へぇ、そう」透花はつまらなさそうに後ろを見た。「今日はあきらめることにしよう」

 そして、彼女は何かの玉を投げ――

「おい、待てよ…!」

 俺の静止も聞かず、煙に包まれてどこかへ消えてしまった…。

「…なんなんだよ…」

 彼女が消えた瞬間、護られていた結界が消えた。第六章の詞魂の力だったのだろうか――

 そうして、俺は仲間が目覚めるのを待っていた。

 


 

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