第肆章 忘却衆ノ陰
第七話
――
「私も安万侶さんみたいな筆録司が欲しいな〜」
「僕もこのはしゃぎ回る我儘な子供みたいな人よりも祈理さんの方がよっぽど良いです」
「はぁ?俺に興味があったんじゃないのかよ!この裏切り者!」
「ははは、冗談ですよ」
…イノが入ったことによって、またまた騒がしくなってしまった…しかも三人になったことで食料の消化が早まるだろう…あぁあ〜、これ、方向音痴な万侶のせいで大変なことになりそう…。
「阿礼くん阿礼くん」それまで前を歩いていたイノが、突然俺に話しかけた。
「なんだよ」
「阿礼くんはさ、安万侶さんのことイケメンだと思わない?」
は、は…?急な質問…なんだよそれ――
「白い髪に緑の瞳とか…なんだか幻想的だよね?」
「いや、まぁ、確かにそうではあるけど…」
うぅ、イノにこんなことを言われると、五年前のあの記憶が蘇る…あれこそ、〈空書ノ原〉にしてくれていいのに!もう黒歴史なんだよあれ…イノにそれを言ったら、からかわれそうで怖い…。
「…もしかして、拗ねちゃった?」
「ふぇっ?」突然イノが変なこと言ったから、おかしい声が出てしまったじゃないか…。
「いや〜、阿礼くんだってかっこいいよ〜?真っ黒な髪に金色の目…なんだか心惹かれる感じ!」
う、嘘だぁ〜…というか俺は別にかっこいいとか言われたかったわけじゃ――
「なんの話ですか、二人して」
「阿礼くんってかっこいいよね〜、って話!どう、安万侶さんもそう思いません?」
ま、万侶を巻き込んだらまずいことになる…。
「確かに、言われてみれば。吊り目で、歯はぎざぎざしていて。刺さる人には刺さるんじゃないですかね?ただちょっと髪がぼさっとしているけれど」
「ですよね、分かります!あれ〜、阿礼くん顔真っ赤だよ〜?」
そ、そんなに赤かったのか…?これは、別に、嬉しいとかじゃなくて…。
「う、うるさいっ!」
俺は彼らの前を走り去っていった…あぁ、もう…なんであんなので照れるんだよ、俺…。
――イノがいると旅は楽だった…彼女はしっかりしているから、万侶の方向音痴も目立たない。…盗賊に襲われるのは毎日のことだが。
そうして俺達は次の詞魂の眠る場所に来た――
「…あの高い塔?すごく綺麗…」
…あーあーそうですか。俺は別にその塔に愛着とか湧かないんだが。さすが女子力…ってことか?
「〈星見ノ塔〉と呼ばれているそうです。今宵ここに泊まって、星を見るのも良さそうですね」
「ふーん。…で、早く詞魂を納めに行こうよ」
「そうですね――一応、あそこのお爺様に聞いてみましょうか」万侶は指を指した。
その方向には、一人の老人が座っていた。俺達はその老人に近づく。
「すみません、旅の者ですが」万侶が彼に話しかけた。「詞魂があるのはここですか?」
「…詞魂…?」その老人は万侶の方を見て…その塔を見た。
「――ないよ」老人はゆっくりと言った…これ、空書ノ原状態か…?
「…分かりました、ありがとうございます」そうして万侶はその老人の元を去った。
「――もう忘却衆が来ているようです」
「そっか…じゃあ、早く詞魂を戻さないとだね」
イノが答える。あいつ、旅の途中で万侶から色々教えられて、もう全部わかってるんだよ。もしかしたら、俺以上に知っているのかもしれない。例えば、万侶の本当の目的――とかね。
…そうして俺達は塔を登った。中には階段があって、最上階に詞魂があるらしい。
「――着いた!」
イノがそう言った。顔を上げると、夕陽が見えた。最上階まで着いたのだ。
「もう夕方かよ…冬だからか、日が短い…」
さっきまではまだ明るかったのに…今もどんどん日が暮れていく。
「…んじゃ、詞魂納めよ…う、ぜ…」
俺がそう言った瞬間、背後に気配を感じた。俺はゆっくりと振り向いた。
「…『記憶は枷、忘却こそ救い』――」
そこには、知らない男がいた。片目を包帯で覆った、黒髪の男。
「…あなたは一体…?」イノが怯えた声で言った。なぜなら相手は…刃物を持っていたからだ。
「――我が名は〈忘却衆〉
…忘却衆…詞魂を〈破り〉各地を空書ノ原にする者達だ。
「…阿礼、ここで詠唱してはいけません」
「あぁ、分かっている」
俺は慎重に相手の様子を見る。いつ襲われるか分からない…相手は何も言わなかった。しかし次の瞬間、その沈黙は破られた。
「…貴様らが詠唱しないのならば、力づくで行く――」
「――っ!」空刃は俺に刃を向ける…!
