第4話 二色の噂
川に、土砂が流れ込んだ。
川は堰き止められ、川底が露呈した。
『神の
誰かがそう言った。
「あの」
「え?」
洗濯をしていた彼女は、か細い声に振り返ってぎょっとした。
「あ、あんた……」
「なんで返事しちゃうのよ……!」
孤児が、目を伏せながらもう一度、声を絞り出した。
「川が堰き止められたの……神様がなさったって、本当ですか」
少女はとぼとぼ去っていく。
「ねえ今の聞いたよね? 誰があの子にあんな事言ったんだろうね?」
「さあ……。でも、土砂が来た山の方って……」
「あ、神社あるわね。すっごい古いやつ」
女たちの洗濯の手が止まる。
「あそこの神様って氏神よね?」
「え、そうなの?」
「あんなにぼろぼろなのに? ちゃんと祀るべきじゃない?」
「ねえねえ、あの土って神様が運んできたらしいよ?」
木の枝の刀を振り回しながら、子供が言う。
「川の神様が?」
疑わしげに言ったのは、ぺんぺん草で遊んでいた女の子。
「ううん、山の神様!」
「橋、今直してるんだって。父さんたちが喜んで仕事してたよ!」
「人柱はー?」
「いらないんじゃない? だって、橋直せたし! 神様がきっと何とかしてくれるよ!」
「うちの父さんね、今度神社も直しにいくって言ってた! せんもんの人と一緒にお仕事するんだって!」
「すごーい!」
その翌々日、川に水が戻った。一夜にしての急変だった。
「村長様……あの川の土砂が急になくなったのは、神様のおかげなんでしょうか」
白装束の少女は、大工と話していた村長にそう聞いた。
今度の噂もたちまち広がった。
『氏神様が橋の修理をさせてくださったのだ』
『いいや、橋を壊していた悪い妖怪を追い払ったのだ』
村人たちは、期待して嵐を待った。
『もしや、橋は壊れないようになったのでは』と。
凛が贄にされる日も、先送りになった。
久しぶりに凛は淡い桃色をした着物を身につけた。
朝一番に、神社に行く。最近の日課だ。妖狐さんが日向ぼっこしているのに挨拶し、本殿の方へ行く。大抵彼は、回廊の欄干の上に座っている。
今日も例に漏れず、彼は暇そうに足を前後に振っていた。
「香久耶さん、おはようございます」
「おはよう。似合ってるね」
私は思わず目を伏せてしまう。彼の何気ない調子が怖かった。
「ありがとうございます……」
「どうしたの? 元気ないね。潔斎みたいな白装束が終わったってことは順調ってことでしょ? 君のおかげだよ。本当に自然に良い噂が広がってる」
彼は、笑う。まったくいつも通りに。
「香久耶さん……」
私の声に、彼は困ったように笑う。
「……俺、何か変かな?」
「あんなに、派手にやって……大丈夫なんですよね?」
宥めるように、彼はまた笑う。
「大丈夫、大丈夫。そんなに
凛は俯く。
……言葉に上手くなってくれないけど、でも、香久耶さんはきっと体調を崩している。こんな風にのらりくらり、躱されてしまうけど……。
「わたし……もう、私のせいで誰にも傷付いて欲しくなくて……だから、もし、無理してるなら……」
彼はまたにこりと笑う。私は、本当に心配なのに。
「わ、わたし……こわ、くて」
着物を、ぎゅっと握りしめる。
私が触れても許される体温は、みんなことごとく冷えていった。
「私、また『祟ってる』んじゃないかって……これで、香久耶さんまで居なくなったら……わたし……」
すとん、と彼は草の上に飛び降りる。
「うん。君の不安はよく分かる。でも、君は祟らないよ」
はっと私は顔を上げた。
真剣な顔に、少しの微笑。そんな表情だった。端正な顔だと、そんな事を思った。
「……私は、ただの人間ですか」
「至極普通の人間だとも」
「でも叔母が死んだ時、私は」
私の感情は、
「だって私は、叔母さんが死んじゃった時に、悲しいって思わなかった……。また祟ったのかって、それだけが怖かった……!」
「大丈夫」
大きい声じゃなかった。でも、その言葉は頭の中の、心の深いところにまであっという間に染み込んだ。
「大丈夫だよ」
「香久耶さん……」
「君は悲しかったんだと思うよ。怖かったのと同時にね」
「……そうでしょうか」
俯いた私の頭に、手が触れる。視界が左右に揺れる。
「君は嘘を広めた。彼らには毒にも薬にもならなくて、将来的には薬になる良い嘘。だからね、君に関するその噂は嘘なんだよ。とっても悪い、悪趣味な嘘」
「嘘……?」
「そうだとも。ここはちょっと、神様が言うことを信じなさい」
ゆっくり優しく言われて、私には頷くことしかできなかった。
ただの都合の良い言葉なのに、こんなに弱り果てた神様だって知っているのに。
「しんじ……ます……」
「うんうん。絶対大丈夫。凛はただの人の子で、人を祟ったりなんかできないよ。そんなのがいたら、莉月が眠らせてくれないからね」
凛は思わず、引いていこうとした手を掴む。その手は温かい。
「じゃあ、香久耶さんは消えないんですよね?」
彼は破顔した。
「心配性だなぁ。もちろん。君のためにも、俺は絶対死なないから」
私は祈るように彼の手を握る。
「言質、取りましたからね。嘘吐いたら針千本飲ますんですからね!」
「ああ、大丈夫。約束だよ」
珍しく、笑みのない真剣な顔だった。『絶対だよ』と、彼は繰り返した。
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