第10話 はじめての共闘

 唸りを上げる魔の群れが、目の前に迫っていた。

 単眼巨人サイクロプスが先頭で轟音を立て、その背後にはミノタウロス・ロード、さらに何体ものミノタウロスやオーガ。黒鉄のような斧や棍棒が唸り、踏み鳴らすたび土煙が噴き上がる。

 巨躯の影に隠れるように、ワーウルフやコボルトたちも群れを成し、森の闇が牙と爪の輝きで埋め尽くされていく。ざっと五十──それ以上かもしれない。

 少し前のロウなら、こんな光景を目の当たりにすれば、腰を抜かして生きることを諦めていた。できるだけ早く殺してくれ、と祈っていたかもしれない。

 それなのに、今……恐怖はない。むしろ、熱が脈打つたびに昂ぶる衝動が体の芯を焼きつけていた。

 理由は明白だ。

 隣にいる、ロウの従魔にして最強種〝半竜のルヴィア〟。

 そして、自分の中にもその一端の力が宿っている。

 恐怖は影のように消え、代わりに昂ぶる胆力が骨の髄にまで染みていた。


「ちったぁ楽しませてくれよ? 雑魚ども」


 最初に動いたのは、やはりルヴィアだった。

 黄金色の瞳が爛と輝き、彼女は笑いながら群れの中心へと飛び込んだ。

 その行動に、魔物たちがたじろぐ。


「ほら、何突っ立ってんだよ。特別サービスだ。好きに攻撃してみろよ」


 ルヴィアは挑発的な笑みを浮かべ、周囲の魔物たちを嘲笑する。

 もちろん、魔物たちも怖気づいたままではない。単眼巨人サイクロプスの棍棒が振り下ろされ、ミノタウロス・ロードの斧が横薙ぎに迫った。巨体の群れが、全力で襲いかかる。丘さえも砕いてしまいそうな一撃が、彼女の身を貫かんと四方から迫った。

 だが──ルヴィアは、立ち止まったままだった。身じろぎひとつしない。

 ただ、口角を上げて愉快そうに笑っているだけだった。

 大気が悲鳴を上げ、轟音が天地を叩く。

 巨躯たちの武器は確かに命中した──はずだった。それなのに、その場に立つルヴィアの体は一歩たりとも退かない。


「……嘘だろ?」


 ロウは息を呑む。

 ルヴィアは受けた。躱しも受け流しもせず。それなのに……立っていた。神の加護すら砕く単眼巨人サイクロプスの一撃でさえ、皮膚ひとつ傷つけられない。

 やがて、巨人たちの腕がわずかに震えた。

 全力を受け止められたという事実に、彼らの顔に動揺、そして恐怖が浮かぶ。

 ルヴィアは、薄く笑った。


「もう終わりかよ? それじゃあ──今度はあたしの番だな」


 その瞬間、爆ぜるように魔力が解き放たれた。烈風が奔り、目に見えぬ衝撃波が大地を削る。

 魔物たちの体が宙へと浮かび、まるで木の葉のように吹き飛んでいった。

 ルヴィアは背の小さな翼を羽ばたかせて、自らも舞い上がる。

 月光を背にした影が、一閃。視認できぬ速度で群れの中を駆け抜け、拳を叩き込み、脚で蹴り砕く。

 たったの一撃。

 それだけで、オーガの首が砕け、ミノタウロスは原形を失っていた。空中で捻った体から繰り出した回し蹴りが、単眼巨人サイクロプスの顔面を粉砕する。

 そして、地面に雨が降る。もちろん、それは水ではない。魔物の血と肉片だ。

 地上に残った魔物たちの目に、明確な恐怖が灯っていた。

 絶対的捕食者を前にした獣の顔。

 標的が動いた圧に押されて後退していた群れが、一瞬で算盤を弾き直す。

 空を切り裂く半竜は相手にせず──より柔らかく、より落としやすい獲物へ。弱そうな人間へ。

 そう。彼らの標的は、ロウに移った。


「まあ、そうなるよな」


 ロウは構えた。

 不思議と怖くない。どう動けばいいか、体が全部知っている。踏み出す角度、腰の切り方、拳の握り、蹴り方──全て、ロウと結ばれた半竜の血が、教えてくれた。

 最初に飛び込んできたのはワーウルフだった。爪が月光を弧に裂き、喉笛を狙う。

 ロウは半歩だけ内側へ潜って、腰を振り抜く。掌底が、ワーウルフの顎を打ち上げた。骨が砕ける手応え。ワーウルフの体が宙で止まり、力の抜けた糸のように崩れ落ちた。


(俺が、素手でワーウルフを一撃で……信じられないな)


