第11話 新たな旅立ち

「なんだよ、味気ねーなー。もう終わりかよ」


 ルヴィアが地へ降り立ち、ぼやいた。

 靴裏が土を踏み、余韻の震えが静かに収まっていく。


「そりゃあ、この森の最強格の単眼巨人サイクロプスで球遊びされちゃ、あいつらもビビるだろ」


 ロウは肩で笑って、転がる死骸とひしゃげた大地を見回した。自分もそのに加担したのだと気付いて、苦笑いが喉に引っかかる。


「で? あたしの力は、上手く使えそうかい?」


 ルヴィアが、八重歯を見せて訊いてきた。

 答えなど聞かずともわかっているだろうに。


「御覧の通りで」


 ロウは倒れ伏す魔物たちを顎で示し、肩を竦めてみせた。血の匂いの向こうで、夜風がすっと乾いていく。


「上出来だ。もっと上手く戦えるように、今度あたしが鍛えてやるよ」

「死なない程度に頼むよ。今のお前は、アホほど強いんだ」

「そりゃそーだ。気ぃ付けるよ」


 ふたりは笑い、軽く拳を合わせた。

 拳の骨同士がこつりと鳴り、その響きが夜の静けさへ吸い込まれていく。

 勝負は、ついた。〝ドラゴンテイマー〟と〝半竜のルヴィア〟──ふたりの初めての共闘は、大勝利に終わったのだ。


「んじゃ……敵も撒いたし、今のうちに外に出てしまおうか。夜だから大変だけど、さすがにもう俺たちを襲ってくるバカはいないだろ」


 ロウは野営地に目をやる。テントは見事に吹っ飛んだが、荷は転がっただけで無事だった。

 ルヴィアも無闇に暴れ回っていたわけではないらしい。暴力の中にも冷静さを欠かさないところも、彼女らしかった。


「えーっと……森の地図はどこだったかな」


 背嚢を引き寄せ、ごそごそと漁る。

 羊皮紙の感触を探っていると、隣から呆れた声が聞こえてきた。


「何で地図なんか探してんだよ。いらねーだろ、そんなもん」

「へ? 何で──」


 言い終える前に、視界が跳ねていた。

 ふわり、と重力が薄くなる。

 体が宙に浮かぶ──のとは、少し違う。ロウは、抱え上げられていた。腕の下に彼女の肩、胸元に回る彼女の腕。次いで、足元の地面が遠ざかっていく。

 これまで生きてきた中で、一番月が近かった。

 黒の森が、足元で布切れのように小さくなっていく。


「は……? はああああああああ!?」


 喉が勝手に裏返った。

 ルヴィアは、片手でロウを抱え、もう片手で風を切るようにして、ひらりと高度を調整していた。

 彼女の背の小さな翼は魔力の膜で覆われている。羽ばたきというより、浮力を纏って滑るように宙を移動しているようだ。


「ほら、こうすりゃ簡単だろ?」

「か、簡単って……高い! 高いから!」

「そりゃ飛んでんだから、高いだろ」


 ルヴィアは呆れたように言って、〝黒の森〟の入口の手前を指差した。


「とりあえずあのへんに降りるぜ。半竜の羽は不完全でね。あんま長いこと飛べないんだ」


 言うが早いか、風景がするすると迫ってきた。

 森の黒が薄れ、木々の密度が弛む。闇の壁が裂け、湿った匂いが鼻を擽る。

 ルヴィアは速度を落とし、滑り込むように森の縁へ降り立った。足裏が土を噛み、視界がわずかに開ける。そして、ロウをそっと下ろした。

 ロウは深く息を吐き、彼女を睨んだ。


「ンだよ? 楽だったろ?」

「そうだけど……飛ぶなら飛ぶで、先に言うように。心臓が止まるかと思っただろ」

「なーに情けないこと言ってんだよ。こんなんで停まるほど、軟な心臓してねーだろ?」


 ルヴィアはけろりと笑い、背中をぱしぱし叩いた。

 それもそうかもしれない。この身体は化け物みたいな強さを持つ〝半竜のルヴィア〟と絆で結ばれているのだから。

 ロウは苦笑しながら背嚢を担ぎ直した。

 昼間は腰が軋むほど重かった荷が、ひょいと、羽のように軽く持ち上がる。肩に掛かる重みが、筋肉の線に気持ちよく沿っていった。改めて、契約の力の凄まじさを思い知る。

 その時、ぽとんと背嚢のポケットから何かが落ちた。


「お? モクじゃんか」


 ルヴィアがそれを拾って言った。


「あー、それはガリウスの煙草だな。吸うか?」

「おう。じゃあ一本頂くぜ。ロウもやるかい?」


 箱から一本取り出し、取り出し口をこちらへ向けた。


「いや、俺は……」


 一瞬、断ろうと思った。

 冒険者になりたての頃、一時期煙草を吸っていた時がある。先輩冒険者からの勧めだ。何となく冒険者っぽくてかっこいいと思ったので吸っていたのだが、リナがその煙を嫌がった。以降、ロウは煙草をやめていた。

 でも……もう、吸わない理由もない。


「やっぱもらおうかな」


 言って、一本取り出した。

 しかし、火がない。火打石を取り出さないとと思っていると──ルヴィアが、ロウの煙草の巻紙部分の先端をはふっと優しく咥えた。口を離すと、その巻紙の先端には僅かに炎が灯っている。


「ほらよ」

「お、おう。ありがとう」


 ロウは一言お礼を言ってから、煙草を受け取った。


「ったく……咥えて火をつけるなんて、聞いたことがないぞ。どういう原理なんだよ」

「知らねーよ、そんなの。できるからできる、そんだけだ」


 ルヴィアは自分の煙草にも火を付け──もとい、巻紙部分を咥えて──吸口部分を咥え直した。

 ふたりの煙草の煙が、夜空に溶け合い……ふと、森の境界に背を向けた。

 振り返れば、月の白に溶けるような黒。その向こうには、二つの小さな土盛りがあるはずだ。その目印は、積まれた石と、突き立てられた鉄槌。


(いつか……また、来るよ)


 声には出さなかった。いつの日になるかわからないけれど、また、ここに来なければならないだろう。

 でも……それは、諸々が落ち着いてからだ。


「ほら。行こうぜ、マスター」


 ルヴィアが顎をしゃくって進む先を示した。

 そう。これからは、半竜の彼女とともに生きていくことになる。

 どんな未来になるのかなんて、想像もできなかった。


「……ああ」


 ロウは頷き、ふたり並んで歩き出す。夜はまだ深いが、足取りは軽かった。

 黒の森が遠ざかり、月光に街道が白く滲む。指先で赤い火点がふたつ瞬き、吐いた煙が星明かりに細い線を描いて、すぐに夜へと消えた。

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