第15話 ガリウス涙目
メキメキメキ、と骨の芯が軋む音が、ロウの耳にまで伝わってくる。
「ぐあああああああッ!
ガリウスは耐えきれず膝をつき、振り上げた拳は無様に落ちていった。
「放せ、放しやがれぇ!」
慌ててもう片方の拳でルヴィアの手を殴りつけるが、もちろん彼女は小首を傾げるだけで、びくともしなかった。
逆に、殴った拳の方が痺れて震えている。
「て……めぇ! 調子に、乗んな!」
ガリウスが腰の剣に手をやり、鞘から銀の線が音を引いて抜けた。
刃が光を跳ね返し、半ば自暴自棄の勢いで振り抜かれる。
「おっと。怖ぇ怖ぇ」
ルヴィアは笑ったままふわりと宙を舞い、ガリウスの剣筋が虚空を裂く。そのまま一度天井近くまで跳ね上がり、ロウの隣に羽音も立てずに降り立った。
その一連の動きがあまりにも軽やかで、周囲の理解が追いつかなかったのだろう。冒険者たちの顔が、ひと呼吸遅れて引きつる。
「今……ガリウス、本気で斬ったよな?」
「何なんだよ、あれは。まさか、本当に竜人なのか?」
「いや、竜人にしては容姿が人間に近過ぎる。まるで、人間と竜人の混血みてぇな……」
「人間と竜人の混血だと? そ、それってもしかして……!?」
「は、半竜だぁ!」
言葉がひとりの口から転げ落ちると、同時にギルド内の空気が弾け、壁の方へ一斉に人波が押し寄せた。
凪が一転して引き波に変わるように、冒険者たちは入り口から遠ざかった。入り口には、ロウとルヴィアが立っており、そこから逃げられないのだ。
押し寄せた人波が自分たちの退路をふさぎ、壁に張り付いたまま動けない。椅子や卓がぎいぎいと悲鳴を上げ、盃が床で転がった。
査定官をはじめ職員たちも目を見開く。そこにあるのは恐怖だけではなく、伝承級の存在と対面したと悟ったときの本能的な戦慄だ。その気持ちは、ロウもよくわかる。彼女から自己紹介を受けた時、まさしく同じような反応をした。
「お、おいロウ。その女は何なんだ……?」
サムソンが、喉を引っ掻くような声で問うてきた。
どんな魔物にも怯まなかった巨体の男が、今は言葉の隅を震わせている。
「さっき誰かが言ってたじゃないか。半竜だよ、サムソン。悪名高い〝半竜のルヴィア〟。お前だって聞いたことはあるだろ?」
ロウは彼に視線だけ送って答えた。自分でも驚くほど、冷たい声をしている。
〝半竜のルヴィア〟──その名が、さらに場を冷やした。
場の熱が一気に冷え込む緊張。その異名なら、冒険者をやっていれば、誰もが聞いたことがあるだろう。戦にふらりと現れては一度だけ加担し、勝敗ごと地形を変えて消える、名も居所も掴ませない災い。
半竜を狩る、と酒の勢いに任せて吠える冒険者も少なくなかったが……いざ、そんな悪夢の象徴みたいな女を目の前にすれば、これである。
「そ、そんなことはどうでもいいのよ! 何でそんなやばいのが、あんたなんかと一緒にいるのかって訊いてるの!」
シーラが、張り裂けた声で叫んだ。
声の形は強がりなのに、瞳は怯えで小刻みに揺れていた。どうして、という問いは彼女自身の現実否認でもあった。
「おいおい、ヒス女。さっきも言っただろ? うちのボスに用があるってんなら、まずはあたしに話通せって。まさか、ここまで言われてもわかんねえか?」
ロウの隣で、ルヴィアが鼻で笑った。
ふっと短く吐いた息が、侮蔑の温度で空気を撫でる。
「ま、まさか……!?」
うちのボス──その言葉に、ガリウスの頬がひく、と引き攣った。彼の視線がロウへ跳ねて……現実がつながってしまったのだろう。
「ああ、その通りだよ、ガリウス。こいつは……〝半竜のルヴィア〟は、俺の従魔だ」
ロウの静かな宣言が、場に爆ぜる。
ざわめきが悲鳴に滲み、退路を求めていた人々の背がさらに壁へ貼りついた。あり得ない、と顔に書いてある者。理屈ではなく、直感で膝を抜かす者。笑って誤魔化そうとして笑えない者。
「さぁて、あたしのボスに散々舐めた真似してくれたんだ。覚悟は、できてるんだよなぁ?」
ルヴィアが、愉しげに肩を回した。
彼女の肩甲骨の下で、小さな翼がわずかに伸縮する。床の影が、彼女の尾の先に合わせて揺れた。
「ま、マジかよ……!?」
嬉々として構える半竜を前に、ガリウスの目が血走る。
