第16話 初デートは覚悟を決める

《side 蓮見恭弥》


 ホテルの自動ドアが閉まるまで、紅葉は何度も振り返って手を振ってくれていた。


 花びらまみれの惨事も、動画のナレーション乱入(笑った)も、最後には二人で紅茶をすすって「今日はリハーサル」と決めたことも。


 

 全部まとめて胸の内ポケットにしまえるくらい、やさしい夜だった。


 別れ際、俺は言った。



「また明日。君と何度も夜を迎えたい」



(言った。キザ病、完治の見込みなし! でも彼女が頬を赤くして「お願いしますわ」と笑ったから、もうこれは病気じゃなく二人の言葉になった)



 送迎の車(司が運転してくれる)に乗り込む直前、紅葉が悲しそうな顔をする。


 俺は手の甲とって、そっと唇で触れた。



「また」

「はっ! はい!」

「……気をつけてお帰りくださいませ、恭弥君」

「ああ。紅葉も」



 車が角を曲がるまで見送ってくれていた。


 車の中で俺は深く息を吐いた。


 今日のデートは紅葉が用意してくれた。たくさん失敗があったけど、全てが思い出になる。


 彼女の可愛さの起点として記憶に固定された。



 伝線しかけのストッキング事件(本人は隠したつもり)、花びらガトリング、リボンぽんっ。あれこれ、全部まとめて「初デートフォルダ」に保存したい。



 家に着くと、玄関が音もなく開いた。香りの違いでわかる。



「おかえりなさいませ、ご主人様」

「ただいま」



 リビングに入ると、テーブル一面に薄いファイルが平置きされ、角はすべてぴたりと揃っている。



「……今日は茶化さないんだな」

「本日は段取りの提出日ですので」

「なるほど、ふざける余白なしと」

「後ほどいくらでも♡」

「最後のハートを外せ」



 香澄は小さく頷き、指先でファイルの一番上をくるりと回して俺の前へ。



「報告いたします。舞台は整いました」



 ざっとファイルに目を通す。 

 


「朱鷺宮本邸にて、ご当主・楓様が応接間をお取り計らい済みです。同行者は私と司。贈答は礼を尽くすが媚びません。一品を確保済みです。衣装は黒一択、ネクタイは茜色をご用意しました」

「……茜?」

「紅葉様のお名前に寄せまして。安直ですが、視覚効果は侮れません」



 テーブル端のスーツバッグが半分開いていて、落ち着いた黒に茜色の細いタイがしゅっと走っている。



 胸の奥で何かが定位置に収まる感覚がして、俺はわからないうちに頷いていた。


 香澄は次のファイル。紙の厚みが一段薄くなる。ここからは声も半音落ちた。



「対話の内容は、第一に謝意と誠意をこれは相手から紅葉様を奪うために必要な処置です。第二に将来像、恭弥様が紅葉様との未来をどのように考えておられるのかお伝えください。第三に覚悟、相手から奪うという決意表明を」



 香澄の説明に、俺は覚悟を決める必要がありそうだ。


 俺は言葉を発してみた。



「『朱鷺宮紅葉という人を、物ではなく未来として戴きに参りました』」



 香澄が、微かに笑った。



「合格です。あとは現地で拝見します」



 香澄は封のされた白い封筒を指で軽く叩く。すぐに引っ込める。見せびらかすためじゃない、在ることだけ知らせる手つき。



「裏の準備も、予定通りです。ですが、理想は未使用。これは救急箱です。開けずに済んだら一番いい」

「助かる」

「ご当主・楓様には、すでに母としての普通を守りたいという合意をいただいています。恭弥様が女性として紅葉様を見ること、それ一点の信頼に乗っています」



 俺は深く息を吸った。紅葉がベンチで言った言葉が返ってくる。「母の心を軽んじないで」。その、大事な人を守る約束は、もう空言じゃない。



「他に、当日の注意点は?」

「二つ。挑発に乗らないこと。叔父殿は希少な雄の自尊心を逆撫でにするのが極めて上手です。二つ目、紅葉様の目を見ること。彼女の判断が最後のパスです」



 短く、的確。スパイ映画ごっこじゃない、本物の段取り。


 司が手帳を閉じた。


「周辺警戒は私に。香澄さんは内、私は外。恭弥様は前だけ見てください」

「頼もしいな」

「職務です」


 香澄が、ふ、と息をやわらげた。そこに少しだけ「いつもの香澄」が戻ってくる。



「それから、お土産です」



 差し出されたのは、小さな白い箱。開けると、ポケットチーフ。うっすらと桜鼠色が差された、ほとんど白に見える上品な一枚。



「茜のタイにこれを。派手ではなく、でも、選んだ痕跡が見える組み合わせです。紅葉様の視界に入るのは、きっとそこなので」



 俺は思わず笑った。こういうところ、本当に助かる。



「ありがとう」

「感謝は十倍返しで、なんなら今すぐでも♡」

「はいはい。感謝してるよ」



 笑いながら、俺は香澄の頭を撫でてやる。



「フォー!!!」



 なんか変な鳴き声を出した。



 紅葉は、俺がこんなことをするとは思っていないだろう。



 だけど、やるからには徹底的にやる。



 叔父さんから、紅葉を奪ってみせるよ。

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