第8話 夜半の幕開け

「ふう……」

「大丈夫? 疲れた?」

「……そうですね」

 私に座るよう勧めて、香久耶さんは持っていた焼き鳥をそそくさと食べる。

 その仕草が何だか子栗鼠リスのようで微笑ましい。


「さて、何時間ここに居たのかな?」

 彼は星を見上げ、角度を拳を使って測る。

「うわ、もう二時間ぐらい歩いてる?」

「それは疲れちゃいますね……」

 人混みは苦手なのに、こんなに長く居れたんだ……。

「そうだね。どうする? この後は酔った大人しか居ない状態になってくるけど」

 彼は悪戯っぽく笑う。

「流石に今日は解散にしようか? 危なくなってくるかもしれないし」

「そうですね……」

 名残惜しい気もするけれど……。

 凛は、叔母の娘が亡くなった後から祭りには参加せず、その前も夜遅くまで残ったことはなかった。

 ……ここは香久耶さんに従おう。


「じゃあ、また明日お会いしましょう」

「うん。神社で寝て待ってるよ」

 送る、と彼は手を取って祭りの残響の残る空間を歩いていく。


 焼きとうもろこしの残り香。片付けを始める店主の姿。誰かが忘れていってしまった団扇。

「……楽しかったですね」

「そうだね、すごくすごく楽しかった」

 星が照らす青暗い闇の帷。

 その中を、手を繋いだ二人は歩く。


 ふと、凛は思う。

 私と香久耶さんとの約束はとっくに果たされたはず。

 じゃあ、何故こんなことを?

「香久耶さんは、どうしてお祭りに来て下さったんですか?」

「え?」

 彼は一瞬振り返って、首を傾げる。

「……まあ、神様っていうのは騒がしいのが好きなんだよ。ほら、天の岩戸とかさ」

「あぁ……」

 天の岩戸に閉じこもってしまった天照大御神を誘き出すため、裸踊りなどで祭りのように騒いだという神話。

「いや、俺は裸踊りとかどうかとは思うよ? 倫理的に良くないって思ってるよ? それでもまぁ……神社に籠ってるのはつまらないし」

「そうですよね。やることも少なそうですし」

「……俺の神社は、もはや廃屋だからね……」

 ちょっと僻んだような声に、傷付けてしまったかと不安になる。

 ……でも、少し安心した。


「それにしても。急にどうしたの?」

 聞かれて思わず苦笑する。

「いえ……」

「ちゃんと言った方がいいよ? それに、俺も気になって人がそばにいない時しか眠れなくなっちゃうから」

「……それって通常では……?」

「まあ、そうとも言うけど」

 彼の星を散らしたような綺麗な瞳が、何を見咎めたのか険しくなる。


「……言っとくけど、俺が今日君と遊びに出たのは、君の御百度参りとは無関係だからね?」


 どうして、疑問に答えるような台詞を?

 そう思って見上げると、香久耶さんは溜め息を吐いた。

「やっぱりこれか。今日、俺が君と一緒にいたのは護衛のためでも何でもない。ただの息抜きだよ。……まさか、ずっとそれを気にしてたんじゃないだろうね?」

「そ、それは大丈夫です! 今ふっと思い立っただけで!」

 慌てて弁明すると、彼は柔らかく笑った。寂しそうにも、一瞬だけ見えた。

 だけれど、どうしてそんな顔を、と聞く暇も根拠も、彼は与えてくれなかった。

「……ほら、着いたよ」

 村長の家から、どっと笑い声が聞こえる。隣村からの客人の多くが、この広い家や、その周りの家に泊めてもらう。祭りの間だけの賑やかさだ。


 ありがとうございます、と言おうとして、凛はつんのめった。

「わっ!」

「あ、悪い」

 香久耶さんが振り向きながら身体を支えてくれる。

 ……振り向きながら?

 じゃあ、彼が気を取られたものは森の中に……?

「森に、何か……?」

「いや……何でもないけど……。ごめん、莉月と一緒に帰ってくれないか? 神社に誰か来た」

 ざわり、と森が揺れる。

「凛、本当にごめん。誘ってくれてありがとう、本当に楽しかった!」

 彼が森へ駆け出す。触れていた手の温度が急速に冷めていく。

 誰かの不在にはこんなに寂しい風が吹く。


 何が、あったんだろう。


 凛は無意識に手を握る。

 どうして、どうしよう、どうしたら……。

 ぐるぐる頭の中を不安が回っている。みるみるその考えは領域を広げる。

 何があったんだろう、明日も会えるのかな、私のせいかな……。


「しっかりなさい、人の子」


 静かな声が、凛を夜の中に引き戻した。

「人の子、落ち着いてくださいまし。私がお送りしますから」

「妖狐さん……。神社に、何があったんですか?」

「妙な輩が、四、五人。……貴女もしばらくはうちに来ない方がいい」

「でも……」

「私が安否等は報せますので、ご安心を」

 狐はすたすた歩き出す。

「じゃあ、妖狐さんも加勢した方が……」

「声を潜めていただけますか。なるべく急ぎますよ」

「それっ……て」

 狐の目が紫に怪しく光る。

「速く……行きましょう。まあ、もう遅いやもしれませんが……」

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