 自分でやったことなのに、この光景が夢に思えて仕方ない。

 そんな余韻に浸る暇もなく、背に殺気を感じた。

 だが、振り返らない。右の肘を振り上げ、迫るオーガの鼻梁へ叩き込んだ。ぬめった息と、骨の割れる嫌な音が響く。

 そして、そのまま反発を利用して後ろ回し蹴り。オーガの脇腹に入り、重い手応えとともに、巨体が木幹に叩きつけられた。


「ははっ……なんだこれ。凄すぎだろ、〝ドラゴンテイマー〟」


 思わず、乾いた笑みが浮かんだ。

 従魔の力の一部を自分のものにする……そんなテイマーがいるなど、聞いたことがない。だが、それこそがロウ。そして、〝ドラゴンテイマー〟なのだ。

 ミノタウロスが斧を掲げて突進してくる。地が震え、風が裂けた。

 それでも、恐怖という名の影は寄ってこない。むしろ視界は澄み、相手の重心がどこにあるのか、武器の重みがどれほどか、斧の刃の入りがどれだけ鈍いか――細部までもが、やけに鮮やかに見えた。

 刃が来る瞬間、ロウは一歩だけ斜めに滑り込む。軸足に体重を落とし、両手で柄を抱え込むように掴んだ。ミノタウロスの握力に抗いながら、踏み変え、肩で押し流す。巨躯がわずかに泳いだ。

 そこで、肘と手首に、短い打撃を二度ほど加えてやった。ミノタウロスの握力が緩み、斧が宙を舞う。

 ロウは跳び上がり──斧の柄を、掴んだ。

 重いはずの斧が、羽のように軽かった。


「うりゃ!」


 反動も恐れず、斧を水平に振り抜いた。

 ワーウルフの首が跳ね、続く二体の肩口が割れた。返す刀で足元のオーガの頭蓋を割り砕く。

 血の霧が月光で薄銀に光った。

 明らかに、異常な力。ルヴィアの力の一部とはいえ、さっき助けてくれた時のルヴィアくらい強いんじゃないか? と思わされた。

 もしかすると、元のルヴィアの力ではなく……従魔の契約によって強化された、今のルヴィアの力がロウに宿っているのかもしれない。筋肉の収縮と骨の撓み、呼吸の張りと魔力の流れ──どれもが、人間の限界を越えていた。

 その刹那、地面が沈み、影が覆いかぶさる。振り向くと、単眼巨人サイクロプスが巨腕を振り上げていた。影の中から覗く巨大な眼球が、怒りと困惑で震えている。


単眼巨人サイクロプス……俺に、やれるのか)


 ガリウスたちが手も足も出なかった魔物。そして、リナの命を儚く握り潰した魔物でもある。

 恐怖がないと言えば、嘘だ。しかし、同時に──負ける気も、しなかった。

 ロウは地を蹴った。巨体の懐へ滑り込み、右拳を腹へ叩き込む。拳が肉の壁を押し分け、深部で何かが潰れる感触。巨体がに折れる。


「ハァッ!」


 間髪入れず、土を弾いた。

 沈み込んだ膝を踏み台に、顎へ縦の一撃。拳が顎を跳ね上げ、単眼巨人サイクロプスの頭部が後方へ仰け反った。大樹もかくやという巨躯が、音を置き去りにして吹き飛び、背から地面へ叩きつけられた。

 痙攣が一度、二度。やがて動かなくなる。呼吸が一拍遅れて胸に落ちた。

 単眼巨人サイクロプスを素手で。たった二撃で。あの〝マッドドッグ〟が手も足も出せなかった相手を……。


「へい、ロウ! あたしからのプレゼントだ」


 感慨に耽ろうとしていると、空から声が降ってきた。

 見上げると、ルヴィアが愉快そうに笑っていた。黄金の瞳が夜空の星を弾くように煌めく。


「──ほらよ!」


 彼女の脚がしなる。

 空中に浮かせた別の単眼巨人サイクロプスの腹を、軽く蹴り落とした。

 巨岩さながらの体が、流星のようにロウへ落ちてくる。


「はあッ!? 何やってんだ、お前!」


 球遊びでもする感覚で、単眼巨人サイクロプスを蹴落としてきやがった。

 ロウは咄嗟に斧を捨て、足を組み替える。

 迫る質量に臆さず、爪先で地を噛み、腰を捻った。落下の力に自分の捻りを重ね、土壇場のタイミングで蹴り上げる。

 爪先が腹を捉えて巨体が軌道を反転し、空へ返った。

 ルヴィアの方へ、綺麗に。我ながらナイスな戻しだ。


「いいパスじゃねえか、ロウ。そらよ、シュートだ!」


 彼女は空でくるりと一回転。

 背面へ流した脚が、戻ってきた単眼巨人サイクロプスの頭部を見事に捉えた。逆さにしなった弓のように背を反らし、振り抜いた脚が巨影を地へ撃ち落とす。

 空気が爆ぜ、地面が凹む。巨体が地へめり込み、地響きが森の奥まで駆け抜けた。

 このには、さすがに群れが怯んだ。それぞれ顔を見合わせ、喉の奥で鳴き、恐怖の匂いを漂わせる。

 それから、彼らは身を翻し──一目散に、逃げ出した。

 大きな影も、小さな影も、森の黒へと散って消えていく。

 追撃は不要だ。ここは彼らの棲み処でもある。これ以上荒らす必要はなかった。

 かくして、戦闘は終わった。


 

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