恐怖と怒りとプライドがぐちゃぐちゃに混ざり、結局は喧嘩腰の言葉しか出てこないのだろう。
「ま、待ちなさい!」
そこで、鋭い声が空気を切った。
査定官だ。
彼は震える職員たちを片腕で制しながら、一歩進み出る。眼鏡の奥の視線はルヴィアに、しかし言葉は場へ向けられていた。
「ここはギルド内です。冒険者ギルドは、私闘を禁じています」
「あん? 何だ、このクソ眼鏡」
ルヴィアが面倒くさそうに瞳だけ動かす。
火花みたいな軽口が、緊張の表面を弾いた。
「先に剣を抜いたのはそこのお坊ちゃまだ、ボケナス。あたしの知ったこっちゃねえ」
「ぐっ……」
ルヴィアに図星を刺され、査定官が一瞬だけ言葉に詰まる。規定を盾に場を収めるつもりが、先制攻撃の事実に足を取られた。
ロウはそのやり取りを見ながら、背に食い込む肩紐の感触に、ふと荷物のことを思い出す。
ここで終わらせるより、もう少し楽しんで終わらせてやろう。
ほくそ笑み、こう提案してみた。
「査定官さん。それなら、裏の練習場で模擬戦っていうのはどうですか?」
「模擬戦、ですか?」
「そう。俺の従魔と、そこのSランクパーティー三人で模擬戦をやってもらうんです。それなら、規定には反していないでしょう?」
査定官の視線が素早く左右に走る。規約と前例を頭の中でめくっている気配がした。
決断を促すように、ガリウスが先に噛みつく。
「ふざけんな! 何おめーが勝手に決めてんだよ!? そんなもん、俺たちに何の得もねえだろ!?」
「確かにその通りだ。今のままじゃあんたが
ロウは振り向き、わざとゆっくりとした笑みを作ってみせた。
「何だとテメェ!?」
「まあ、待てよ。そこで、だ。もしあんたらがルヴィアに勝てたら、俺はさっきの発言を撤回するよ。要するに、あんたらの言い分を全て認めて、俺は自ら囮になったことを認めよう」
査定官へ視線を送り、確認を求める。
「そうすれば、ランク審査の保留も解けますよね?」
「まあ……それは、確かにそうですが」
査定官は短く唸る。
正直、彼もこれ以上の混乱は避けたいはずだ。だが、ここで公然の場での「証明」を置けるなら、後からの処分も曖昧にされにくい。
「そんで、ついでにこの荷物もお前たちに
ロウは続けて、背嚢の紐をほどき、荷を床に下ろした。
中身の重みが床板を沈ませ、鈍い音を吐く。
「ちょ……何であんたが荷物の所有権を持ってるみたいになるのよ! それ、私たちのでしょ!?」
シーラが食って掛かる。
本当に、この女はとことんロウのことを嫌っていたのだろう。だが、それはロウも同じだ。ロウは答えた。
「……違うな」
「なっ!?」
「こいつはな、シーラ。俺が
「そ、それは……」
シーラの喉が、言葉を探して空回りする音を立てる。
反論の形が作れない。冒険者の間の拾得の不文律は、彼女自身が何度も利用してきたはずだ。
背後で、野次馬の何人かが頷く気配がした。どこからか「耳が痛ぇな」という皮肉が飛んだ。
「……いいぜ。やってやる。その代わり、約束は守ってもらうぞ。おめぇらもいいな!?」
ガリウスが、舌打ちと共に鼻から荒い息を吐いた。拳を握り直すと、サムソンとシーラへ短く顎をしゃくる。
「ちょっとガリウス。〝半竜のルヴィア〟が相手なのよ!? そんな簡単に……」
「はっ、どうせハッタリだろ。そこらから拾ってきたそれっぽい亜人にそう名乗らせて俺たちを脅してるだけに違ぇねえ。それに、俺たちは〝マッドドッグ〟だ。亜人如きに負けるわけがねえよ。だろ?」
ガリウスの虚勢は、酒とプライドで固めた張りぼてだ。だが、こういう時の彼はいつもそうだ。
吠えることで自分の足元の揺れを誤魔化す。
「……だといいがな」
サムソンは短く目を閉じ、低く呟いた。
「何か言ったか、サムソン!?」
「何でもねえよ……」
結局、サムソンとシーラは渋々うなずき、合意の形を作った。
観衆の視線が査定官へ集まる。場の秩序を預かる者に、印を求める気配。
「では、その条件で模擬戦を認めます」
査定官はひとつ息を吐き、頷いた。眼鏡の縁を指で押し上げ、声を場に乗せる。
こうして、〝半竜のルヴィア〟と〝マッドドッグ〟の戦いが、決まったのだった。
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