「阿礼さん――っ!」しかし、目の前にいたのは太安万侶だった…彼が俺を庇ったのだと気づくまでに数秒かかった。
「…万侶!」
俺はすぐに万侶に駆けつける。彼の左腕が少し切れていた。
「いったた…」
「安万侶さん!すぐに治療するから…」彼は、そう言うイノを手で制止した。
「今はいい、僕の心配より相手のことを考えろ」…万侶は、いつにも聞かない冷静で尖った声を放った。
目の前には、空刃が厳しい目で見ていた。
「…お前…」俺はこの前万侶からもらった筆を構える。俺はまだ何も〈書いた〉ことはない。恐るるなかれ、天業ここに在り…やってみないと分からない。俺は軽く息を吸った――
「あぁあぁ、だめです阿礼さん。僕がやるので」
しかし、万侶によって俺の初筆は奪われてしまった。彼はすぐに〈生物〉を〈書いて〉いた。…
烏の群れは空刃を直撃する――いつのまにか、彼は消えていた。
「――はぁ、大変でしたねぇ」
万侶は呆れたような顔で言った。…俺がもっと強かったら、忘却衆を倒せたのだろうか。
「安万侶さん、今度こそ治療するから…もう放っておけないよ」
イノは万侶の腕を見た。確かに彼の腕からは血が流れていた。
「治療、って『
「そう、よく覚えてたね」
そう言いながら彼女は彼の腕を〈治療〉した。彼女が手を近づけると出血はみるみるおさまった。これが彼女の詞魂の力か…。そうして万侶の腕に包帯を巻いた。
「ありがとうございます。…では、詠唱をお願いしますよ」
万侶にそう言われ、俺は深呼吸をする。色々あったが、気持ちを整えて…詠唱を、始めよう。
『 人の生きる地上では
東へ向かいて軍を進め 数多の戦を越えて
大和を制し 皇統の礎を築く
神々の加護を受けし初代の天皇
そして時代が動き出す
東征の詞魂よ、今ここに甦れ──! 』
万侶が書に〈書いて〉、それを塔の中央にある皿らしきものに置いた。
「これで良し、っと――」
万侶はその筆を腰にしまった。
「いやぁ、負傷したのが右腕でなくて良かったですよ」
…そうか、万侶は右利きだから…。でも、彼の左腕は負傷してしまった。俺が何も動けなかったから…。
「――ごめん、俺何もできなかった」俺はぽつりと呟いた。それを万侶とイノは静かに見ていた。
「…そんなことないよ阿礼くん。あなたは、詞魂全書を記憶して、世界を支えているのだから」
「そうですよ。別に戦えなくていいのです、第一にあなたは筆録司じゃありませんし」
…二人に慰められていると、自然と涙が出てくる…なんだよ、これ…。
「だから阿礼さん。気に病むことではありません。あなたは、僕達にはできないことをしているのですからね――」
万侶の手が俺の頭に当たった。…優しく撫でられている…。
「子供扱い、すんなよっ…」
強がっているはずが、涙のせいでうまく喋れない…なんだよ俺、かっこ悪いじゃないか…。
「二人とも、見て!」突然イノが指を指す。その先にあったのは――
「…綺麗な星ですね」
〈星見ノ塔〉から見た無数の星は、煌めいていた。もう夜になっていたのだ。高天原に照らす日女大御神みたいに……あの星も俺たちの歩む道を照らしてくれてるはずだ…いや、必ず。
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